一筋

「負けに不思議の負けなし」

選手として監督として球史にその名を残す野村克也の引用した言葉が、今日のわたしの頭に残っていた。
この言葉自体は「勝ちに不思議の勝ちあり」が対になっていて、古くは江戸時代より大名松浦氏からの出典なのだという。

まあ、連日深夜にゲームを起動させては、勝ったの負けたのをぶつぶつと念じているわたしのことだから、そこに関連するような言い回しが強く残るのだろう。
計8人を2チームに分かれて競わせる陣取り合戦は、内部での組み合わせの妙もあって劇的な接戦を演出することがある。
そうかと思えば一方的な勝ち負けによってものの数分で終えることもある。
まだまだわたしのウデマエでは開始直前の振り分けでどういった展開を迎えるのかも予想がつかない状態にある。

大勢が決した後の祭りのような高揚を味わったと思えば、その反対で劣勢に一矢報いようと動揺を拭い去った結集も存在する。
絶望的な敗北を喫した時だけは「もっと上手になりたい」という漠然とした課題がまとわりつくが、ほとんどの場合は、あるいはわたしが始めたてでもあるからか、改善すべき点は次々に思い当たり、一つ一つを反芻している。

対戦を主とするゲーム(それはジャンルにもよるけれど)の良さは5~10分以内に決着する事だ。
その時間の積み重ねを経て、負けないためには何が出来れば良いのかを導き出しては、可能性の高いものから実行していく。
そうする内にある程度の域までは達成できる。
そこから先は、どれだけ一つのゲームを好きでいられるか、物凄く抽象的な表現だがそれに懸かっていると思う。

自分が、または相手が不得意とするかれこれに、どれにどの分の時間を費やせるか。
一筋の勝ちを、負けを自分の懐へ幾重に収められるかの勝負でもあって、それ故に短時間での一発勝負が輝き出す。
祭りのような高揚も一矢報いる結集も、その連続の中にあるのだろう。


最後に、プロ野球監督時代の野村克也の全試合からなる勝率が、".5003"と残された成績を見て、どれだけ野球が好きでいられたんだろうと巡らせる。
どちらにしても途方も無い数字であることには違いない。

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