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境目での再会

 外部刺激に依存しつつある時は、夢が案外立ち位置を教えてくれる。

理性でいくら日常を誠実に生きている感覚を覚えていても、どこか内側に背徳感や罪悪感を感じている場合、それが夢の中に顕著に現れる。

理性の皮が外れ、原始的かつ本能的な思考にさらされるからか、自分の中で筋を通していそうなことでも、生成し支えているエネルギーは、実はとてもか細いものであり、その実常に外側からの報酬欲求が強く、厚く着込んだ服を剥がされ丸裸にさせられたように脅迫感極まりない感情で目が醒める。

何かをないがしろにしてしまっているのではないか。自分自身いくら納得感高い生活を送っているような理性を保っていても、ギャップというものは常に存在し、ある種の警鐘とともに夢で事前勧告してくれているのではないか。そのような思いを抱くときが往々にしてある。

油断をするとスマホの向こう側に目を凝らす。何かしら反応による反応を求めてしまいがちになる。

トリガーを外部に求めすぎてしまう。

目が醒めて、夢でよかったと思うと同時に、夢の世界の自分は今も地続きでその空間を生き続けており、お互いの心理環境が似通った時にだけ意識の水面を境に近づき、再会しあっているのかも知れないとも思う。

 もう一人の僕にしばしの別れを伝え、こちら側の世界を改めて見渡しつつ、改めて地に足をつける感覚を味わいながら、立ち位置を定めていければいいなと思う。

今日はこんなところで。

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