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正直と孤高

 ここに来て、より正直度が増して来たなという気がする。

少し前から明確に意識してきた事なので当然だとは思うが、感情の起伏が良い意味でなくなり、いわゆる「ブレる」事がなくなってきた。

正直さの器は、自分自身が正直にいる気持ちを意識的に持つ事と同時に、自分がいかに、より正直でいられる環境に身を置いているかの相互効果によって拡がっていくものだと思う。

 最近でこそ風潮的に安易に口走れなくなった言葉だが、共通の趣味を持った集合体として使われる「○○クラスタ」というカテゴリーに染まりそうになればなるほど、そこから距離を置くようにする癖が僕にはある。

別にそのクラスタ自体を否定はしていないが、染まり切ってしまったが故に生じる「しがらみ」を極端に嫌う性格だからかも知れない。

人はそれぞれ生きている間にコンセプトも意識も変わっていく。何年もずっと歩調が同じといった関係が続く事の方がレアだ。

共にその移りゆく心情を理解し合える関係であれば問題ないが、そのクラスタ内で正直にいるという事が難しいな、と判断した場合、僕はできるだけ早い段階でいったん距離を空ける。

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 「スタンドアローン同士の心地よい利害関係」という記事を過去に投稿したが、目的と手段が合致し、その中にいて自分が成長する実感を覚えている時は全力でチームとしての信頼関係の維持に尽力するし、事実感情として全力でチーム内パートナーに心を開き委ねる。

その均衡が崩れたり、ある種の拘束感やなぁなぁの空気感が見えた時に、僕は出来るだけその時覚える違和感、もう少し極端に言うと不快感に正直に耳を澄ませ、そこから生まれる判断に従う。

究極、自分の事しか考えていないのかも知れないといった逡巡も多々生じる。でも、思ってしまうんだから仕方がない。そこに自分の成長が見込めない関係性の中で、隠し偽りヘラヘラ笑い過ごす事の方がよほど深刻だと思っている。

 こちらが距離を置いている雰囲気は、まず間違いなく相手側もその周りも察するだろう。もしくは、それすら特に気にならないくらい無関心な人もいるのかも知れない。が、それは別にどうだって良い。

表向きに、他者との関わりを極端に切り離す事で、おそらくそのまま縁が切れる人もいるのかもしれないし、ノリの合わない僕を煙たがったり、目の上のタンコブ化して「こいつは合わない」と愚痴られたりしてることも、もしかするとあるのかも知れない。

でも僕はある時期から「自分に誠実でいよう」と決めたのだ。
人が離れていくのは好転反応だと割り切るしかないと思っている。

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 歳を経れば経るほど「正直にいたい」感覚ばかりが研ぎ澄まされ、それを理解してくれる人たちとの数少ない関係性ばかりが強化されていく。

正直さと孤高は隣り合わせなんだなと実感する。

今日はこんなところで。

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