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消えてしまうかもしれない声を残そうとする試み――スウェーデンの小さな出版社Teg Publishingのこと

 「スウェーデン国内でいちばん権威がある文学賞は?」という問いへの一般的な答えは「アウグスト賞」でしょう。文豪アウグスト・ストリンドベリにちなんだこの文学賞は、1989年に始まった比較的新しいもので、その年に出版されたスウェーデン語作品が対象です(※1)。純文学、ノンフィクション、児童・ヤングアダルトの三部門がありますが、いちばん話題になるのは純文学部門。2019年の純文学部門受賞作は”Osebol”(『オーセボル』)という作品でした。ちなみに、ノンフィクション部門では、刊行前から話題になっていた”Ålevangeliet”(『ウナギの福音』)が受賞しています。

※1:もう少し正確に書くと、候補作発表が10月、受賞作発表が11月のため、候補となる作品は、前年の10月からその年の10月(2019年度は、2018年10月22日から2019年10月20日)に出版されたものです。その他、第43週までに店頭に並んでいること、これまで本のかたちで出版されたことのない新作であること等の細かな条件があります。

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 ”Osebol”は、南西部の山深いヴァルムランド地方にある小さな村の名前で、この村で育ったジャーナリストである著者Marit Kaplaが聞き取りして、村人の声を集めた、812頁もの大著です(※2)。村人ひとりひとりについて、名前と生まれた年が書かれ、彼らの語りが続きます。目の前でしゃべっている声がそのまま聞こえてきそうな、そんな書きぶりです。

※2:聞き書きなのにノンフィクションじゃないのか、という疑問もわきます。部門について、純文学部門は「小説、短編集、詩集および文学的表現のメモワールやエッセイ」で、ノンフィクション部門は「あらゆる種類のノンフィクションと評伝(他人が書いたもの)」といった分類がされています。また、評伝のうち、自分が書いたものは純文学部門に含めることになっています。"Osebol"は「文学的なルポルタージュ」だと評価されています。ちなみに、昨年の純文学部門の受賞作は叙事詩でした。

 さて、本作はTeg Publishingという小さな出版社から出版されています。10月の候補作発表時には「うちの作品で初めての候補作となりました!」という誇らしげなお知らせがツイッターの公式アカウントでなされ、結果として初めての受賞作ともなりました。もともと好きな出版社だったので、うれしい驚きでした。

 スウェーデンにあるすべての出版社が候補となる作品を推薦することができるという選考システム(※3)に依るところも大きいかもしれませんが、兄弟ふたりで運営する小さな出版社が出した一見地味な作品が、大きな文学賞受賞というかたちで評価されるというのは、素晴らしいと思います。

※3:アウグスト賞の候補作(いわゆるショートリストと呼べるもの)と受賞作は審査員によって選考されますが、ショートリストの候補となる作品については、スウェーデンのすべての出版社が自社の作品を推薦することができます。

 Teg Publishingは、20代だったテーグルンド兄弟が2010年に始めたもので、「出版社であり、音楽レーベルであり、メディア制作会社」です。当初は、CDやカセットテープなどのリリースが多く、気になるバンドのレーベルとしてウェブサイトをのぞき始めたころは、レコードレーベルとして認識していました。テーグルンド兄弟自身のバンド音源や、家族が関わった作品なども扱われており、いわば個人レーベルが少し大きくなったようなものかな、というのが第一印象。でも、個人レーベルにしてはなんだかいろいろやっているぞ、おもしろそう、と思い、ウェブサイトをちょくちょくチェックするようになりました。

(以下はレコードレーベルとしてのリリース)

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 拠点が北部の街ルーレオであることにも興味をひかれました。確かに、同社がプロデュースする作家やアーティストは、ルーレオをはじめ北部に縁がある人が多く、北部の出版社であるという意識は強いようです。人口減少やグローバリゼーションの荒波にもまれる北部地域のルポルタージュ、北部を舞台にした短編ドキュメンタリー映画などを制作するほか、夏に北極圏にあるテーグルンド家の別荘に1週間滞在して作品制作ができるよ、という文化振興活動も行っています。本当にいろいろやっていて、なんなんだこの会社、という想いはどんどん深まっていきました。

 最近の書籍刊行をみると、北部地域出身ではない作家の作品も増え、プロデュースする作品の幅が広がってきています。2018年にはマリヤ・アリョーヒナの”RIOT DAYS"『プッシー・ライオットの革命』)が刊行されて驚きました。翌2019年は、シリアから逃れてきた作家の手記2018年に開催された参加者が女性だけの音楽フェス(※4)に関するノンフィクションなど、時事に即した内容の書籍が次々と刊行されました。対象とする読者層がぐんと広がったような感じがします。

 一方で、自身の生活の変化を投影した、テーグルンド兄のピアノ曲集や、祖母と小説の主人公、主婦として20世紀を生きた二人の女性について考えていくポッドキャストなど、兄弟たちの日常や身近な人をめぐる作品も発表されています。

(以下は書籍、レコード含めた、2018年、2019年の刊行リスト)

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※4:2017年に、音楽フェスティバルで女性に対する性差別や性暴力が多く起きていることが報道され、それを受けて女性コメディアンが「女性が安心して音楽を楽しめる、女性のためのフェスを来年開催する!」と宣言。2018年に実際に開催されたのがStatement Festivalです。スウェーデン語のみですが、ウェブサイトはこちら。https://www.statementfestival.se/

 音源、映像、書籍(紙、電子、オーディオなど)と多様なフォーマットで柔軟に刊行していくのも大きな特徴です。ポッドキャスト(文学に関するエッセイのようなものだったり、北部の時事問題を二人のジャーナリストがしゃべるものだったり)、オーディオだけのルポルタージュ(オーディオブックではなく、どちらかというとラジオのルポ番組のようなもの)など、「聴くこと」にこだわった作品も多くみられます。人気アーティストの歌詞をまとめた歌詞集も刊行されていますが、こちらは「通常は聴いて楽しむものを読む」という趣向。

(文学と文字による芸術に関するポッドキャスト)

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(Norrland=北部について語る不定期シリーズ「Norrlandspodden」)

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(Hello Saferide! や Säkert! で音楽活動をするアンニカ・ノリーンの歌詞集)

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 こうしたさまざまな作品から、わたしが勝手に感じているこの出版社の姿勢、それは「書かれなければ消えてしまうかもしれない声や記憶、瞬間を留めようとすること」です。

 人口が少ない場所で人々がどう暮らしているのかということは、都市での生活に比べて営みの人数が少ない分、あまり語られることがなく、忘れられやすいものです。決して有名ではない人々の日常の暮らしや気持ち、人々を取り巻く環境、そういったものが変化していくこと。いつか忘れられるかもしれないことだけど、それを残す取り組みをしておきたい。そんな想いがあるのではないか、と。そんな宣言がされているわけではないのですが、一読者としてそのように受け止めています。

 それを見事に体現したような作品”Osebol”が評価されることで、同社の活動自体も評価されているように思えました。これからの活動がますます楽しみです。

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(文責:よこのなな)

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