鳴る日
ちょっとギターの話します。
− 自分の歳を忘れがちになってしまっているけども、今24歳。多分。テレビでは自分よりも若いアーティストが出るたびに「この人よりもギター弾いてる歴は長いんかんな。」と、ふと思ったりもする。だけども歴なんて関係ないし、何かを始めるのに年齢なんて関係ないと言われるようになった昨今の世の中で、そんなものを気にしていたら本質というものを見誤りそうで、恐ろしくもある。ただ僕にとっては、去年は記念すべき年だった。そうだったよなあ。と、寒空の下、年が開けてしまってから気づく自らの間抜けさに笑う。
ギターを持ち始めたのは14歳。2人目の親父の実家に行った時、「めぼしいもんあったら、持ってったらいいべ。」という親父。不良文化に少量の憧れを抱いていた頃の少年には、ちょっと元ヤンっぽい親父が昔住んでいた部屋の押し入れはキラキラした宝の山にも見えた。ある日、いつものように宝の山を物色していたら一際くたびれた物があった。古い木の匂い、いい匂いではなかったけれど。青色でベタ塗りされた木。錆び錆びで触れただけで指を切ってしまいそうな鉄線。今思えばいい品ではなかったけれども、当時の影響されやすく好奇心旺盛な少年は、何も考えずそれを "取り敢えず" という具合に持ち帰ることにした。幼少期に、どう見ても不要そうで使い道もなく、道端で拾ったお気に入りの木を持ち帰るような、そんな感覚に非常に似ていたのだろう。男にとって "木を持ち帰る" ことは今後の人生に大きく影響する。といっても過言ではない。少なくとも僕の場合は。
母親には、当時水泳に打ち込んでいた僕がギター少年になってしまうことを若干危惧されていたが、お母さん、あなたも昔はギタリストだったらしいじゃない。ガンズ・アンド・ローゼズ、エディ・ヴァンヘイレン、マーティ・フリードマン、ゲイリー・ムーア、そしてXJAPANとHIDE 云々。僕がギターを持つことはね、0歳児の時からあなたのスポーツカーの助手席で、これらを聞かされていた時からすでに決まっていたのよ。こんな感じの音楽を聴かされながら海辺を走った記憶があるのだけれど、これは現実?それとも夢?
結果として僕はギター少年になってしまった。人生が大きく変わってしまった。水泳も精一杯すぎるくらい注いだ。側から見た中途半端だって言われるかもしれないが、皆が辞めていく中、高校3年生まで続けられたんだ。今じゃ絶対できない、あの骨が折れる(本当に骨が折れるかもしれないと思った)経験がなかったら、今ごろへこたれて、逆に人生が変わっていたかもしれないと思うと恐ろしくも感じる。テレビに出ているようなアーティストではないけれど、とにかく大きく変わってしまったことは確かなんだ。
- 不確かな現在の年齢から数えるとだいたい10年も経ってることになる。感慨深いとともに、「あんまり成長ないな。」とも自分を嘲笑った。
水中から上陸し、自ら奏でる音で耳鳴りを食らうことになったのはこの青年が大学生の時だ。ロクにライブに行ったことがなかった僕は、音の大きさが分からずに爆音でギターを弾いた。ひっきりなし弾いた。あの頃、部員の皆んなの鼓膜を揺らし過ぎて、今頃鼓膜がヨボヨボになってはいないか、少しばかり気がかりである。本当に申し訳ないと思う。耳鼻科に行った方がいいと思う。
大きな音は楽しいものである。しかもその音を出しているのは自分なのだ。音の振動で体の内側が揺れる感覚。ギターのネックを持つ手から細かい振動が這うように伝わる感触。頭蓋骨で受信した響きがそのまま脳と一緒に揺れる様。もし恋に落ちる感覚が、電気が走ったような感覚というのならば、僕は自分が奏でる大きな音に恋をしたのかもしれない。
今、肌身離さず使っているギターはストラトキャスターという。
ギターを知らない人のために説明すると、みんなが「ギター」と言われて想像する形のものだ。想像に容易でしょう。本当はこの楽器を手に入れようと思って手に入れたわけではない。
たまたま行った楽器屋で一際気になる存在があり、試し弾きしたところ、手のひらに伝わるジンジンとした感覚が、命を持った何かにも似ているような、鼓膜を揺らしたあの時の感覚とか、これからこれでどんなものを弾こうとその場での想像力が働いてしまい、これは否応なく迎え入れるしかない。迎え入れなきゃ。という使命感に駆られてしまったために、結果として今でもなお弾き続けている。ほら、やっぱり男にとって木を持ち帰ることは大切なことなことじゃないか。
- 10年も経っているという事実に圧倒される。年末年始に若干狂った体内時計を元に戻すため、明日の朝にはネクタイをきちんと締めて家を出るため、早起きをして、中途半端に書き残してあったこの駄文を書き連ねている。冬の朝焼けはなんとも美しい。なんてったって、5時に無理して起きなくても、それなりの美しさを眺めることができる。ギターをベランダに出して撮影会でもやろうか。寒そうだからやめておこうか。
天秤にかけられたこともあった。批判されたこともあった。それでもこの間抜けな青年が、今でもギターを弾き続けているのは、それ自体が心踊るものなのだ、悦びであると、大真面目に感じているからであろう。
といっても「あんた、いっつもギター弾いてばっかじゃん。よく飽きないね。暇なの?」と言われる事が多々ある。...いいかい、暇ではないのだ。何かを考えているわけでもない。だけども、弾かなきゃいけないものがそこにあって、弾きたいと思うものがあって、表現した音があって、まだ出会っていない音があって、響きがあって、それらに早く出会いたいと、ただただ今日も、ギターを鳴らしているのだ。
この辺で朝食にして、コーヒーを飲んだら、ギターを弾こうかな。
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