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アイスランドの地獄のひとつ

 アイスランドの「地獄」と言われれば、何を思い浮かべるだろうか。ヘクラ(Hekla)という火山に地獄への入口があるのだと、17世紀のとあるイタリアの修道士のように大真面目に話す人がいたら、きっと観光ガイドか何かだろう。

 アイスランドに地獄の入り口があると信じている人は、おそらく現代には(ほとんど)いないだろうが、いつからか「地獄」と呼ばれる場所は、アイスランドに複数存在する。ヴィーティ(Víti)という地名の付いているところなのだが、単に「ヴィーティ」という名前の場所が2箇所あり、ほかにも「長ヴィーティ」、「大ヴィーティ」、「小ヴィーティ」がある。

 この中で観光地として知られているのが、アイスランド北部のクラプラ発電所のすぐ先にあるヴィーティだ。第二の首都と呼ばれることのあるアークレイリから、車で約90分、ミーヴァトン湖からは約20分でたどり着くことができる。

クラプラのヴィーティ(Víti)

 小さな駐車場の目の前が陥没していて、その底には水が溜まっている。緩い地面を登っていくと辺りを見渡すことができるが、広がる光景はあまり地獄めいてはいないかもしれない。5月の上旬であっても所々に雪を残す荒野に連なる平らな山々、クラプラ火山の地熱を利用した発電施設につながっているパイプも見えた。底に下りていく道はなく、縁を歩いて一周できるわけでもないためか、長く留まる人はあまりいない。たしかに遠景を楽しむのでなければ、地面や斜面をまじまじと見るくらいしかやることはない。

クラプラ発電所へ続くパイプ
クラプラのヴィーティの縁から見上げて

 北極や南極を訪れた人は、その光景に魅せられ、再びその地に赴きたくなるのだと聞いたことがある。アイスランド北部のこの小さな「地獄」に心奪われる人がどれだけいるのか、訪れる人たちの記憶にどれだけ残るのかもわからない。ただ、すくなくとも自分にとっては、心がざわつく場所だった。防水ジャケットがうるさく鳴る寒風のなかに立ち尽くして、「地獄」の頂きから辺りを見渡した。怖い。美しさよりも、真っ先に怖いと思った。

クラプラのヴィーティの頂きから

 茫漠で寒々とした光景から目を伏し、来た道を戻って車に乗り込む。ジャケットを脱いで助手席に置いて、水分補給をしてからエンジンをかけた。山道を下って、クラプラ発電所を通り過ぎてすぐのところで車を止めた。あらかじめ決めていたのではないが、なんとなく温水に触れておこうと思ったのだ。

クラプラ発電所すぐそばの道の外れにあるシャワー

 道の外れにある温水シャワー。すぐ近くの発電所の所員も、誰が設置したのかはわからないもので、ときおりなくなり、そして再び現れ、何度か意匠を変えつつも、今だそこにあるシャワー。少人数でアイスランドを巡る観光客にとくに人気で、立ち寄る人が絶えない場所だ。

 たまたま今日は他に誰もいなかったが、晴れた夏場であれば、水着を着た旅行者がシャワーを浴びていてもおかしくはない。あいにく水着もバスタオルも持っていないから、飛び石の上を歩いて近寄り、お湯に触れるだけにした。

 高地の風で手袋ごしでも硬く張ってしまった皮膚が柔らかくなっていく。満足してお湯から離れて手を振った途端、風が吹いた。一気に手の温度が下がる。なぜだかまたすぐ「地獄」に戻っていきたくなった。


文責:朱位昌併


6月10日(土曜日)~ 6月18日(日曜日)、東京都の多摩市で「アイスランドウィーク 2023」が開催されます。
様々な催しが企画されており、ココリア多摩センター6階 レストラン街では、アイスランド写真展が予定されています。

「アイスランドブックフェア」や「アイスランドラム肉&お弁当販売」もあるようなので、興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください!

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