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頭の中にいる他人とどう付き合うか

 続けている事を他人に無闇にアピールする必要などない。

自分の中で、ただストイックに愛でる。それで十分だ。

こうしないと誰も反応してくれないよ、という世間とのフックを本当に何も気にしていないから、むしろ淡々と継続できているのだ。ほっといてくれ。

…という事を今つらつらと書いているが、実は誰にもその類の指摘を具体的に受けた訳ではない。

ただ単に自分が SNS やその他問わず、目に飛び込んでくる情報たちの断片的な部分を都合良く(悪く)再構築し、まるで自分が言われたような気になっているだけなのだ。

生活をしていると、こうやって、自分の中で作り上げた他人像が、勝手にアドバイスしてくる機会が非常に多い。

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 僕たちはあまりにも頭の中に「他人」を飼い慣らし過ぎている。

周囲は自分の事をどう思っているのだろう、出すぎた真似をしてしまっているのではないか、不用意な一言など発してしまっていやしないか…など、そういった事をしきりに考えている時ほど、自分の言動に確信が持てず、頭の中で作り上げた "他人" をストーリーテラーとした物語が展開される。

漠然とした周囲、あるいは特定の人物問わず、その人が考えていそうな事をこっちが勝手に作り上げてしまい、余計な被害妄想を抱き始める。

被害妄想をベースに謎の誰かに向かって呪詛の言葉を吐いてしまう心理はきっとそこにあり、他者から見ると「そこまで思わんでも」と思う事でも、本人にとってはそれが真実になってしまっているのだ。自分自身も陥りそうになる時は正直ある。

頭の中の他人が羅針盤となってしまっている時は、主体性があるようでまったくない状態になってしまっている。

僕が思うに、頭の中の他人を飼いならす事=「承認」が欲求の源泉となっており、誰かを見返す、誰かに勝つ(さまを皆に見せる)といったモチベーションがいつの間にか基準となってしまうので、本来の意味での「実現」において、程遠い道を歩み続ける事となってしまう。

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 改めて「自分は自分」「他人は他人」と割り切る事。

口にするのは簡単だが、これが難しい。

しかし仮に割り切れなくとも、人間にはこうした傾向があるという認識を頭の中に置いておくだけでも、かなり冷静になれる機会は増えると思う。

あとは、地味でもコツコツ続けている事に対し、シンプルに自分の中で誇りを持つ事。

誰にも思考を邪魔されないことは、即ち自分自身が作った妄想に心を奪われてしまわない事、ただそれだけだと思う。

今日はこんなところで。

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