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未来に希望をどうやって見出すのか

 社会とのつながりを果たしてどこに求めているのだろう。

最近冴えない気持ちで毎日を過ごしていたのは、何となく社会とのつながりに変な飢えを覚えていたからなのかも知れない。コロナ前に比べ、リアルで人と会うことも少なくなったし、風潮に身を任せて独り(や小コミュニティ)の時間をめいっぱい大事にするようになった一方で、社会に対する寄与の感覚が希薄になった気もしていた。

もちろん錯覚の一種とは認識しているのだが、自分にとっての未来の「希望」の見え方をどこに定義してふだん過ごしているのかを改めて考えてみたところ、社会に寄与し、社会から適切な還元を得ることが、少なからず自分にとって "希望を見出す" 原動力となり得ていたんだなと感じた。

ただし、おそらくそれはちゃんとやっている。

少し突っ込むと、状況に「馴れ」を覚えてしまっていたのかも知れない。

 「馴れ」は未来を闇で隠す。「ゴールのない旅」に疲れを覚えているからか、実感に乏しくなってしまい、最近特に気持ちにささくれを生じさせてしまっていたようだ。

多少の起伏はあれど、長いこと自粛ムードは続いている。思考や生活スタイルなども、ほぼフルモデルチェンジを果たしたのち、定着しつつある。

あえてゴールを設定しないよう設けたマインドセットが、今は自分の首を締めてしまっている。「慣れ」が「馴れ」になってしまい、"足るを知る" 気持ちが大きく欠損してしまっていた。

だからなのか、止めときゃいいのに SNS にたまに眠っている宝を求め、気分転換に目を向けてしまうも、相変わらず暴風吹きすさぶマウンティング競争の波に知らず知らず引き込まれてしまい、より一層ゴール(希望)が見えなくなる。

やることはやっているがいまいち手応えを感じないのは、何だかんだで目に見えた成果物や刺激を、知らず知らず求めはじめてしまったからだろう。

必要以上に他者から評価や賞賛を得、心を埋めたいという欲求が、未来を闇で隠す一助となってしまっていたのかも知れない。


 どのように価値観や風潮が変わろうと、本質的な答えは自分自身の中にある。柔軟にギアチェンジしながら、自分なりの「希望」を見出していきたい。

今日はこんなところで。

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