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罪悪感

 以前も何度か言及しているが、言葉にすればするほど、何を伝えたいかが遠のいていくことがある。自分でも話し始めとその後で、「あれ?」となることがある。言いたいことがある場合、本来ストレートに言ってしまえばその方が気持ち良いのだが、おそらく様々な気遣いや、嫌なことにすら「自分が悪く見られたくない」という不思議なフォローの気持ちが働いて、そんなテンションのまま物を言おうとすると、徐々に「幻のディテール」に足を踏み込み、人に対して伝えたいことの半分も伝えられなくなってしまうことがある。

特に、あまり望ましいシチュエーションではないが、会話の中で「誰かが苦手だ、といった話になる時など、僕の場合は特にこうした状況に陥る。誰かと話を合わせる、などではなく、自分が本当に苦手と思える人の話を僕自身が能動的に話したくなってしまうシチュエーションが、レアながら生じる時があるのだ。

人間なので心の中でうごめく不平不満はもちろんあるが、一方でなまじっか「自分は不平不満を人前で決して言わない」といった中途半端な理想を課していたりすることで、他者の批判について「建設的な批判」なのか「ただの悪口」になってしまっているか…?を選別するのに、ものすごく逡巡してしまう。

その結果、人に誰かのことを話す機会が生まれた場合、言葉を選びすぎて言いたいことの10%も伝わらない…といったことがままある。これは果たして良いことなのか悪いことなのか。

 罪悪感。おそらくこうした感情とともに、そういう自分は果たしてどうなんだろう?…といった自省も含めてリアルタイムで感情が駆け巡るからこそ、どのような言い方が間をうまくとった「決して相手だけが悪い訳じゃない」ニュアンスで伝えるかに腐心してしまい、後味の悪い気持ちを覚えてしまうのだ。その度に、ああ、利己的だなぁと思ってしまう。

そもそも、人のネガティブな話を会話のタネにすること自体があまりよろしくないし、そんな話をした翌日は、精神だけではなく体調にも悪影響が訪れる。

 この記事自体うまく伝えられてない感じがビンビンだが、リアルな足跡かつ罪悪感に駆られた懺悔的な思いも含めて、あまり校正もせず残しておく。

今日はこんなところで。

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