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確定申告ができるぞ!【めざせ確定申告! 職業文筆家への道 第3話】

 私の今年の目標は創作活動で確定申告できるぐらいの収入を得て、職業「文筆家」を名乗ることだったのですが、なんと創作活動の収入があってもなくても確定申告をする運びとなりました。
 どういうこと? いや~、すっかり忘れていましたが、私 もうすぐ60歳だし「年金保険」がもらえるのです。いわゆる「つなぎ年金」ってやつです。一応、早期退職するにあたり、今後もらえる保険や年金や財形貯蓄なんかを全部洗い出して計算したはずなんですが、バイトの年収160万円で何となく生活できているので、年金にはあまり期待しておらず、さほどアテにしてませんでした。でも年金がもらえるんです。

年金開始のしおり


 思えば「年金保険」に加入したのは1992年。当時は再雇用制度もなく、60歳で定年を迎えて会社を去るような先輩たちは見るからに「おじいさん」で、髪の毛は真っ白だし、度のきつい老眼鏡をかけてヨロヨロしてるし、退職後に再就職しようなんて人はめったにおらず、当時はまだあった「ご退職回章」の「退職後の動静」の欄には、たいてい「自宅静養」と書いてありました。まあひとことで言って当時の60歳は今の60歳とは比べものにならないぐらい老けていたのです。
 一方で、公的年金の支給年齢は1989年に国会に提出された改正法案が1994年から施行されようとしており、私たち世代は早くても65歳からしかもらえないことが確実になっていました。この法案改正の狙いは、「平均寿命が延びたので今のままの制度では財政が破綻してしまうから何とか手を討たなあかん。とりあえず開始年齢を先送りしよう」というのがメインで、現在のように60歳で引退する人はめったにおらず、65歳まで働くのが当たり前の世の中になるだろうなんてことはいっさい言及されていませんでした。
 つまり、当時の私たち世代の若者は、「60歳になったら自分らもあんなおじいさんになって会社を辞めさせられるのに、年金は65歳からしかもらわれへん。この5年間はどないして生活すんねん?」という問題に直面していたのでした。
 そのニーズに応えて登場したのが、生命保険会社の「年金保険」でした。私も外交員のおばちゃんに「退職後のことも今のうちからちゃんと考えとかんと、えらい目に遭うのよ。もりおさん、契約しましょ。さ、ここにハンコ押して」と口車に載せられ、生命保険に加えて年金保険にも入ってしまいました。余談ですが、この外交員のおばちゃんは、当時は流行りのボティコンスーツでキメてましたが、それから30年以上経っても見た目はおばちゃんのままで相変わらずボティコンをキメているいう年齢不詳の妖怪のような人で、結局私が退職したあとも、まだ現役の外交員としてバリバリ働いてました。あんたこそ年金なんていらんやん。

予定利率5.5%


 さて、この年金保険、加入したのが1992年、つまりバブル真っ盛りだったのが大きなポイントでして、なんと「予定利率:年5.5%」という、保険会社からしたらもはや反省するしかないような条件で契約しておりまして、これまで32年間私が払い込んだ保険金の合計に対し、今後10年間で私がもらえる年金の総額が2倍以上にもなるという、今では考えられないようなおいしい条件で運用していました。「いい時代に就職してよかった! 複利計算バンザイ!!」としか言いようがないですな。
 保険屋さんから、「年金支給開始年齢を後ずらしして、このまま据え置くと、その間にお預かりしたお金を運用して、支給総額をもう少し増やすこともできますよ」と勧められましたが、送ってきた資料にも運用利率の具体的な数字は書かれておらず、詳細はHPを見てくださいとのことだったのでHPを探しまくってみたら、年0.001%と小さい字で書いてありました(笑) それなら、競艇につぎこんで増やしたほうがよっぽど期待できるやん。すぐに支給してもらうぞ!
 ということで、私はもうすぐ「年金生活者」(ただし、額はバイト収入以下)になりまして、年金所得は「雑所得」になるので、来年は確定申告をしなければならなくなりました。あぁあ、年寄になったな~ やだやだ。
ではまた。


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