絶好調

 17歳ごろの無敵感と24歳までの全能感が35歳男の今この瞬間を包んでいる。
毎夜1錠3mgの薬物療法に4週間ごとの通院も加わって、週5日6時間のパートタイム勤務は3年目にして、ひとつ、ピークというか大成というか、まだまだ福祉の玄関を訪れた段階にありながら、ヤマを越えられた気持ちの高まりに無敵感と全能感が今のわたしを包んでいる。
 2008年に統合失調症なる聞きなれない病名を告げられて早11年、今のわたしを主観で述べるならば"絶好調"の一言に尽きる。
 と、ここで終わるのが理想なのだけれど、それは障害者手帳を保持しない健常者であっても許されないだろう。
忙しさを越えて、次のヤマも定まって、また歩き出して。
へとへとな顔に特有の高まりでもって「今の僕は絶好調ですよ」だなんて、他人から見ても「休んだほうがいいんじゃない」と声を発してしまうに決まっている。
なのでここから先は絶好調を挽回するための文字との争いが続いていく。
長い長い自己紹介をご容赦ください。

 日常の一人称はもっぱら"自分"や"こちら"を用いていながら、文体の上では"わたし"で統一した。
登場人物の面々も親指と人差し、中指で曲げられるエッセイは、わたしの主観で統一されてしまうので、せめてもの抵抗で馴染まない呼称を長い期間愛用している。
 "わたし"の始まりはゲーム雑誌の投稿コラムコーナーだ。
採用された本数を明かす20枚のチケットは封筒の中で十数年間も当時の状態にあって、目につかない収納ケースの引き出しへと無造作に放置している。
いつか20枚のチケットを思い出すほど心身が参ってしまう時が来るけれど、金色に輝くちゃちな厚紙の束を確かめては元の引き出しへと戻す儀式によってリセットとリフレッシュのリカバリーを図る。
つくづく、151話以降がまっさらになりつつあるコラム集の続刊を望んだままでいる。
本心はコラムそのものを振り返りたいからだ。
単純に読み物として時間を忘れられるからだ。
読者として投稿者として、あの編集者とやりとりができた数々を忘れつつあるからだ。
 やりとりの一例をこの瞬間にも忘れつつありながら、すらすらと書き起こすことができるのは「はたして」の用例についてだろう。
はたして文章だけでうまく伝わるだろうか、のように使われていると想像する。
しかるに当時のわたしがわたしと同じ年の国語辞典により引用した「はたして」は、きっとこんな風だったと記憶する。
 "はたしてハガーの説明を軽く流すだけで、Sは「あ、そのゲーム!やったことある」とうなずくのである。"
ええと、何のことなんでしょう。
説明を施しますと、ハガーは『ファイナルファイト』というゲームで選択できる2人(3人)の主人公の内の1人で、特徴としてはゴリゴリマッチョです。
ハガーじゃない方の特徴はそれぞれ白無地ジーンズのマッチョ、スニーカーの忍者です。
そう、プロレスラーからメトロシティ市長へと駆け上がるハガーの特徴は、サスペンダーを斜めにかける上半身むき出しのマッチョなマッチョです。
横道ついでにSのことも補足いたしますと、当時の彼は毎日のトレーニングを欠かさない、卓球に身を捧げるドライブマンで、わたしとの腕相撲に対抗意識を燃やしていて、ゲームにおいてもマッチョなマッチョキャラを愛する人物です。
その傾向からSが『鉄拳』を遊ぶならキングを選び、『スト2』を遊ぶならザンギエフを選び、『キングオブファイターズ』を遊ぶなら大門・クラーク・裏社を選ぶのを見てきたので、Sが『ファイナルファイト』を遊ぶならハガーだな、という推測へと至ったのです。
S「『ファイナルファイト』って何?」
わたし「ハガーのゲーム」
S「ハガーって何?」
わたし「上半身むき出しの市長、サスペンダー、緑のズボン」
Y「鉄パイプ、バックドロップ、パイルドライバー、ダブルラリアット」
S「あ、知ってる。そのゲーム!やったことある」。
えっと、わたしは何を書いてるのでしょう。
 まあ、マッチョなマッチョとSのキャラクター愛はさておき、「はたして」という単語を意のまま推敲してくれたコラムを目に、一投稿者としてやりとりを交わしたあの編集者をこんな感じで、鋭い人だなと強く憧れを持ったのです。
わたし自身、落ちる時の拠り所として20枚の厚紙の束を振り返っています。
間違いなく、あの経験が今日をかたどった微々たる自信と最小限の自己肯定としてあるのだと思います。
というわけです。
自己紹介を続けます。

 2008年の大型連休明けで統合失調症の病名が下ったのは今もなおカルテに残っていて、事実として日常でも一定の領域を占めている。
 直近の話を記すと、わたしが業務において同僚や上司へと意見を投げかけると、最初にここで掲げた"絶好調"の印象を持たれる。
「なんか、こいつ言動が高ぶっているな」。
「なんか、こいつ攻撃的な発言目立つな」。
 まあ、仕方ない。
彼らは健常者なのだから、意見を投げるよりも相談を持ちかけた方が好ましいと、身をもって理解し得る。
 とある機、業務上で初めて会うその人と20分ほどわたし自身の話を交わした。
『病名が下ったこととあなたの第一印象は受け止めます。じゃあ病原をどのように振り返ってますか』。
素朴な問いをわたしは静かに受け止め、相手のうなずきも都度確かめながら話を続けた。
 2008年の5月、旅を終える船内にて、わたしは眠れずにうろうろを繰り返して、おそらく寸前までが頭をよぎった。
原因は何か?。
3泊4日の一人旅でろくな食事と睡眠をとらずに激しい運動で体力を消耗したことだ。

 5月3日、4日と開催される野外フェス(当時の言葉で"屋外レイヴ")を知ったのは深夜番組にふける中を流れた30秒のCMによるもので、翌日には会社のパソコンを私用に詳細を調べた。
私用に駆使しながら旅行経路と日程と、2日間の通しチケットの購入、行きと帰りのフェリーの手配を組み込んだ。
24歳にして生涯初の一人旅を計画できたのは、2006、2007、2008年と地元でひっそり行われていた皆既日食のカウントダウンに帰するところがある。
誰々が来る。
誰々もいるね。
本番どうなるんだろう。
年々、ひっそりと行われるカウントダウンのチケット購入を切り口にCD屋の店主との話は深まる。
 出発を前にして、30秒のCMと組んだばかりの旅行プランをプレゼンするがごとく、店主の元へ5月3日と4日を伝える。
すごい面々が集まる。
この人達はオススメ。
旅行楽しんできてね。
ひっそりとしたカウントダウン、連日流れる30秒のCM。
両者を比べて日々の高まりは右上を描いた。
告知の映像を調べて1月。
満杯の荷物を詰めて1週。
定期の船舶を降りて1日。
標識の矢印を歩いて1時。
画面の数字を数えて1分。
10秒。
0を表示後、若干の間隔を置いて霧島九面太鼓の演奏が始まる。
 どの瞬間を切り取ったとしても高まりは右上を目指したままだった。
24歳にして生涯初の一人旅は最後まで宿泊先を決めないままだった。

 60秒のカウントダウンが焼きつけた画面は、2日目の夜にはもう役目を終えつつあって、個人の印象をあらためて、今、振り返らせてもらうならば、メインキャストの音にははっきりとそぐわない、センスが無い映像との落差で、立ち尽くすのがやっとだった。
響き渡る音とそぐわない映像とが確認できるわたしの休憩場からは、見えない盛り上がりを把握するのは困難な状況と状態にあった。
わたしは壊れつつあった。
無論、もう壊れていた。
 11年が過ぎた今でもぼんやりと、旅行中の乏しい食事と睡眠を思うことができる。
駅前のバス待合所では手荷物を見張りつつ、目を開けたり閉じたりで始発を過ごした。
1日目の会場からやや歩いて、外れにある空っぽの駐車場にて寝袋代わりの雨具にくるまった。
翌朝のパン屋で買ったコーヒーブレッドとアクエリアスを今も覚えているということは、それ以下の食事で空腹をごまかしていた可能性がかなり高い。
2日間をペットボトルの水に託していた。
昼夜を音に合わせては水分の補給で体を満たして、音に合わせては水道水で空っぽになったペットボトルを満たして、音に合わせては突如禁止された水道水の給水もやむなく臨時に設けられた制限を律儀に守って500ml入り300円の水を何度か買い足した。
2日間をペットボトルの水に託していた。
わたしは激しい消耗と浪費で壊れつつあった。
無論、もう壊れていた。
原因は何か?。
3泊4日の一人旅でろくな食事と睡眠をとらずに激しい運動で体力を消耗したことだ。
 2日目の夜を立ち尽くして、そぐわない映像が網膜に残る。
ボストンバッグで陣取る木陰。
まばゆい光と雨上がりの星。
少しの肌寒さが抜ける風。
大トリを飾る著名な音。
勾配を波打つ人の群。
ペットボトルの水。
ボストンバッグ。
静寂を裂く声。
覗き込む顔。
背ける目。
人の群。
怒号。
人。

 慎重に選んで振り返り、うなずきを確かめながら、聴いてくれた相手を待つ。
業務上で初めて会う相手はある種の安心感と戸惑いを隠さずにいる。
ゆっくりと声にする。
「それって、つまりは"普通の人"でも起こりうること、ですよね」。
食事と睡眠と体力の消耗。
小さな声を自身にも言い聞かせるよう言葉が続いた。
わたしはうなずく。
「そうだと思います。きっと人間って簡単に壊れちゃうんでしょうね。だから、ちゃんとブレーキが必要なんでしょう」。
軽い口調で和らげようと、わたしは続ける。
「不眠や断食のギネスとか聞いてて正直怖いっす、やめてくれって思う」。
互いに緩やかな微笑みを浮かべる。
 ただ最後まで統合失調症の急性期における鋭敏な妄想については話さずにいた。
文字や音や映像やら「認識を伝達して考えて行動する」神経プロセスが、逆さまになってしまう感覚については話さずにいた。
 わたしは医者でも研究者でも哲学者でもないただの患者だからあくまで主観による言葉になるのだけれど、「行動を考えて伝達して認識する」という感覚に近い逆さまな期間がしばらく続いて、一定の領域を占める鋭敏な妄想と支配されたわたし自身の言動や考えに悩まされていた。
 ここからは本当、独りよがりな願望でしかないけれど、それってつまりは危機的状況における人間の本能であったら納得できるのになって言い聞かせている。
食料と安全な睡眠を確保できずに消耗し続けた際に、あの瞬間を境に動物的な「行動を考えて伝達して認識する」モードへ切り替わるんじゃないかなって空想に浸る時がある。
わたしは医者ですらないひとりの患者だから、無責任にこの場所を使ってこんな感覚なんですよと文字に起こすことはできるけれど、これ自体が常識外れの大事を吹いている自覚はある。
 まあ、今のわたしは絶好調の一言に尽きるのだから、はたして。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?