見出し画像

「手に負えない者たち」のこと

 少し前、女性史について発信するインスタグラムアカウントで、スウェーデンで近々公開されるという映画が紹介されていた。映画はデンマークのものだったが、同じようなことがスウェーデンでも起きていた、と書かれている。なんのことだろう、と思ったら、女子収容所と強制不妊手術のことだった。

 デンマークでは、女子収容所が1923年から1961年まで存在し、500人以上の女性が、低能である、あるいは、性的に奔放であるとして収容された。スウェーデンの配給元サイトにある資料には、そう書かれている。少し調べてみると、女性たちは期限のないままに収容され、強制不妊手術を施されることもあったことがわかった。
 デンマークでは1929年から1968年に強制不妊手術が行われ、1万2千人を超える人が対象となったという。1934年の法改正で、いわゆる精神薄弱者も対象となり、35年には本人の同意は不要になった。スウェーデンでも、1934年から1975年に同様のことが行われ、対象となった人の多くは女性だった。

 インスタグラムで紹介されていたデンマーク映画は、こうした事実を基にして作られたフィクション作品だ。映画のタイトルは「USTYRLIG」、スウェーデン語タイトルは「DE OSTYRIGA」で、「手に負えない者たち」という感じだろうか。監督は、マルー・ライマン(Malou Raymann)、2020年制作の初長編作品『パーフェクト・ノーマル・ファミリー』は日本でも公開されている。

「USTYRLIG」デンマーク版公式サイト

「USTYRLIG」予告編

 映画の舞台は1933年のデンマーク、パーティーやダンスが大好きな17歳の少女マーアンが主人公だ。予告編の冒頭には、ジャズで踊る、ボブカットのマーアンが出てくる。パーティーで出会った男性と親しくなる様子や、酒をあおる場面もある。そして、母親らしき女性から平手打ちをくらう場面も。
 こういった光景は、戦間期の若者を描いた映画や小説でもよく描かれている。最近の北欧の作品でいえば、『リンドグレーン』(こちらは1920年代)や『サーミの血』(こちらは30年代)でも、似たような場面がある。パーティーに出かけ、ジャズで踊り、酒を飲んだり煙草を吸う。これが、典型的な不良少女ということなんだろうな、と思った。

 だが、マーアンが孤島にある女子収容所に送られることになるくだりは、いまいちぴんとこなかった。罪を犯しているわけでもないのに……。

 そんなことを思いながら読んだ資料には次のように書かれていて、大きな衝撃を受けた。

「17歳のマーアンは生きる喜びにあふれ、もっといい生活を夢見ていた。踊りたいし、遊びたいし、周りが求める場所に留まってなんていたくない。労働者階級の少女が階級の境界を越えた付き合いをする、それは寛容されるものではなく、児童保護委員会の知るところとなる」

Pressmaterial De ostyriga

 問題とされているのは、踊って酒を飲むという行為そのものではなく、マーアンが貧しい労働者階級出身であることだ、ということだったのだ。そういえば、パーティーで彼女に声をかけたであろう男性は、仕立てのよいスーツを着ていた。身の程知らずの行動をするもの、わきまえない行いをするものは、反社会的と見なされる。そして、孤島にずっと収容され、それでも「更生」しない場合は、強制的に不妊手術まで受けさせられる。 

 サイトにある資料や予告編などから推測するに、収容所に送られる経緯はこうだ。
 まず、児童保護委員会が母親と面談し、マーアンは手がつけられない状態であると判断され、マーアンは児童保護委員会に「保護」される。児童保護委員は、マーアンは精神薄弱で反社会的で、みだらで無責任な生活を送っている、と上司に報告し、島での収容が決まる。
 児童保護委員との面談で、マーアンは意志の強い表情で(つまり「反抗的な顔」で)くだらない質問には答えようとせず、母親と話がしたいと言う。だが、委員は、母親にはもう決定権はない、これからは自分たちが彼女を保護するのだ、と伝える。ぞっとする場面だ。

 個人的に、19世紀後半から20世紀前半くらいまでの女性の生き方や運動に、いつも関心を持ってきた。未来を切り拓いてきた、いわゆる「わきまえない」女たちはかっこいい。もちろん、わきまえない女たちの多くは、上流階級出身者だ。それでも、わきまえない態度を取ることができること自体が、命にかかわるほどまでに特権なことであるとは、思っていなかった。

 ここまでわかったときに考えたのは、トーヴェ・ディトレウセンとアストリッド・リンドグレーンのことだった。

 この映画の主人公は、1933年時点で17歳だから、1916年か17年の生まれだろう。トーヴェ・ディトレウセンは1917年生まれ、同世代だ。
 トーヴェの自伝的三部作『結婚/毒』は、つい最近、枇谷玲子さんの翻訳で刊行された。まだ読めていないのだが、彼女のことはずっと気になっていたので、日本語で読めることがとてもうれしい。

 枇谷さんによる紹介記事や、ウェブ公開されているあとがき抜粋を読み、トーヴェが労働者階級出身であることが特別な意味を持つのはなぜだろう、とずっと思っていた。彼女がデビューした1930年代から40年代のデンマークで、労働者階級出身の作家であることは、そんなに珍しかったのだろうか、と。
 だが、映画の主人公マーアンのことを考えると、納得した。そういうことだったのか、低い社会階級の人間、特に若い女性が、身の程知らずなことを願ってはいけなかったのだ、と。そう考えると、トーヴェが経験したであろう苦労が身に迫るものとして感じられ、国民的作家として愛されたということもよくわかる気がした。

 アストリッド・リンドグレーンは、19歳になったばかりの頃に未婚のまま出産した。彼女はトーヴェよりも10歳年上、1907年生まれだから、1920年代後半のことだ。アストリッドは、スウェーデンよりも未婚の母にとっての自由が認められていたデンマークで出産し、こどもを養母に預けた。
 でも、なにかの状況が違っていたら、彼女も矯正施設に収容され、こどもを奪われ、未来への希望も奪われていたのかもしれない。彼女も、夜に踊りに出かけ、田舎町で早くに髪を短くした、いわゆる不良娘だったのだから。大きな農場の娘であったことで、守られていた面もあったのかもしれない。

 いずれにしても、社会にとって役に立たない、取るに足らない、厄介だ、とレッテルを貼られ、社会から排除されることは、どんな社会でも、誰にでも起きうることなのだ、と改めて思う。「よくない人間」を選り分けるのは、「よい社会」を作るという、「よい目的」のためだったのだから。
 でも、その「役に立たない人間」や「よくない人間」は恣意的に決められている。そして、そもそも「役に立たない」人間であっても、生きていていいはずだ。 

 本作はヨーテボリ映画祭で最優秀北欧作品に選ばれている。日本でも公開されることを期待している。

 映画に出てくる女子収容所は、Sprogø という島にあったそうだ。手元の地図帳を見ると、シェラン島とフューン島のちょうど真ん中あたりにぽつんと「スプロウ島」という小さな島があった。ここだ。
 「スプロウ島」で検索してみると、「スプロー島」という表記で、女子収容所について言及する文章がたくさん見つかった。映画化もされている、ユッシ・エーズラ・オールスンの人気シリーズ「特捜部Q」の4巻目『特捜部Q カルテ番号64』()に、この女子収容所のエピソードが出てくるそうで、その感想だった。
 この大人気シリーズも、読もう読もうと思いつつも未読なのだが、やはり読んでおかねばという気持ちになっている。

 (文責:よこのなな)

いいなと思ったら応援しよう!