シレン

今日は何もしない、と意を決して、最後に辿り着いたのは『風来のシレン』というゲームを題材に書かれたコラムだった。

最近に至っては好きな言葉も失いつつあるようで、それを取り戻したいと遠くに残っていたその人のコラム集を読んだ。
20数本あるコラムを12本ほど読み返して、以前と違う感覚を得たのか、この文章構成でこの文字数であれば、と何となく、あくまでも感覚的な域は脱しないけれど、わたしなりの時間配分と照らし合わせて読むことができた。
ちょっとした成長だと思う。
全く同じ題材で似たようなものが書けるか、とは別次元の話だけど、毎度毎度のまるで風が吹くような読了を残す味わいが、こちらの気分を弾ませる。

昨日も昨日であまり寝付けなくあったので、『スプラトゥーン2』なるゲームの実況付き攻略動画を見ながら今朝を待っていた。
それには先のコラム集を読んだ後とも似た感覚があって、端的に、ものすごく楽しそうに話す人の言葉というのは何かしらを勇気づけるのだと知った。
好きな言葉を自在に紡いでは、背伸びをする必要がない、周辺に行き届いた奥深さ。
同じく、わたしが好きだと思えそうなゲームを1万時間以上も遊び尽くしながら、なおも新たな遊びを見出だせる豊かさ。
その場所まで渡り歩いた検索の合間合間が順調だったかといえば、だが、そんなことすら気にならない陽気を受け取れたと思う。

そうして今日の最後に辿り着いたのが、『風来のシレン』というゲームについて描かれたコラムだった。
あいにくにも、モニター画面を眺める目の動きが流し読みに入ってしまったため、手に取る出版物のそれとは受け取り方も異なっていたけれど、10分と経たないその間に、1995年のクリスマスイブの前日、金曜深夜の盛り上がりを瞬きへと収められた気がする。
それはわたしにも少なからず、『風来のシレン』に思い入れがあったからかもしれない。

手放しで好きと言える作品のその人なりの背景がありありと浮かぶ時、そこにはいつも風が吹いている。
爽やかで、心地良く、後には何も残さない物寂しさも含んだ、風が。

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