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氷河を登って

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  この写真を撮ったのは、2020年2月初旬の午前11時頃、まだ極夜が終わりきっていないように感じる季節のことだった。ちょうど雲間から陽の光が射しはじめたとき、氷河の上にあった円錐状の突起のうえに立って辺りを見渡した。見える色は、氷河の青か、山崖の黒、もしくは雪の白、それと太陽のある辺りが少し赫い。麓の周囲に広がるアウトウォッシュ・プレーン(氷語:sandur)――氷河から流出した水流によって形成される平野――には、うっすら雪が積もっている。その雪を取り除けば、玄武岩の黒い砂利が顔を出すが、さらにその下には本体から切り離された氷河のかけらが眠っているところもある。死氷河(氷語:dauðís)と呼ばれることのあるその氷塊が溶けたら、そこここに大きな窪地ができるのだろうか。

 アイスランド南東部にあるヴァトナユークトル氷河(Vatnajökull)のとある氷舌の付け根から120分ほど登って、ここまで来た。砂利だらけで起伏の激しい麓までは四輪駆動車で来ることができても、そこから先は自分の足で一歩一歩進んでいかなければならない。特別な運動能力は必要なく、普段から階段を上り下りしている人ならば、途中で休憩しつつ登ってこられるだろう。けれども、登っている間は足を動かすことだけに集中した方がよいかもしれない。

「ここから滑り落ちたら、たぶん死ぬだろう」

 補佐として、氷河ガイドを先頭にした7人の隊列の最後尾にいた僕は、怖いもの見たさに来た道を何度か振り返ったが、その度に怖気で胸が反り上がった。下方のひび割れた氷河は、天に向かって突起を伸ばす背骨が何本も連なっているようだ。滑落したときの対処法は一応訓練しているけれども、いざという時に身体が動くかわからない。それに、滑り落ちた先がどこであっても、きっとろくなことにならない。余計なことを考えずに息をすこし切らせながら登っているのがちょうどよいだろう。

 登り始めて60分が過ぎたころ、それまで無風で穏やかな曇天だったのが急に変わって、頂きの方から寒風が吹いてきた。ジャケットの内側がこもらないように開けておいた脇下のファスナーを閉め、ニット帽の上からフードを被る。なるべく風が服の中に入り込んでこないようにしないと、すぐに凍えてしまう。風に吹かれた途端、体感温度が10度ほど下がった。幸いにも、風除けにちょうどよい氷壁があったので、そこで休憩を取ることになった。同行者たちとナッツ類やレーズン、干し肉などを交換して食べ合う。もちろん、水を飲むことも忘れない。

「零度くらいですね」

氷河ガイドがナッツを噛み砕きながら言った。

「もうちょっと下がって、マイナス3度くらいにはなるかもしれません。みなさん、手袋は持っていますよね?」

麓でもされた質問に、全員が頷く。氷河や山岳地に行くガイドは、手袋やニット帽、それからサングラスや防寒着の予備を持っていることが多いが、余計な荷物を背負わないで済むよう、登り始めるまえに持ち物は確認を入念に済ませていた。アイスランドで氷河を登るときは、最低限の装備として、雪山登山ができる丈夫な靴を履き、ピッケルを持って、ヘルメットをかぶることが求められる。もちろん防寒対策もしなくてはいけないので、手袋やニット帽も用意する。登り始めは多少寒くても、段々と身体が温まってくるだろうし、汗で身体を冷やさないように、着込むことは絶対にしない。それと、肌着とジャケットの素材にも注意した方がよい。

 何人かが休憩に飽きて身体を動かし始めたころを見計らって、あと10分後に再出発しますので、とガイドが告げた。リラックスするために靴を脱いで断熱シートに足を投げ出していた数人は、硬く重い靴に足を入れなおし、しっかりと紐を縛ってからアイゼンを装着する。ザックを背負い、腰骨あたりでベルトを締め、肩との位置も調整し、すぐに取り出せるところにサングラスがあることを確認した。全員の準備が整ったことを確認してからガイドが歩き出し、ひとりずつ続いて列になって登る。

 20分ほど歩いて、傾斜がなだらかなところに来た。目的地はもうすこし先なのだが、緩やかな円錐状の氷に一行の目が釘付けになった。見れば見るほど登りたくなる。そこは、標高200mほどの場所だったろうか。辺りの氷には、火山灰も砂利も殆ど含まれていない。みんなが同じ方を向いて、綺麗だ、青い、と口々に呟いた。

「登って大丈夫か、まず様子を見てきます」

そう言って少し離れたところに全員を移動させたガイドは、その場にザックを下してピッケルを置き、そして、円錐に向かって走りだした。身を投げに行くのかと疑うほどの勢いで駆け、瞬く間に頂上まで上がると、両手を広げて歓声をあげる。

「すごい! 撮ってくれ!」

大声で呼び掛ける彼にあっけにとられつつも、何枚か写真を撮る。満足したガイドが下りてきたあとは、希望者がひとりひとり順番に円錐を登っていった。僕の持っていた携帯電話は、寒風にさらされたこともあって、円錐の上で写真を撮る赤いジャケットのガイドと、上の方に溜まっていた火山灰らしき黒を撮ったら電池が切れてしまった。

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 全員が写真を撮り終わえ、円錐状の氷の突起を堪能したあとは、また黙々と氷河を登っていった。夏の間には氷河がいくらか融けるから、次の冬に同じ場所に行ったとしても、この円錐状の氷はなくなっているだろう。面積が約7.900㎢で、アイスランドの総面積の8%弱を覆うこの氷河も、温暖化の影響で縮小している。20世紀の平均的な気候が続いた場合、50年後には、この氷河の10%が消失すると予想されている。実際には、それよりも早いのではないか。数百年前に積もった雪からできた氷河が、数十年で消えてなくなる。固まったり融けたりする氷河の容量も、それが起こる時間の尺度も大きすぎて、頭が麻痺しそうになるけれど、自分とは無関係のことだとは思わず考え続ける。

 まず、自分の歩いてきた道のりで考えてみることにする。車を走らせてきた黒い砂利だらけの平野の一部にも、60年前には氷河があった。車を下りたところには、去年まで氷河があった。今日、足をかけた最初の氷は、約800年前は雪だった。そこから約2時間登って、50年か、もしかしたら100年くらいは若い氷の上まで来たかもしれない。そして、足元の氷河のなかには無数の水流がある。数日前の雨も、数百年間ものあいだ存在する氷が融けたものも混ざって流れている。

 ときに混乱したり頬を引きつらせたりしながら、気候変動や資本主義について同行者と意見を交わしているうちに、何もない目的地に着いた。遠くないうちに消えてなくなるだろう氷の上に断熱シートを敷き、昼食を取る。誰もがエネルギーを得ることだけを考えて作られたサンドイッチにかぶりついていた。たっぷりバターを塗ったパンに、羊の燻製肉が挟んだだけの簡素なものだ。雑に割ったチョコレートを分け合っていると、とりあえず来年もここに来よう、と誰かが提案した。反対の声はなかったが、「経験豊富で何度もそこに行ったことのあるガイドを連れずに氷河に行くことは絶対にしないように」と釘をさす声は飛んできた。しかし、この日一番危険な行動をしたのは、こう忠告したガイド本人だった。

―――

 今、環境問題やアイスランドの氷河について書かれた本を試訳しているのですが、今年の2月に氷河ガイドの補佐として行った氷河ハイキングが絶えず思い出されます。せっかくなので、そのときのことを書き留めてみました。

 アイスランドで環境問題について語るとき、真っ先に氷河や氷河湖のことが取り上げられますが、今取り組んでいる本の著者によれば、氷河について考えることは、時間と水について考えることであり、それは、人間に限らない生と、その持続について考えることでもあるようです。自分の祖父母が生まれた年から自分の孫が死ぬまでの時間が200年だとして、その間には何が起こりうるのでしょう。

文責:朱位昌併

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