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差別が無くなるワケが無いワケ

「差別を無くそう」「多様性のある社会にしよう」と言いながら
いっこうに差別は無くなる気配はないし、
多様性のある社会だなぁと実感することもまだまだ少ない。

でも、
それに憤慨して闘いを挑むのは実は不毛な争いで
そもそも「差別」ってのは「生物の生存本能」から生じているものなので
「差別をなくす」ことは「根本的には無理」
「無くならないもの」を「無くそう」という
本当は勝ち負けではない部分で「勝ち」にこだわるから勝てない
そもそも勝負の仕方が違っている。

 「差別」については
道徳的、性差的、人種的、職業階級的、外見的なんかの様々な観点から
色々な種類の差別があるけれども
すべての根底に共通するのは
「自分をおびやかすもの」
「安全と危険」という「差」をつけて「別」にするから差別

ちなみに差別を意味する英単語「discrimination」は
判別とか識別、鑑別って意味があるらしい。
危険か安全か鑑定しているってことだ。

「ヤツがオレを脅かすだって?そんなワケがあるか」
と言う人が必ずいるけれども
そんなこたぁない。ちゃんとおびやかされている。
おびやかされていなければ、差別して排除しようとはしない。

つまり差別は「自分を守るため」に行われる線引きなので
その判断基準はすべての個体ごとに存在してしまうし
人間が生物である限り「無くなる」ことはない
 
例えば
自分を中心とした「内側が安全、外側が危険」という円があったとして。

半径5のAさん、半径10のBさん、半径50のCさん

半径5のAさんにとつては5の円より外は全て敵だけれど

Aさんから見た世界

半径10の円を持つBさんからすると
半径5のAさんは
Bさんが差別していない内側の部分に境界線を持つので
「差別している人」に見える。

Bさんの世界は半径10の外側だけ敵なので、「Aさんは差別してる」となる

でも、半径50の円を持つCさんからすれば
AさんもBさんも、どちらも差別している人に見える。
というだけの話。

そしてその「半径」の長さは各個人ごとに異なるのは当たり前で
自分の外側にあるものへの対応する力が強い個体なら
「安全圏」は広くなるので大きな円になるし
生命力や生存力が弱く繊細な個体は
防御策として、境界線を狭くしたり、細かく設定する必要がある。

それはどちらが良い悪いではなく
「個体差」からくる必然的な自衛策なので
当たり前に存在する「違い」なワケで
個体差は「間違い」ではなく「存在の仕方の違い」という違い。

ちなみに「守るべきもの」という思いも差別の一つだからね。
自分の円の「内側にいるものを攻撃するモノ」を敵とみなすのだけど
「境界線の内側のもの」と認定するのは自分の主観でしかない。
「社会通念的に」とか「道徳的」にというのは理由づけで
何を円の内側に入れて、何を内側に入れないかは個人が差別をして決めている。

自分の円の中に、何を入れるか。何を円の外にはじき出すか。

その価値基準が
人種だったり職種だったり身体的特徴だったり嗜好だったりするだけで。
その「基準」は、自分が生きている「場所」で
自分が生き延びるために大事だと思う「価値」に置く。
だから「差別」自体は、
無くなるとか無くすとか、そういう問題のものではなく。

勝敗の問題ではないけれど、
どうしても勝ち負けにしたいのであれば「勝ち」のゴールを
「差別の撤廃」ではなく「差別の境界線の拡大」に置けばいい。
そこに生きる人たちの視界の中に「境界線」が見えないくらい円が大きくなれば
差別は、無いように見える。

その「境界線の拡大」が、
いわゆる「多様性の容認」ってやつなんだと思うのだ。

多様性は、要は「自分以外の円」の「存在がある」と認識することで。
自分以外の円を全て「敵だ」と認識するから世の中敵だらけ闘いだらけになる。
上の円の図だと、グレー(敵)の部分に何色があっても
円の外だから全部グレーにしか見えていない。

でもその半径5だった安全円が、半径6になると
視界が少し広がって、そこにあった「グレーでなない色」が見えてくる。
RPGで攻略した部分の地図が見えてくるみたいに。

そうやって「半径を広げても怖くないよ」と教えていくことが
大きな円をもつ人達の役割で、
大きな円をもつ人は
「何でそんな小さい半径なの?」「おかしい」「間違ってる」「円をひろげなければならない」と否定して強制するのではなく

小さな円の人が何を怖がっているかを知って
それが怖がる必要のないことだと
円の外の世界をきちんと見せてあげることが、やるべきこと。

それができるのが「教育」っていうもので。
それは机に座って教科書を読ませる「伝達」じゃなくて
人が、人に、「教えて育てる」
それが、学校の道徳ですべきことだし、家庭で親が子にできること。

そうして最大公約数でもいいから、なるべくたくさんの人の半径が
大きくなって地球くらいのサイズになったときが、
いわゆる「勝ち」
なのだと思うのだ。

以上、
「差別」は「無くすもの」ではなく「境界線を拡大するもの」じゃね?
というハナシ。

次回、ようやく「多様性を認めないと世界が滅びてしまうよね」というハナシ。

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