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2020年7月23日、私はスタジアムにいた

右の階段を降りて進むか、左の階段を降りて進むか。

京王線飛田給駅の改札を出て味の素スタジアムに向かうとき、いつも選択に迫られる。

右から降りれば、道路の右手に現れるスタジアムの入口に少しでも早く入場できる。左から降りれば、道路の幅だけわずかに入口から遠ざかる。しかし右側よりも歩行者が少なく、すいすい進める可能性が高い。

どちらもたどり着く場所は同じ。かかる時間も目に入る景色もほとんど同じ。けれど、こうして二択に迫られると「選ばされてしまう」のが人間の性なのかもしれない。

「パパ、はやく」

駅の改札を出て駆け出した息子が手招きする。いつもはぼんやり考えごとをしたり沿道の草木に虫がいないかとうろついて、親の後ろをのろのろついていくタイプだが、さすがに今日は興奮を隠しきれないらしい。

6歳になったばかりの息子が迎えた2020年の東京オリンピックは、2013年に開催が決定した。彼が生まれる一年前のことだった。

IOCのロゲ会長が「トキョー」と、素っとん狂な声でフリップを掲げ、招致メンバーだったフェンシングの銀メダリスト太田雄貴は雄たけびを上げた。おもてなしの笑顔を振りまいてきた滝川クリステルもぴょんぴょんと飛び跳ねた。最終候補地だったイスタンブール、マドリードの票数を東京が上回ったのだった。

「東京に、オリンピックがやってくる」

テレビの前で私は、その瞬間を目撃していた。自分が生きている間に自国で五輪が開催される幸運に酔いしれた。

その一年後、息子が生まれた。サッカーが好きな子供に育てたいと思った。プロにはなれなくとも、サッカーがあれば世界中に友達を作ることができる。英語やプログラミング言語よりも大事な「共通言語」であるサッカーを楽しむ術を、幼いころから身につけさせてあげたいと思った。

去年からサッカースクールに通わせてみたところ、本人もそれなりに楽しんで続けている。親子で楽しくDAZNで、リーガ・エスパニョーラやプレミアリーグ、そしてFC東京を中心にJリーグの試合も観ている。ほとんどはハイライトだが。

そんな息子のために「東京オリンピック・サッカー男子・第1戦」のチケットを申し込み、見事に当選が決まったとき、神様はわが子をサッカーの世界に導こうとしているのかもしれないと思った。この子に最高峰のサッカーを体感させるため、神様が稀有な舞台を用意してくれたのではないかと。

どの国とどの国が対戦する試合なのか、チケットを申し込んだ時点では決まっていなかった。ただ、会場が「東京スタジアム(=味スタ)」の「第1戦」とくれば開催国の開幕戦に決まっている。どうしても息子に日本代表の試合を見せてあげたかった。

「ここ、まえもきたね」

日本代表の新しい迷彩柄のユニフォーム、そのレプリカを着た息子の背中に「KUBO」の文字がある。ちょうど1年前、FC東京に在籍していた久保建英と、スペインの名門バルセロナからヴィッセル神戸に移籍したイニエスタの対戦を堪能するべく味スタに訪れたことを息子は思い出したらしい。

「でも、くぼくんはみれなかったね」

そうだった。東京対神戸のチケットを予約した直後、久保はスペインのもうひとつの名門レアル・マドリードへの移籍が決定し、FC東京を離れてしまっていた。元バルサ同士の対決を楽しみにしていたのだが、まさか久保がレアルに行くとは思わなかった。

FC東京がこのまま優勝するまでチームに残るだろう。もしも移籍するにしても、10歳のころから下部組織に在籍していた古巣のバルセロナだろう。誰もがそう思っていた中で、シーズン途中で永遠のライバルチームに行くことになるとは一体誰が予想できただろう。

彼は足元の技術もさることながら、とにかく頭の切れがいい。ドリブルすべきところはドリブルで突き進み、パスを出すべきところではいくつかある選択肢の中からもっとも可能性の高いパスを繰り出す。

若さに任せた自分本位のアピールに走らない老成した頭脳と魂があり、まるでピッチの真上から俯瞰しているかのようにプレーの選択をほとんど間違わない。だからレアルに移籍したことも、彼にとっては正解だ。

その久保がレアルに保有されたままマジョルカにレンタル移籍することを決め、残留争いをする弱小チームの中で確かな実績を積み重ねたのち、オリンピックの日本代表10番として、FC東京の本拠地であるここ味スタに凱旋する。

しかも相手はスペイン。バルサ時代に久保とコンビを組んでゴールを量産し、トップチームに昇格してからも実力の片鱗を見せている神童アンス・ファティも名を連ねる強豪だ。久保とアンスの再会。こんなドラマチックな展開があるだろうか。

それにしても日本の初戦の相手がスペインとは驚かされた。FIFAが主催するワールドカップや、23歳以下しか出場できないIOC主催のオリンピックも例外ではなく、サッカーの国際大会における開幕戦は「開催国対その格下」というカードが一般的だからだ。

ドローに八百長はないはずなのだが、なぜか決まって「開催国が勝てそうな相手」が初戦に組まれる。直近の例で言えば、2018年のワールドカップで開催国のロシアはFIFAランク下位同士のサウジアラビアと対戦し、観客の後押しもあって5対0と大勝している。

開催国がグループリーグを勝ち上がり、決勝トーナメントを1試合でも多く勝ち抜いていくことが大会そのものの盛り上がりにもつながるため、初戦についてはこうした「配慮」が行われるのがサッカー界の大きな声では言えない常識だ。

ところが今日の日本の相手は強豪スペイン。オリンピックは各大陸から数か国しか出場できず、ワールドカップにも増してトップオブトップの実力を持つ国が少数精鋭で集まる大会。強豪国同士が対戦することも珍しくはない。

とはいえ、なにも欧州最終予選を勝ち抜いて優勝したスペインと開幕戦で当たらなくてもと、ドローが決まったときは頭を抱えた。

しかし、こうも考えた。2012年のロンドン五輪で日本は同じくスペインとの開幕戦を迎え、当時は大津祐樹のゴールで1対0の勝利を収めていた。「グラスゴーの衝撃」と称されたが、一番の衝撃は永井謙佑の反則切符を切られそうなスピードだったことが記憶に新しい。

あのときの屈辱を晴らそうと、今回スペインは本気になって向かってくるはずだ。それがかえってサッカー強国ゆえのプレッシャーになり、開催国の重圧を抱える日本以上の重荷となってプレーの質が落ちる。そこに日本の勝機がある。

と、自国びいきに都合よく考えた。まだ試合は始まっていないのだ。これくらい楽観的でも罰は当たらないだろう。スコア予想は2-1。

駅の改札を抜け、その先の通路を右に曲がるか、左に曲がるか。右の階段を降りれば、なんだか日本が先制点を決める気がする。でも左に曲がれば、日本が逆転ゴールを決める気がする。試合に出るわけでもない、ただの観客にすぎない身の私でさえ、根拠のない願掛けにすがりたい心境だ。

しかしどちらの道に進むかを決める前に、息子が左の階段から先に降り始めてしまった。親としては後を追うしかない。選択を迫られるも、結局は自分の意志とは異なるところで運命が決まってしまう。まるで人生の縮図のようでもあった。

「あめ、やまないね」

手に持っていた傘を広げ、息子にも自分の傘を広げさせた。

今年の梅雨はどうかしている。熊本を中心に九州や中国地方で集中的にもたらされた雨は「令和2年7月豪雨」という名を冠し、各地に甚大な被害をもたらした。

雨量も凄ければ、降雨の期間も長かった。東京都内でもこの7月は雨の降らない日はほとんどなかった。これほど長く、絶え間なく、そして激しく打ちつける雨は経験したことがない。もう、しとしとと降る梅雨の空は過去のものになるのかもしれない。

でも、嘆いていても仕方がない。時代は変わるものだし、気候も変動するものだ。

自然を破壊する勢いで開発を進めた人類の自業自得の気もするし、次の氷河期を控えた間氷期に過ぎない地球が人類の想像を超えるスケールで胎動しているだけの気もするが、いずれにしても変化に対応できるのが人類の強み。雨の種類が変わったことも真正面から受け止め、地道に対策していくしかないのだろう。

スタジアムに続く道を息子と歩いていると、市民ボランティアの方々が数メートルおきに並んで私たち観客を誘導していた。「ダサい」と酷評されてしまったユニフォームがいつの間にか刷新されていたらしい。しかしその上からレインコートが羽織られていて、デザインがよく見えない。

この新しい制服が「イケてる」かどうかは分からないが、真にダサいのは一度決定したものを取り下げ、決定案を血のにじむ思いで作り上げたクリエイターの尊厳をないがしろにして、ゼロからやり直すプロセスではなかったか。

思えばこの2020年の東京オリンピックは何かと物言いがついた大会だ。

ザハ案が撤回された新国立競技場、佐野研二郎の案がパクリと断罪されたロゴマーク、チケット販売後に札幌に変更されたマラソンコース。不評なものを柔軟に変更した英断と見る向きもあるが、世間の声に押される形で寄り切られた「クレームへの敗北」にも見える。

選考プロセスや決定事項を軽んじるようでは、そのうちオリンピックの開催そのものも中止に追い込まれそうな気がした。つい先日に行われた東京都知事選で山本太郎候補が「東京五輪の中止」を公約に掲げていたが、もしも彼が当選していたら中止もあり得たのだろうか。かつて世界都市博覧会の中止を掲げて知事となり、実際に取りやめた青島幸男元都知事のように。

一度は決めたものを不評だからと取り下げるのであれば、もともと2案提示して、世間に選んでもらえばよかったのではないか。スタジアム案しかり、ロゴ案しかり、ボランティアのユニフォーム然り。

その決定プロセスに関われないことこそが、私たち市民の抱える不満であって、どちらにしても世間の声に屈するのであれば初めから「どっちがいい?」と訊いてくれればよかったのだ。

東京開催を招致していたときは、世間の後押しが求められていたはずだった。東京にふたたびオリンピックの聖火を燈すべく、市民に対して「オールジャパン」の一体感が呼びかけられていた。にも関わらず、いざ開催が決まれば全然オールジャパンじゃないことに私たち市民は気づかされた。

たとえば五輪のロゴマークを使えるのは高額なスポンサー費を払ったオフィシャル・スポンサーだけ。「2020東京」「おめでとう東京」といった五輪を匂わせる言葉さえも商業利用は許されない。

東京大会のロゴマークは「電通とその仲間たち」で勝手に決められ、ユニフォームも「私たちのセンス」を無視していつの間にか決められた。ミライトワに決まったマスコットこそ小学生の投票で決定したが、大人の声はまるで無視された。

私たちは梯子を外されている。数々の物言いがついたのは、そうした不満がマグマのように火口から噴き出した結果だ。

かつて1964年にアジアで初めてとなる最初の東京オリンピックが開催されたとき、田中一光や横尾忠則といった名だたるグラフィックデザイナーたちがピクトグラムを開発し、トイレのマークが世界標準となったように、2020年大会においても「世界初」の試みがなされるのを期待した。

そのひとつが「民主的な選考プロセス」ではなかったか。一部のカリスマや権力者、既得権益層が勝手に決めるのではなく、多様な意見を誰もが納得のいく形で決定していく過程に、これまでにない発明がほしかった。

結果や成果物はどうあれ、要は納得感があればよかったのだ。招致活動が実ってから時間はたっぷりあったはずだから、「選ぶ人を選ぶ」ところから始めても面白かった。オリンピックは誰のものかと考えたとき、その中に自分が含まれていないのが面白くない。

1984年のロサンゼルス大会以降、オリンピックに商業主義が蔓延って、金がものを言う傾向がどんどん強まっていった。

背景にある資金力が選手の能力を高め、道具の進化に拍車をかけた光の部分も多いにあるが、開催地の決定に金が関与している影の部分は否定できない。今大会においても招致を狙う日本から多額のロビー活動費が捻出され、決定権を持つIOC委員に金や物品の形で流れた疑惑をロイター通信が報じていた。

金ではない力を示す。それができるチャンスを、2020年大会はふいにした。むしろ行き過ぎた商業主義のなれの果てとして歴史に記憶されるのかもしれない。「汚れたオリンピックは東京大会が最後だった」と。

息子がもっと大きくなり、世の中の仕組みが理解できるようになったとき。私はこの大会をどうふり返り、彼に対してどんな説明をするだろう。幸運にもチケットが当たり、その熱狂を肌で感じることができた極上の経験だった。そこで話を終えるのか。それとも大会自体は汚れていたと眉をひそめるか。

未来のことは分からないが、このあと行われる日本対スペインの結果次第で後の「意見」が変わるかもしれない。勝てば官軍、くさいものに蓋。負ければ坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで、大会そのものにケチをつけるかもしれない。

国を代表する選手たちによる勝敗に「自分の意見」を委ねるなんて、随分勝手な人間だと我ながら思う。

「うわぁ。すごいひと!」

スタジアムの席についた。試合開始までまだ時間がある。すでに5万を数える席のほとんどを大観衆が埋め尽くしていた。選手たちはまだピッチに現れていないが、すでに「久保ぉぉ!」「堂安!」と叫ぶ、野太い声や黄色い声が聞こえる異様な興奮状態にあった。

23歳以上のオーバーエイジにあたる大迫、柴崎、吉田をそれぞれ応援する弾幕も見つけた。この3人でセンターラインの要とするメンバー構成に、A代表の監督を兼任する森保監督は「分かってる」という評価を世間から得た。

さあ、戦いはここからだ。

右手につかんだ観戦チケットに視線を落とす。スマホでQRコードをかざせば入場できる電子チケットでもよかったが、わざわざ発行手数料と配送料を余分に支払ってまで入手した紙のチケット。五輪マークと今日の日付が印字され、生涯捨てられない記念品になるだろう。

紙を選んでよかった。人生は選択の連続だ。

今となってはあり得ない話だが、もしもこのオリンピックを「開催」「中止」の二択から選べる立場にあったなら、私はどちらに手を挙げただろう。いや、息子のためにも自分のためにも「開催」に決まっているが、もうひとつの「中止」をうっかり選んでしまったとしたら、その先にはどんな道が続いていたのか。

道は異なっても、やはり同じところにたどり着くのか。それとも、まったく異なる未来が待っているのか。考えても分からない。プレーの選択を間違わない久保建英にも見通せない未来だろう。

でも、せめて「選択できる幸せ」があったことを噛みしめながら生きていきたいと思った。たとえその先に、どんな世界が待っていようとも。

試合開始の時刻が近づいて、日本代表の面々がピッチに現れ始めた。

「久保ぉぉぉ!」「頼むぞぉぉぉ!」「頑張れぇぇぇ!」

つい拳に力が入り、右手に握りしめた紙のチケットにしわがついてしまった。しわは元には戻せない。これも歴史の証だ。


※この物語は2020年7月23日に書かれたフィクションです。







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