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コロナ禍でのオンライン通訳

お久しぶりです。今回は同じく言葉を扱うという仕事という括りで、通訳について、それもコロナ禍が始まったあとの仕事の形態がどう変わったかという体験談を書いてみたいと思います。

まずは少し昨年の状況について思い出してみます。
欧州で特に南の国からSarsCovid-19のパンデミックとなった2020年3月第一週、最後のお客様たちと4日間の対面での通訳を終えていました。
この方々はもうどうしても延期できないプロジェクトがあり、そのために来られていたのですが、社内調整も大変だったと伺っています。

その後、依頼のキャンセルや無期延期のメールがばたばたと受信箱に入ってくるようになりました。
年明けから半年以上、秋まで通訳やコーディネート(顧客の希望する訪問先に連絡し、スケジュールやテーマのすり合わせ)の仕事でカレンダーはそれなりに埋まっていました。
それが軒並み消えていきました。ここ数年の仕事の割合は、通訳やコーディネートが8割を占めていたため、しがない自営業の私は血の気が引くような思いでした。

さて、本題に入りましょう。
通訳も翻訳も訳すという仕事ですが、違うのは翻訳には締切はあれど、ある程度じっくり準備または再考ができること。いわばレシピを決めて材料を吟味(辞書なども駆使)して買物をし、きちんと見栄えのするお料理するイメージ。文字になると半永久に残ります。嬉しくも恐ろしいものです。
通訳はその場で辞書を引くなんて許されませんから(ここは後述もお読みください)、頭の中にある単語を全部使って、聞き手がなるほど、と分かった気持ちになるライブ感を持たせつつ訳していきます。上記と比べるなら、冷蔵庫にあるものでそれなりに食べられるものをぱっと作るイメージと言えば分かり易いでしょうか?つまり、通訳は消えものともいえます。(録画・放映される場面などを除いて)

また、通訳にもいくつか種類があります。テレビなどでスポーツ選手や芸能人の後ろについてピシッと目立たない服装の方が状況に応じて難解なやり取りを訳しているものや、国際会議でのブースでマイク付きヘッドフォンをセットし目まぐるしくボタンを押しながら重要な内容を同時通訳しているといったイメージをお持ちの方は多いと思います。
それぞれ通訳の中の一分野です。
最初の方法は逐次通訳(ちくじつうやく)で話者が話し終えた後、またはちょうどいい切れ目でその内容を訳します。上のテレビなどで見かける場面ではウィスパリング(聞き手の後ろから主に一方向でぼそぼそと同時に訳していく)の場合もあります。ただこれは左右隣にいる人が多いと結構耳障りなもので、大勢が参加するイベントだと事前にウィスパリングが入ると知らなかった同席者からいやな顔をされるリスクも無きにしも非ず、です。

逐次通訳は一方向(例えば英語→日本語、フィンランド語→日本語)だったり、双方向(〇〇語⇔日本語)もあります。一方向では、双方が公平を期して通訳を一人ずつ用意することもあります。

二番目は同時通訳。
これは読んで字のごとし、耳から入ってくるものを機械のごとく聴いたそばから訳していくものです。
集中力が求められるものなので、国際会議などでは10分~15分ごとに交代する2名体制を取っている事も普通です。ちなみに100%内容を拾い切るというのは、かなり難しいようです。
また耳に入った順から訳すので少々乱暴な例かもしれませんが、「私はこう思います。先週の会議で話された決定は改善されるべきだと。」といった英語の語順に合わせた(主語→動詞+目的語等)訳し方となっています。

逐次通訳では、日本語と同じく、「私は先週の会議で話された決定は改善されるべきだと思います」と日本語に沿った語順に脳内変換して訳します。ただ時間は話者が止まって待つので、単純計算で倍かかります。

同時通訳者二名を用意する予算がないという企業もあるので、海外に連れて行く通訳(または現地で依頼)が8時間とかランチや短い休憩をはさんでやり切る事もままあり結構消耗するものです。

そして、同時通訳と逐次通訳、どちらが難しくて優れている、ということはないと思います。逐次には逐次通訳の、同時には同時通訳の難しさがあるのではないでしょうか。翻訳でも産業翻訳と出版翻訳の優劣について議論されることもありますが、目に触れる人の数は違えど、どちらも言葉に対して読み手が分かるよう手を尽くすことに変わりはないと思います。

コロナ禍前はこうしたことをお客様と対面かつ帯同(ついて回る)でやっていました。日本の方は特に対面で会う事を重視される方が多いので、オンライン会議にすぐ適応しにくく、動き出すのに数か月かかったように思います。IT業界など、既に導入していたところもありますが。

雰囲気が変わり始めたのは9月ごろでした。
収束がまだまだ先で、年を越しそうだと日本のお客さんたちも悟り始め移行せざるを得なかった、ともいえるかもしれません。
「通信環境など不安だが、オンライン通訳ができるか」という問い合わせが入り始め、今では週に数日は午前の数時間日本との打ち合わせや通訳で埋まっています。(夏は、フィンランドは日本マイナス6時間)一年経って、こうしたビジネスがすっかり定着した感があります。ちなみにフィンランドでは、まだコロナ禍対策や企業の雰囲気でも、できる限りオンラインで、どうしても対面でないとだめなものだけ実施するというスタンスです。

私自身は通訳として使った事はありませんが、オンラインの同時通訳アプリ等もあり、特にウェビナー等で複数か国の参加者がいる、聞き手が英語などの言語理解が追い付かない場合に用意されるようです。
(この場合は音声で2回線必要でリンクも2つ用意されます)

私は学生時代に通訳学校の短い研修で同時通訳コースを受けたのみで、専業にできるほどの自信は正直無い為、昨年以降は逐次通訳が100%です。
出版翻訳をする場合は、私はフィンランド語から母語の日本語に訳しますが、通訳の場合は社員も多国籍であったり、聞き手の日本人にある程度英語が分かる方もおられると、逆にフィンランド語と日本語というよりは、英日通訳案件の需要の方が高いです。ただフィンランド語も常時維持する為、新聞等メディアは読みますし、国内の顧客と連絡を取り合うやり取りや電話の際もフィンランド語は相変わらずメインの言語として使います。
思い返すと、昨年も9割は日本語と英語の需要は高かったです。時差さえなんとかなれば、どことでもできるため、複数の国にまたがった仕事で、私もフィンランドからZoomやTeamsで参加して訳すことになります。お陰様で英国への留学時以来、久しぶりに各国の色んな英語に鍛えられています。

フィンランドは基地局機器メーカーのNokiaも(昔は携帯電話のノキアと言っていましたが!)ありますし、通信環境はかなり恵まれている方です。
ただ時々相手の音声が途切れたり、こちらが不安定になる事もあり、焦った事も何度かありました。


オンライン通訳をするようになって変わった事:
① これまではスーツやせめてジャケットにパンツといった服装で仕事をしていたのが、昨年は一度もジャケットにすら袖を通しませんでした! 完全にカジュアル化です。ジーンズを履くなんて学校などの教育現場へ行く時以外、ありえなかったのですが、正直とても楽です。(あっコロナ太りで入らないかも......)
② これまでは周到に前日までに自作単語メモを用意してのど飴+筆記用具数本+メモ帳サイズ違い数冊と専門用語集を分野に分けてお守りのように持ち歩いていたのですが、仕事部屋にずっと籠っているので机の周りが色んなもので結構積みあがっています。メモもエクセルの方が増えました。(手書きの方が記憶への定着はずっといいのですが)ビデオ会議ごと画面から見えない角度にそれらの山を移動しては戻すという状態です。(いや片付けようよ!) 
③ 更に、通訳しながら裏画面で分からない単語を調べるというずぼらさが身に付いてしまいました。インターネットの有難みですね。怠惰ですみません。

特に③のような習慣ができてしまうと、もう元に戻れない気がします。いけませんね。
もう一つ、首都から数時間離れた地方に住んでいるため、以前は首都圏を中心に年に40回家を留守にして数日あちこちを移動していたのですが、それもなくなり、以前に戻れる自信も全くありません。家族には仕事部屋にずっとこもっていると文句は言われますが、どれだけ移動に費やしていたのかと今更ながら考えてしまいます。

また、この業界だけではありませんが、考えてしまうのは、機械学習とAIの進歩でお役御免になるのはいつだろうか、という事です。既に観光や買い物などは翻訳アプリでコミュニケーションが取れるようになってきましたね。ただ、どの分野でもいえることですが、人の手が絶対必要になる所、細やかな配慮やさじ加減にAIが追いつくのはまだ5年はかかるのではないかと思っています。またトラブル時のきめ細やかな対応は、アプリ画面で機械的に訳が出るだけでは足りない事もままあり、観光やガイド面でもベテランの知識と判断力に勝るものは無いのではと思います。

さも自分が素晴らしい通訳であるかのような書き方をしてきましたが、失敗も多く経験しています。改まった場での通訳で突然お客様が言っていることが5秒分くらいすっぽり抜けた事もあります。ブラックアウト(停電)というたとえもありますが、その時の脳内は逆に真っ白で「ホワイトアウト」でした。すぐお詫びしながら、「恐れ入りますがもう一度その部分をお願いいたします」と繰り返していただいて事なきを得ましたが、いろんな汗をかいてきて、いわゆる面の皮は厚くなったかもしれませんが、初心を忘れず双方の一番伝えたい事に真摯に向かい合う気持ちは忘れずに行きたいと思っています。

さて、コロナ禍二年目も半ばを過ぎましたが、ウィルスが徐々に弱毒化し、耐性を持つ人が増え、世界中の行き来が可能になるまでは、まだ時間がかかりそうです。
移動によるCo2排出量等を考えると、移動ができるようになったとしてもオンラインでできる仕事はそのまま残って欲しいなと強く願う自分がいます。

(筆:セルボ貴子)

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