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無意識的な意識を作品に残す力

 昨日、ライブハウスを借り切って映画を観てきた。

堀江の socore factory が、コロナ禍という状況もあり定期的にホームシアター空間提供を行なっており、過去ライブでお世話になったクルーよりお誘いを受けたので、遊びに行ってきた。

メインはビデオゲームの歴史に関するドキュメント映画だったのだが、幕間というか、上映前にクルーの一人が持ってきてたDVDを観させてもらい、それがまた衝撃だった。

伊藤高志。
彼の存在を僕は今まで知らなかった。

いわゆる "実験映画" と呼ばれるジャンルの著名な作家で、80年代に短編作品を多く残している人なのだが、スクリーンで観る作品一つひとつが、今はもうほぼ観る機会のない技法によって作られており、当時の質感も手伝ってものすごく不思議な恍惚体験を得た。

中でも僕は、連続写真を使いひたすら巨大なビル(サンシャイン60?)の周りを回転する「悪魔の回路図」という作品に惹かれた。ミニマルな音楽に乗せ、同半径内から何十箇所も撮られた写真をもとに、高速でぐるぐるビルの周りを回転し続けるだけの決して派手ではない作品だが、"コマ送りの早回し" という技法特有のぎこちなさも手伝い、これがまた中毒性高く、異次元の環境に身を投じさせるには充分な映像だった。

 氏の作品をこれを機にざっと観た。

言葉で説明するのは非常に難しいが、普段日常的に取り入れている視覚情報の群れを、主に連続写真を用いたムービング・イメージ、グリッチなどを駆使し、あえて非日常的・不自然な歪んだ認識感として与える事で、そこにあるものの一つひとつが、むしろより生々しいリアルを帯びて心の中に突き刺さるような感覚だ。

網膜や視神経に対する挑戦状とも取れ、当たり前すぎて意識していない箇所を叩き起こされ、改めて強く認識させられるような感覚。

 僕はこうした無意識的な意識を明確に計算高く形にできる作家に対し、強烈な畏怖と嫉妬、そして敬意を覚えてしまう。同時に、目の前にあるのにずっと蔑ろにしてきた "何か" を再発見させられたことで、無上のカタルシスを覚える。

これを巨大なスクリーンかつ良質な音響のなか観る事ができたのはとても有意義だった。もちろんメインの映画も楽しかった。
誘ってくれた yuzi くん、そして今回の短編DVDを紹介してくれた edamame krew さんありがとう。

今日はこんなところで。

伊藤高志《フィルモグラフィー》


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