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土の匂い

ご縁あって沢田研二さん主演映画を一足先に観た。
映画『パイナップル・ツアーズ』や『40歳問題』でもご一緒した中江裕司監督の新作。中江さんが沖縄を離れて映画を撮る、しかも、長野かどこかの雪深い場所を背景に、作家が畑で採れる野菜を使ってこさえる精進料理のあれこれと四季のうつろいを淡々と丁寧に撮っている。過剰なアピールもなく、大袈裟な料理も出てこない。淡々と作家は四季折々の畑の収穫物で何かしらを丁寧にこさえているのだ。そこが気に入った。そして何より、沢田研二の語りが抜群にいい。
思わず目を閉じて、ウトウトと聞き入ってしまうほど、ええ!それじゃ映画が目に入らぬではないかと慌てるも、また思わず目を閉じてうっとり聞き入ってしまう、それほどに、素晴らしい。ラジオとかで沢田研二の語りだけの長寿番組を作ってほしいくらい、この人は声というか、言葉と言葉をリエゾンする時の発声というか、語りが本当に素晴らしい。その声からは、本人以上に役柄である作家ツトムの研ぎ澄まされた一面が見えてくる。土の匂いも漂ってくる。太陽を盗んだ男は、土の匂い漂う男になったのだ。土の匂いのする男といえば、私のイメージとしては、西部劇、西部開拓時代に生きる男だったりするのだが、最近は、バルトのあたりも土がいいらしいので、フォーク的に考えると、土の匂い漂う人というのは、なんだか素でシンプルで最先端でかっこいいと思ったりするわけで。

映画に出てくる畑で採れた野菜たち、それを使ってこさえる精進料理の数々を生唾を飲みながらお腹すいたお腹すいたと、翌朝は早起きをし、米を研ぎ、文化鍋で飯を炊いた。ついでに余った大根の切れ端でお汁も。味噌はほんと偉いなあとか言いながら。

蟹の穴があいた炊きたてめし

ふと、土の匂いを嗅いで育った幼少期を思い出した。
園芸好きの父のおかげで家にはいつも植物がたくさんあった。
父は土に異様なまでに執着した人で、素人ながら、土を育て作っていた。
関東ローム層の赤土。腐葉土作りのため、秋深くなると、団地の公園に落ちる欅の枯れ葉拾いに駆り出された。またね!と一緒に遊んだ友達はおうちに帰ってゆくのに、私は竹箒をもたされ、父と弟と枯れ葉を掃き集めるのだ。
「焼き芋を焼いてやる」という褒美につられ食い意地のはった私は一生懸命枯れ葉をせっせと掃き集める。次第にあたりはだんだん暗くなり、ひんやり冷えてくる。毛糸のカーディガンの袖口をにゅうっと伸ばして手のひらに巻き付けながら箒のエをもって、これでもかこれでもかと枯れ葉を集め袋に詰めた。疲れて真っ暗になった頃、ほら焼き芋やるぞ、と父に急かされたが、もう帰りたいと駄々をこねた。友達のいない闇に包まれた公園はなんだか寂しげでこわかったのだ。父の土への執着は異様で、その植物にあったさまざまな土を育てていた。団地の小さな庭にはそんな父がこさえた土が良すぎたせいか、いやそれは全く関係ないのだが、後々取り壊しが決まったというのに、たくさんあった団地の中に1棟だけ残ったのが当時住んでいた棟だった。リニューアルされたというので物見遊山に覗いてみたが、小さな庭も芝生も青々と残っていたのには驚いた。

団地を後にマイホームを建てた父は余生を家庭菜園以上の畑仕事で楽しんだ。
そこでも土をあれこれ育てていた。父が死んだ後、畑をしばらく様子見ていた時があった。主の消えた畑はなんだか奇妙だった。主は現れぬというのに、野菜や果物だけは勝手にどんどん成長するのだ。当たり前なのだけど。溜め込んだ農具や廃材などのトタンの影に肥料と混ぜた小さな泥団子がたくさん干されてた。まるで小さい子がこさえて隠し持っていた出陣を待つ武器のように静かに並んでいた。ある時、父は耕した土を食べ、ペッペと吐き出すと、これじゃダメだとかブツブツ言ってた。何してたんだあれって。そんな横顔も記憶から蘇った。

父の農園には四季折々いつもたくさんの収穫物があった。それを丁寧に料理するのは母。母は器用だったので採れたて野菜をいつも上手に料理して送ってくれた。どうせ料理なんかしないんでしょ?母の予感は大外れ。誰に教わったわけでもない私の里芋の煮物をうまいと褒めたのは父だった。私は母の味を舌と目、そして台所に立つ母の動きで覚えた。

ある時、里芋の収穫期がきた。
父はもう死んでいなかったので私が夫を駆り出して収穫した。父の畑でまさか自分が土いじりをすることになるとは。温かな土にたわわになった里芋堀っていると、太いミミズがにょろり顔を出す。肥沃な土を食べて育った丸々太ったそいつは父じゃないかと思う。昼の憩いを聴きながら、結んだ塩にぎり飯とお茶で昼飯。芋が乾くまでしばらく新聞紙を敷いて畑の土の上で昼寝した。ポカポカと温くて、寝転んだ私の体がぐんぐんと土に根を生やすような、なんだか不思議な気分だった。土に還るということはこんなことなのか? 土の匂いを嗅いだのはあれ以来ない。


慣れない畑仕事
里芋大収穫

沢田研二さんの映画を見た時、幼少期から遡る私が知っている土の匂いの記憶を思い出したのだ。不思議だな。映画の中にあるような木の道具で洗ったりはしなかったものの、皮を剥かずに食べられるように母は丁寧に洗っていた。
里芋は日持ちするからと、たくさん送られてきたが、人に分けたり腐らせたりしたこともあった。それがバレると父はものすごい怒った。当時は何さ怒りん坊と思ったが、今はその気持ちが少しだけわかる。私に土の匂いごと届けたかったのだ。
芋は土になっているんだということ。そして俺が手塩にかけて育てた土なんだぞという自慢もよろしく。もう父の里芋はない。畑もない。父が座って野良仕事をしてたカタコト動く車輪のついた作業椅子ももうない。彼は墓の中で土となって眠っている。

そんな忘れていた記憶を呼び覚ます映画だった。
土は尊いんだな。


蛙の傘になるような大きな里芋の葉っぱ


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