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悪意のある、完璧ではない世界を選ぶこと(『君たちはどう生きるか』の感想と考察)

(ヘッダー画像はスタジオジブリ公式Twitterが利用を許諾している画像です。)

ジブリの『君たちはどう生きるか』を観てとても感動したのですが、ネタバレ防止のためTwitterには書けないので、頭の中の整理も含めてここに思ったことを書いておこうと思います。

※以下、感想・考察のためネタバレあります※


1 母親の突然の死と新しい家族

ストーリーは大きな火事で主人公眞人が母親を失ってしまうという衝撃的なシーンから始まります。そして、時代設定が戦時中で、眞人が疎開すると同時に、亡くなった母親の妹ナツコが父親の再婚相手となり(いわゆる逆縁婚)、新しい土地で新しい家族との生活が始まるところまで一気に序盤のストーリーが進みます。

眞人は母親を失ったトラウマから、火事から1年後の疎開生活開始時にも頻繁に悪夢にうなされるような状態ですが、ナツコには既にお腹に子どもがいて幸せそうにしており、父親も新しい工場の経営をバリバリこなしながら公私ともに上手くやっている様子で、誰も眞人の心の痛みに気付いていませんでした。眞人自身も、礼儀正しく従順で感情表現をしない寡黙なタイプのようで、周りに直接SOSを出すこともなく、しかし夢の内容からは眞人が相当に苦しんでいることが分かります。

そのような苦しみは、抑え込んでいてもどこかから吹き出すもので、それが悪夢だったり、周囲の気を引くための自傷行為(新しい学校で子どもたちから喧嘩を仕掛けられた後に自らのこめかみを石で殴る行為)に繋がったりしたのだと思います。そんな新生活の中、眞人はアオサギと出会います。

2 塔の中の世界、トラウマからの再起

最初に登場した時には神秘的な雰囲気さえあったアオサギですが、そのイメージは眞人がアオサギと対面する度におもしろいくらいに崩れていきます。くちばしの中に別の目が見えたり、変な声でしゃべり出したり、怖ろしい存在なのか面白い存在なのか観てる側がどう感じればいいのか困惑するシーンが続きます。

しかし、不思議と序盤で眞人のトラウマや孤独に共感してしんみりしていた気持ちが、知らぬ間にアオサギに対する好奇心へと移り変わっていきます。これは、眞人自身の気持ちの変化と同じだったのではないかと思います。つまり、母親を失ったトラウマや馴染めない新しい生活から気を逸らせる存在として、アオサギへの執着に近い好奇心が眞人の中に生まれました。

アオサギに誘われて眞人はお屋敷の裏にある塔に入ります。そこからこの塔の中の世界が物語の主な舞台になります。塔の中の世界で眞人は不思議な体験を多くします。殺生ができないという死んでいる者たち、生まれる前の人だというワラワラ、眞人を襲う巨大なペリカンやインコの群れ、そして何よりも不思議なのは、塔の中の世界に現実世界と「同じ」人たちがいることでしょう。

「同じ」と言っても、概念として同一人物ですが、年齢やその世界での属性や生活は全く異なります。姉御肌でかっこいい漁師のキリコや、ヒミ様と呼ばれ火を操る強力な力を持つ亡くなったはずの母親。これらの人物やアオサギと一緒に塔の中の世界で旅を進める中で、眞人の固かった表情が自然と柔らかくなってゆき、感情表現も豊かになり、良い意味で子どもらしい面が見えるようになります。

そして、産屋でナツコを助け出そうとするシーンで、眞人は母親を助けられなかった経験を再体験する中で、ナツコを「ナツコ母さん」と呼び、ナツコと心が通じ合う瞬間が描かれています。結局このシーンではナツコの救出はできませんでしたが、そのような結果とは無関係に、眞人が気持ちの上でナツコを新しい家族として受け入れ、母親を失ったトラウマから立ち直ったことが重要だったのだと思います。その証左に、その後、眞人は大叔父(ストーリー上ではある種ラスボス的な存在として描かれていた人物)と対峙しますが、その際にも眞人は自分の選択に一切の迷いがない様子でした。

3 眞人に迫られた選択

大叔父は、石との契約により自分の血を引く人間の中で後継者を待っていたようでしたが(このためアオサギを使って眞人を塔の中に誘い込んだり、インコ大王が同じく血を引くヒミを大叔父との交渉材料に使えると考えたのだと思います)、大叔父が望んでいたのは眞人に後継者として穏やかで平和な世界を作ってほしいというものでした。しかし、眞人は、いとも容易くこの要求を断ります。

理由は、こめかみの傷を例に挙げて自分にも悪意があるからというものでした。ストーリー終盤の大叔父とのこのシーンになって、急にこの「悪意」という言葉が使われ始めます。眞人によると墓石と同じで石には悪意があり、こめかみの傷も悪意の表れとのことです。大叔父も悪意については十分に理解しているようで、穏やかで平和な新しい世界を作るために、長年かけて悪意のない石を集めていました。

これらの言動を集約すると、「悪意」とは穏やかで平和なものの対義であり、人の心の弱い部分や汚い部分、死(墓石)の悲しみや死に繋がるような人の行動など、酷さの程度にかなり幅があるものの、広く人の心の弱さがもたらす穏やかではない、平和ではないものだと理解しました。それは究極的には人間くささというか、それが時にこの作品の時代設定でもある戦争や、火事による母親の死のトラウマさえもたらすものですが、眞人は悪意のある完璧ではない世界で、アオサギやキリコやヒミのような「友だちを作る」ことを選びました。

ここでインコ大王が暴走して、大叔父がそれまで何とかバランスを保ってきた世界はバランスを崩し崩壊し始めます。大叔父は、眞人やヒミを逃がし、塔の中の世界は崩れ去ってしまいました。おそらく眞人と大叔父の会話の流れ的に、インコ大王が暴走しなくても塔の中の世界はなくなっていましたが、急な崩壊のために大叔父が集めていた悪意のない石たちも同時に失われてしまう結果になりました。これにより穏やかで平和な世界を作るという選択肢は完全に失われましたが、インコ大王の暴走もまた、眞人が選んだ悪意のある世界ではあり得る出来事なのでしょう。

眞人の選択にはどのような意味があるのかを考えると、大叔父からの提示は、後継者になり悪意のない世界を作ることです。これはある種の大きな自己犠牲を伴います。大叔父が長年一人で積み木と向き合っていたように、「完璧」な世界を維持することと引き換えに、その責務を自分が孤独に背負うのです。一般的なヒーローアニメに出てくる清廉潔白で自己犠牲の精神が強い「完璧」な主人公であれば、ここで後継者になっていたと思います。しかし眞人はそれを拒みました。それは眞人の悪意(人間くささ)の表れでしょう。

同時に、悪意のない世界とは一体どのような世界なのかと考えてみると、確かに穏やかで平和なのかもしれませんが、その世界ではキリコの作ったスープやヒミの出してくれたパンのように、誰かが作ってくれたご飯をたまらなく美味しいと感じるような日常の幸せや、眞人がアオサギとぶつかりながらも友だちになったように、死にゆくペリカンから聞かされた話に心を打たれてペリカンたちの無事を祈るようになったように、母親を失った悲しみから拒絶していたナツコを受け入れたように、自分とは異なり、そしてそれぞれに悪意を持つ存在と通じ合えることがある喜びを経験することはあるのでしょうか。

結局、私たちが幸せや喜びを感じる瞬間というのは、人間くさい者同士がぶつかり合いながらも、他人と繋がること、他人を理解することを諦めずに生きることで、いつしか出会える大切な人との関係によってのみ生じるものではないかと思います。これが眞人の言っていた「友だちを作る」ことだと思います。そして「君たちはどう生きるか」という言葉は、悪意のために悲しいことも沢山ある世界だけど、その中でも人と繋がることを諦めずに生きることを選んでほしいというメッセージなのではないかと思いました。

4 もう一つの塔

他にも雑多な感想が色々あるのですが、たとえば本作でも手作業(眞人が弓矢を作るシーン)や勤勉な労働(キリコの漁を手伝い、魚を捌くシーン)が時間をかけて描かれていて、これは宮崎駿監督のジブリ作品では必ずといっていいほど出てくる描写で、監督がそのような行為に価値を見出していることが感じられます。私の個人的な価値観ともとても合うので、本作でも見ながらニヤニヤしていました。しかし、こういうのを挙げていくときりがないので、最後に一つメタ的な考察というか感想を書いて終わりにしようと思います。

本作は、序盤は全体的な雰囲気や時代背景もあり「蛍の墓寄りの作品かな?」と思いながら観ていましたが、疎開後の場面では不思議な生き物に誘われて家の裏にある別世界に繋がる入口に入り込む主人公に「ん、むしろトトロ展開なのか?」と感じされられたり、塔の中の世界では異世界で労働や旅をしながら主人公が成長していく姿が「いやいや、これは千と千尋よね?」っと思わされたり、でも人を襲ってくる巨大な動物たち(ペリカンやインコ)や何か怖ろしく絶大な力の源である墓石の主の存在に「むむむ、もののけ姫っぽくなってきたかも…?」考えさせられたり、そして塔が崩壊するシーンは「これはバルスで崩れゆくラピュタよね?」となったりして、過去の宮崎駿監督作品を彷彿とさせる場面がいくつもありました。構図も似せてるところが多くあったと思います。

そして、本作の中では塔が様々な時系列の世界と繋がっていて、塔の中で概念として同じ人たちが別の姿で別の生活を送っていましたが、それと同じように、『君たちはどう生きるか』という作品は、歴代の作品が別次元で姿を変えて生きているもう一つの塔のような存在なのではないかと少し時間が経ってから考えてみて思うようになりました。

感想と考察は以上です。最後まで読んで頂きありがとうございました。

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