年の瀬の昼下がり。 ここのところ歯科治療に多額の金を貢いでいるため、将来が少々心配になるほど懐が寂しい。が、寒い冬を暖めるように、少しずつ財布の中の札が厚みを取り戻してきたので、俺はかねてから気になっていたエフェクターを探しに御茶ノ水(オアシス)へと向かおうと思い立った。 着いた。楽器屋はいつ来ても心躍る場所だ。 手始めにイシバシ楽器に入店。 (うへぇ。あのギターが家にあったら、1ヶ月くらいは定時ダッシュするな。)などと、ふらふらと店で適当な妄想に耽っていた時だった。 中
ある程度の飲酒をした後、友達はスタジオへ向かった。 俺はその後を追い、そいつの向かう予定のスタジオの前でタバコを呑んだ。 なんとまぁ皮肉なもんで、大して音楽に想いを馳せていた人たちが大人になっても音楽を楽しみ、音楽に魅了され、音楽の呪縛の間にまんまと騙されれ俺はただただその辺を彷徨く事しかできない。 バカがやる音楽だ。今楽しければ良いという奴等が行う愚行だと、音楽への誠意じみた感情を抱いていた俺が、音楽ができていない。 社会人として、正社員として、企業で働く俺。音楽を趣味
その晩、僕は彼女の言う「余白」という言葉の余韻に想像力を巡らせた。なんとまぁ、つくづく彼女らしい表現方法だ。 その長い「余白」は、今まで1つの点に集中していた人々を、あらゆる方向に分散させることができた。余白を諦める者もいれば、長すぎると怒る者もいるし、行ったり来たりする者もいる。 僕は夜な夜なインターネットで、その「余白」について議論を目にした。意味の分からない事を言っている者は、僕の達した事のない辺境の地の「余白」にいるのだろう。脳内でどのルートを辿ったら、その極地に
「どうしたらいいのでしょうね。元気で会えるのを待ってます。」 なかなか暖まらない1月初旬の部屋で、寝転びながらスマホに映る文字をなぞっていた。 ふと、窓の方を見ると、悲しいほど清々しい空。追いかけっこをする鳥たち。子どもの声が消えた街。おばあちゃんは、今何歳だっただろうか。 数えきれない程の本を読み、毎日欠かさず料理をし、変わらぬ日々を過ごす彼女の感性や祈りは、混じりけがなく純粋だ。そこに焦りなどはなく、ただ純粋な祈りだ。 ここからでも届くだろうか。 電波を伝い、風を
ちょっとギターの話します。 − 自分の歳を忘れがちになってしまっているけども、今24歳。多分。テレビでは自分よりも若いアーティストが出るたびに「この人よりもギター弾いてる歴は長いんかんな。」と、ふと思ったりもする。だけども歴なんて関係ないし、何かを始めるのに年齢なんて関係ないと言われるようになった昨今の世の中で、そんなものを気にしていたら本質というものを見誤りそうで、恐ろしくもある。ただ僕にとっては、去年は記念すべき年だった。そうだったよなあ。と、寒空の下、年が開けてしまっ