見出し画像

【50代の大学生日記 第28話】尖斉円健が最強の条件! ほんまに知らんかった筆の世界(後編)

 書道用品店のアルバイトの肉体労働が多忙で、今年の最重期から6kgぐらい減量。体調はよいのですが、夜は疲れてすぐに眠くなるし、休みの日も疲れてゴロゴロしているので、noteの更新も進まず、本業の学生のほうでも卒業制作で創作する小説の初回提出が7月に迫っているのに、あまり執筆が進まない今日この頃、このネタも前編を書いてから3週間も経って、ようやく後編のスタートです。

 タイトルの「尖斉円健」は「せんせいえんけん」と読み、良い筆の条件を表す言葉で「四徳(しとく)」とも呼ばれます。「尖」は穂先の尖り具合のことをいい、先に一定の弾力があり、毛にまとまりがあることが重要、「斉」は穂先の毛の長さにバラツキがなく先端が揃っていることが重要、「円」は穂先がきれいな円錐形で全体に調和がとれていることが重要、「健」は穂先のコシがほどよくあり、弾力があることが重要ということを表しています(諸説あり)。ネット検索で「せんせいえんけん」と入力すると医者や教師の役を演じる俳優遠藤憲一さんの写真が出てきますが・・・ エンケンさんとは関係ありません(笑)
まあ、確かにこの四つの条件のどれが欠けても、思い通りの線や太さが表現できなかったり、「とめ」「はらい」がうまく書けなかったりしそうなので、感覚的にはわかりやすいですね。筆の展示会で熊野の筆屋のおっちゃんが「この筆をつこうたら誰でもええ線が書けるけぇ、書道の先生から、わしらの商売があがったりになるけん、こげなええ筆はうちの近所じゃぁ売らんとってくれちゅうて頼まれたぐらいのええ筆じゃぁ」広島弁のセールストークで語ってましたが、尖斉円健に優れていればまさにこのおっちゃんの言うような筆になるでしょうね。

 さて、筆に使う獣毛の話ですが、楷書や篆書、隷書のような角ばった書体に使われる剛毛系の筆では、馬毛がポピュラーです。尾やたてがみや脚の毛が主に使われますが、特に「天尾」と呼ばれる尾の付け根のあたりの毛は弾力があるので太筆によく用いられます。

私が持っている馬毛筆たち

 行書や草書といった「曲線系」の書に使われる柔毛系の筆では、羊毛がポピュラーです。ただ羊といってもセーターなど衣類用の毛を取る緬羊ではなく、中国産の食用の山羊(「やぎ」じゃなくて「やまひつじ」)の毛が使われています。柔らかいだけではなく、毛に粘りがあって墨含みがよく、耐久性があるので筆にはもってこいの毛質だそうです。ただ柔らかさゆえに書くときの力加減が難しいという欠点があり、特に長鋒の筆だとへにょへにょで線を引くのも難しく、上級者向けだとされます。

私が持っている羊毛筆たち

 羊毛筆は柔らかくて力加減が難しいと言いましたが、扱いやすくするために筆の命である先端部には扱いやすい馬毛を使い、そのまわり(外周)に羊毛を巻くことで全体に柔らかくしたり、筆全体の墨含みをよくさせ、一本でどのような書体にも対応できるようにした筆が作られ、「兼毫筆」とか「兼毛筆」と呼ばれています。一般に馬毛の外周に羊毛を巻いたものが多いですが、写真のいちばん下の細筆は、中国筆によく見られる、紫毫(中国産黒うさぎ)の外周に羊毛を巻いた兼毫筆です。私もさきほど筆の銘を見て初めて知りました。

私が持っている兼毫筆たち

 他にも、狸(たぬき)鼬(いたち)なども使われます。狸は毛先が硬く弾力があるので馬毛以上に筆先に力がほしいときに使われるようです。鼬は尾の毛が仮名用の筆に使われることが多いようです。最近は「コリンスキー」と表示された筆を見かけますが、これはロシア産の鼬の仲間です。また中国筆で銘に「狼毛」と書かれた筆がありますが、これはオオカミではなくて鼬の毛です。中国語で鼬は「黄狼毛」と言うらしく、筆の世界では狼とは鼬のことらしいです。猫を筆にするなんて、猫のどこにそんな長い毛があるねん?と思ったら、猫の背筋の比較的毛足が長い毛は毛先近くが玉のように膨らんでおり、「玉毛」と呼ばれる仮名を書くのに適した毛なのだそうです。私も一本だけ「玉毛」の筆を持っていましたが、猫の毛だとは知りませんでした

私が持っている猫の毛の筆

 他にも珍しいところではクジャクなど鳥の羽を使った筆(実用というより観賞用?)や、竹や木を材料にしたものなどが市販されています。ただ創作書道では、段ボールやペンキ用の刷毛や歯ブラシや、麻ひもを束ねて作った筆など、墨を吸収して字を書くことができるものであれば、さまざまな材料でいろいろな表現ができます。私が持っている珍品といえば写真の竹筆です。硬いものなので、太い線はなかなか表現できませんが、硬質のおもしろい線が書けますよ。

珍品 竹筆

 最近はパフォーマンス書道で巨大な筆を使う光景をよく見るようになりましたが、巨大筆はほとんどがナイロン毛です。そりゃ、馬毛や羊毛で作ろうと思ったら、筆用に品種改良して尻尾が異常に長い馬でも作らなきゃできませんもんね。写真は職場の私の席の横にほうきのようにさりげなく掛かっている巨大筆です。展示会などの「にぎやかし」に持っていくぐらいしか出番がないので、ふだんは倉庫の片隅でこのように保管しているわけですが・・・ 身体のサイズが大きい私には邪魔でしょうがない(笑)

巨大筆

 最後に、唐突ですが、筆の各産地における生産形態について見てみましょう。熊野における筆づくりは「製造問屋」を中心に回っています。筆の生産者は個人事業主でさまざまな工程の職人さんであり、製造問屋が各職人さんに仕事を発注し、工賃を払って商品を完成させ、完成した筆を全国に卸すという仕事をしています。さっき登場した筆屋のおっちゃんも、自分で筆を作っているわけではなく商品企画や資材調達、営業、事業管理などをやっている人だったのです。ところが、川尻では、前編でお話ししたように筆の商売で成功した商人が村人に呼びかけて現地生産を始めたところからスタートしているので、ひとつの筆工場の中で工程ごとに分担された仕事を通して筆が完成するという流れになっています。しかし熊野のような零細個人事業とは違い、ひとつの会社なので積極的に機械化が図られており、効率的に生産されているようです。一方、豊橋はひとりの職人が全工程を一貫生産する「非分業生産体制」により筆づくりが行われているのが特徴です。熊野や川尻では出稼ぎに代わる農閑期の副業として筆づくりがスタートしたのに対し、豊橋は筆づくり専業で地場産業として発展した背景があり、小規模ながらも一貫生産をして自社の利益を確保しようとした流れがあったようです。

 というわけで、2回にわけて筆について見てきました。私が持っている筆がどんな筆なのかを改めて見た結果、自分の筆なのに猫の毛が使われていることをはじめ、筆の世界は驚くことがいっぱいで、ほんまに知らなかった世界で、新たに多くのことを勉強しました。ではまた次回をお楽しみに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?