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「ラブ・デイの豆腐びけーん」 ♯2 ニャーリーへの手紙

ニャーリー、君が居なくなった弥生から卯月になったよ。
雨の多い季節。まさに君が小糠雨降る道玄坂で拾われた頃だ。
陽だまり猫ちゃんだったけど、濡れるのも好きだったよね、きっと雨の日にほっつき歩いていたせいなのかな。中国の古い詩に大好きな歌があってね、清明の時節雨粉々から始まるんだ。10代から中国語で韻をふんで読めるんだよ私これ。それくらい好きだ。杏花の村に行きたいなあって、君を連れて。まだ天国に旅立ってない君をさ。君は実際にはいつも家にいただろう。相棒として、スタインベックのチャーリーじゃないけど、あたしは君をそんなふうに傍にどこへだって旅したかったんだ。

沖縄にいるよ今。
仕事の用事も含め、大事な約束があった。
大事な約束は、宮里千里さんの豆腐びけーん。
千里さんは「シマ豆腐紀行」を書かれた方で、ある時、豆腐の話をもっと聞かせてほしいとおねだりしたら、話よりも豆腐をたくさん食べましょうとお誘いを受けたんだよ。そしたら、豆腐だけの席をもうけますからお家に招待されたんだよ、すごいよね。豆腐だけ。沖縄のことばで、「豆腐びけーん」っていうんだよ。びけーんってなんかかっこいいじゃんか。

千里さんの家は、金城の石畳に続く、真珠道のちょっと入ったとこにあるんだ。猫が似合いそうな石畳で、繁多川をこえて識名をこえ、国場川の真珠橋にまで続く、琉球時代からの軍用道だというんだ。首里城からのインフラ整備はこの時代からちゃんと整っていたんだ、すごいよね。千里さんのシマ豆腐紀行にもあったけれど、繁多川界隈には豆腐屋がたくさんあったんだよ。今はもう数軒しかない。時代かねえ。そんな千里さんの家で、豆腐びけーん。清明の時節に、そんな歓待を受けるって、これって凄いことだよ。ある意味、祭祀的な、豆腐の清明祭とでも言おうかしらね。ああ、豆腐の清明節。いいねえ。どんな料理が出てくるのかしら。豆腐は何にでも相性合う、蒸してよし、炒めてよし、なんでもありだ。しかも主人の三線と歌もついてくると予告されたから、もう楽しみで仕方ない。機嫌よいときに君がするように猫のように尻尾立てて石畳を歩いたんだ、まさに君と一緒に。

愛情の籠った歓待。琉球の、または戦前の、その時代に遡ること。歓待とは?と妄想を張り巡らし豊かで風味絶佳な時間を共有できる愛しさよ。千里さんの家に辿り着くまでには、石畳、あっちこっちの家に踏ん張る濡れたシーサーたち、ブーゲンビレアをはじめ雨の雫をぷるんとのせた花たちがお出迎え。

早速テーブルには主人による豆腐料理の数々に舌鼓をタンタン打ちながら、久しぶりに集まる顔ぶれになんだか私はほっとしたのだった。あったかくて柔らかくて白い豆腐。豆腐って幸せだよなあ。角にぶつけても痛くないし、死なない。ほろっと崩れるけれど、絞って蒸された豆のどこか福々しい味わい。白くて優しい。口に含むと多幸感に包まれ、平和だなあとすら感じる。世の中はこんなふうに平和だったらどんなにいいことだろうとすら考える。ニャーリーは豆腐はあまり好きじゃないけどここんちの雰囲気は好きだろう。バリの竹でできた大きな椅子に丸まって寝息を立ててぐうぐう寝ている姿を、知らない家なのにすっかり自分家ふーじーして尻尾てて歩いている君の姿を見かけたよ。きっと千里さんちは居心地良くて気にいるだろうと思った。

話好きの大人が6人。琉球から世界へと話題は多岐に。
いろんな話をした中でも、瓶詰めのスクガラスの話が印象を残した。
何かっていうと、瓶詰めのスクガラスのスクが昨今綺麗に整列していないんじゃないかという話だった。公設市場の隅で、ちまちまとスクをガラス瓶に一生懸命慎重に詰めている女性の姿はもう見かけなくなった光景だ。そもそもスクガラスの瓶詰めのスクたちはなぜあんなに綺麗に整列しているんだろうか。そういえば、スクは綺麗に整列しながら群をなしてやってくる。先導的存在の大スクを先頭に。その大スクはちゃんと呼び名があるらしい。そしてそれにあやかると幸運に恵まれるとも。スク漁は今年は随分後じゃないか。そうだそうだよ、浜降りもまだなんだから。しかし、スクってなんで整列してるんですかね。こうして豆腐の上でも整列してる。ほんとだ。一同整列しているスクで笑う。だから宴席の卓にあった整列してない瓶詰めのスクを見て、なんだか怪しいぞと睨みをきかす。この整列してないスクは市場の食の時代を予感させる。整列していないスクはスクじゃない、そんな気にすらなってくる。
ええい、うるさい、瓶詰めする方の身にもなってみてごらんなさい、そんなふうに叱咤されそうだ。でも、スクは綺麗に整列され瓶詰めに収まっててほしいのだ。それが、スクに対する敬意でもあり、スクを単なる雑魚の発酵モンじゃないぞと、島ならではの名産品なのだと威風堂々陳列されてこそじゃないだろうか。


ある日の琉球新報のスク記事

それにしても、豆腐びけーんの料理の数々を頬張り、シマ酒にハイを交えながら話題は尽きない。奄美の、米軍の、沖縄における民藝、焼き物、世界中に散らばったうちなー移民の、そして、歌手の松田美緒さんの世界中に散らばって失われつつある日系移民の歌声に至るまで。実に豊かで、風味絶佳なひとときだった。

奇しくも4月1日のその日は読谷に米軍上陸の日。
戦争以前、以降。今は読谷にやちむんの里があるが食を盛る食器すら失われた市民に米軍は焼け残った壺屋にて食器を作らせた。現在の壺屋やちむん通りあたりがその名残。昨夜豆腐を引き立たせるやちむんの一つ一つに、戦前戦後の沖縄の陶についても考えさせられた。
陶という字にはいろんな意味にも繋がりがある。

①すえ。やきもの。せともの。「陶器」「陶芸」 ②人を教え育てる。「陶冶(トウヤ)」「薫陶(クントウ)」 ③たのしむ。うっとりする。「陶酔」「陶然」 ④うれえる。心をふさぐ。「陶鬱(トウウツ)」


4月1日の米軍上陸の模様を写真で見ただけだが、思い出す。
あの読谷の海岸。
ノルマンディー上陸がDデー、沖縄でのそれは、ラブ・デーと呼ばれた。だが愛という考えの入り込む余地が無かったと米軍記者の記述。
私は、愛に包まれた今宵を大事に抱えた。猫を抱くように。
楽しい夜も深くなったところで、おひらきとして、次回また再会を約束し、千里さんの家を出たら、雨は止んでいた。
頭上に月。ほんのり虹の暈を纏った月夜に、陶然となる。
月虹、月光環とかいうそうだね。
ニャーリー、私は幸せだよ。
こんなにステキな4月1日をこんなにステキな人たちとそして傍には君もいた愛あるひと時を、私は忘れないでいたい。
世の中世知辛いし、戦争は終わらないけれど、
こんなふうに豆腐びけーん食べて、豆腐の清明節を祝って、シマ豆腐のいく末にも、そして、スクガラスの瓶詰めの整列されてないのに危惧しながら食や市場のまたは街の在り方を考えたり、国というアイデンティティは大事だけど、同じ地球に生きる生物として、諍いよりは信頼を、敬う気持ちを、と、思ったんだよ。

集まった人々のそれぞれに人生があって時間が共有されるって、尊い瞬間をやわらかな豆腐は繋いだのだなあって、しみじみ。本当の意味でのラブデイは“諍い”をしないことだ。互いを理解するために譲歩をし尊重でき信頼できたらどんなにいいことだろうか。そんなことを思いながら帰路についた。


これはいつだったかの写真で昨夜のじゃない、昨夜のはもっと綺麗だったよね

さあ。うりずんの季節。
ニャーリーを連れてどこゆこう。
ニャーリーとの旅。旅は始まったばかり。
ああ、お腹いっぱいだ。お腹だして、ゴロンゴロンしよう。




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