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黄昏の六条通を歩く【嵯峨野ぐらし46】

 京都の通を端から端まで歩くシリーズの第5弾です。去年の7月に正面通を歩いてから早や11ヶ月・・・・・・。夏は暑いから冬に頑張って歩くんじゃなかったんかい!
 ということで、今回は六条通を端から端まで歩いてきました。ただ歩くだけでは芸がないので今回は黄昏時に歩いてきました。単にバイト終わりに、いつもはバスに乗って帰るところをちゃらちゃらと歩いただけのことですが・・・・・・。
まあ、言い替えると、ちゃらちゃらっと簡単に歩けちゃうぐらい短い通ということです。

 さて、六条通はその名のとおり、平安京の「六条大路」だった通なのですが、現在の国道1号線と国道9号線に加え、国道8号線も戸籍上は重複している五条通や、国立博物館や京都駅、京都水族館に東&西本願寺などのランドマークの近くを通るばかりか、中央卸売市場があり市民生活上重要な道である七条通のようなメジャーな通に比べると、極端に格下で、地下鉄や京阪電車でも五条と七条には駅があるけど六条はスルー、バスが走ってるわけでもなく、市バスには「烏丸六条」以外に六条と付く停留所はなく、その烏丸六条も市バスは止まっても京都バスは通過するという虐げられぶりで、京都市民でさえ、その存在をよく知らないぐらいの地味な存在です。実は私も、今日まで全く通ったことがありませんでした。ほんまに全くですよ全く。

 地味になった要因のひとつが、京都の街の歴史を語ると必ず登場する豊臣秀吉でして、実は五条通はもともと現在の松原通だったのですが、自身が極楽浄土へ行けるようにと、豊臣秀吉が亡くなる直前に最後の力を振り絞って建立した京都大仏(詳細は「嵯峨野ぐらし12話」をご参照ください)へ参詣しやすいようにと、秀吉が鴨川に新たな橋をかけ、「よし、今日からこの道が五条通だ! ワシが決めたからそうなんじゃ!」と言ったらしく、その日から四条と五条の間が長く、五条と六条の間が短くなってしまったようです。そんなわけで、六条通は大幹線道路の五条通に近く、あえて拡張する必要もなかったので今日まで拡幅整備されることがなかったようです。

六条通の東端 ひと・まち交流館
河原町通の六条通看板 右側は行き止まりだということを表現している


 六条通の東の端は河原町通との交差点です。今は上の写真のように「どんつき」に「京都市ひと・まち交流館」が建っています。このまま200mぐらい東へ進むと鴨川に突き当たるのですが道はありません。六条通の延長線上にある鴨川の河原は「六条河原」と呼ばれる刑場跡で、石田三成をはじめ多くの武将が無念のうちに最期を迎えた場所でした。心霊スポットでないのが不思議なぐらいです。
 そして、今の六条通東端のあたりは、源融(みなもとのとおる)「河原院」と呼ばれる豪邸があった場所だとされています。北は現在の五条通から南は六条通まで敷地が広がっていたというから大豪邸です。源融(以下、一昨年に急逝された、漫才の酒井くにお師匠を偲んで「と~るちゃん」と呼びます)は嵯峨天皇の皇子にして、源氏物語の光源氏のモデルになったといわれるエロいお方で、この屋敷を「春の町」「夏の町」「秋の町」「冬の町」に分けてそれぞれに妻や妾を住まわせたことが(史実かどうかは別にして)源氏物語に描かれています。と~るちゃんは贅を尽くした生活をしていたとされており、陸奥の塩竃(今の宮城県塩釜市)の製塩の話を聞いて、「美味いメシを食いたいからウチでも塩を作るぜ!」と尼崎から毎月30石(約5.4トン)の海水を運ばせて庭で焼き塩を作った話などが伝えられています。計算上、月に150kgぐらいの塩ができたと推定されるのですが、これを商売にしていたのでしょうか? と~るちゃんの女子への(エロへの?)執着は半端なかったようで、彼の死後も河原院にはいくつもそちら系の怪談話が残っています。「今昔物語集」には宇多上皇が河原院に宿泊中にと~るちゃんの霊が現れ、「ここはワシの家やぞ、何してこましとんねん、おらー(意訳)」と言うので、「おどれの息子からもろたんたやんけ~だぁっとれ、おらー(意訳)」と言い返すと、霊が消えてしまったという話や、東国から上京した夫婦がここで野宿しようとしたら建物の中から出てきた手に妻が捕らわれて引きずりこまれ、夫が戸を壊して助けに行ったところ、すでに妻は血を吸いつくされ絶命していた話が書かれ、「紫明抄」には宇多上皇が愛人と月見をしてたら建物から出てきた手に愛人を捕らわれ、「誰じゃお前は?」と叫ぶと「と~るちゃんだよ~!」と返答があり、愛人は解放されたがすでに死んでいたことが、「江談抄」には宇多上皇が愛人とエッチな夜を過ごしていると、「ワシもした~い、交代しろ~(意訳)」と声がし、上皇が「イヤじゃ~このボケ~!(意訳)」と断ると愛人はぐったりとしてしまい、あわてて上皇がウチに帰って祈祷師を呼んで拝むと、霊が退散し愛人は息を吹き返したという話が描かれています。
 河原院の話はこのあたりにしておいて、六条通を東へ歩いていきましょう。

黄昏の六条通

河原町通から烏丸通までは自動車も通れる道幅があり、住宅と店屋さんが混在している、どこにでもありそうな町並です。

烏丸六条のセブンイレブン

 しかし、烏丸通より西は写真のセブンイレブン横に写っている歩行者専用の細道になり、あたりは住宅密集地になります。
 余談ですが、セブンイレブン横の「白線が2本だけの横断歩道」は、全国に3ヶ所しかない「日本一短い横断歩道」のひとつだそうです。(諸説あります)

日の丸漢方&歯科医院


 室町通の角に日の丸歯科という歯医者さんがあったのですが、写真のような木製の古めかしい看板に「丸に日」のマークと「日の丸」の文字が彫ってあり、江戸時代から続く、由緒正しい歯医者さんのようで驚いたのですが、看板をよく見ると、右から左へ「日の丸漢方」と書かれています。あとからHPで確認すると、看板のかかっているところは、明治30年創業、京都では昭和25年から開業されている漢方薬屋さんで、現在は隣で息子さんが歯医者を開業されているそうです。何より驚いたのは、院長先生の名字が「日丸さん(ひのまるさん)」で、日の丸という屋号は実は本名だったということでした。

六条商店街


 さらに西へ進み、新町通を超えると自転車がどうにかすれ違えるぐらいの細道になりますが、カラータイルで舗装された商店街になっています。今は開けている店も少なく、京都駅に近いこともあって、外国人向けの簡易宿泊所に商売替えされているところも目立ちますが、「六条商店街」といえば、以前はかなり栄えていたようです。(と、テレビで森脇健児が言ってました)

六条醒ケ井 もうすぐ終点
聞法会館


 この商店街を抜けると、堀川通に出ます。正面には西本願寺の聞法会館が建っており、六条通はここが西の終点になっています。ちなみに「聞法」は「もんぼう」と読みます。何回聞いても忘れてしまう・・・・・・。会館は西本願寺直営のお安く泊まれる宿です。豪華な精進料理を三食いただけるレストランもあります。
 西本願寺より西側の延長線上にも通があるようですが、「丹波口通」と呼ばれており、「六条通ではない」と扱われることが多いようなので、今日の散歩はここまで。六条通を東端から西端まで、約1kmの歩き旅でした。といっても、堀川六条にはバス停も何にもないので、そのまま四条大宮まで歩き。バイト先から四条大宮まで約45分。意外といいお散歩コースだったので、ときどきはバイト帰りにまた歩いてみたくなりました。ではまた。

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