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”争いごと”にまつわるテキサス州の学校での現状と、教育について: 銃と学校と教育と(3)

中学・高校でのケンカ

アメリカは高校までの公立校教育が無料で、基本的に居住地で学校が決まるシステムになっています。

■緩くて、厳しい!?アメリカ(テキサス)のスクールライフ
(3)アメリカ式ダイバーシティ←住所で学校が決まるシステムについてはココ
(2)気がついたら、振り落とされているシステム
(1)とにかく緩い学校教育

ですから、各学校の学業やスポーツの成績や、校風(治安も含め)というのは、居住地がどういうところか?で決まってしまうようなところはあります。

今回、話題として取り上げたい学校は、貧困エリアにある学校や、高所得者層しかいないエリアにある学校は除いた、ヒューストンの”標準的な学校”で起きたこととして、見聞きした話になります。

標準的な公立高校では、ケンカというのは、珍しくないようです。もちろん、学校で取っ組み合いのケンカをするというのはNGな行為で、たとえば、スポーツチームに所属していれば、試合出場停止や練習参加禁止等の処分を受けることになります。それでもケンカは多々起こってしまうようなのです。ケンカをした生徒だけでなく、それを煽る行為を行なった生徒も処分対象になるようです。

エクステ&ネイルチップ、でも激しく戦う

ケンカの様子は誰かが動画を撮っていて、それが子どもの間で回ってくることがあるようなのですが、子どもたちに動画を見せてもらって、「え?」と固まってしまったのが、女子同士の掴み合いのケンカ。床に倒された女子の上に、別の女子が乗っかり、髪の毛を掴んだかと思えば、形勢逆転し、下だった子が上になり、バコっと。

これだけでも、「え?!」って思われた方がいらっしゃると思いますが、さらに彼女たちの外見の詳細を知ると、さらに冷えます。というのも、私が見た動画では、ケンカしている女子2人がともにエクステをつけていたからです。その長い長いエクステをガシッと握って引っ張りあったりするので、頭皮が!!です。さらにさらに、エクステをつけている子は高い確率でネイルチップもつけていますので、手元の確認はできなかったのですが、エクステ×長いネイルチップで、頭皮と爪は大丈夫!?と、ヒヤヒヤでした。

ちなみに、公立高校でのエクステや長いネイルチップの装着、ピアス等のアクセス類の装着はOKとなっています。ナチュラルカラー以外へのカラーリングは禁止されていますが、パーマはOKです。これは多人種、多文化の生徒が集まったアメリカらしい校則だと思います。
というわけで、エクステ×長いネイルチップは、よく見かける標準的なファッションで、それが彼女たちの素行をジャッジする材料にはなりません。

ナチュラルカラーとは?:本人の生まれた時の髪の毛の色ではなく、自然な髪の毛の色として世の中に存在している色ならばOKですが、真紅やピンク、青等はNG

ひっぱ叩き合いのケンカ、でも翌日は通常運転

子どもの1人が授業中に体験したケンカの話です。これも女子同士の話で、普段はとても仲の良い2人の女子A、Bの、AがBをポンっと叩いたのがきっかけだったと言います。アメリカで”ツッコミ”はしないのですが、軽いツッコミくらいのポン。すると、BがAをポン。これが繰り返されるうちに、パン、バン、ボコっと音が大きくなっていき、さらに立ち上がって、つかみあって・・・のすごい感じになってしまったと言います。授業中ですから、もちろんすぐに先生が介入したものの、なかなか止まらず・・。止めた直後にちょうど授業が終わる時間になり、その授業がその日の最後だったため、2人はそのまま教室を出ていった(”勝手に帰った”ということになるかと思います)そうです。

そのような状態では、気になるのは、翌日。なのですが、なんと2人とも普通に登校し、前日の出来事が嘘のように仲良く話していたというのです。もともとケンカをするつもりは全くなかったようだったので、いつものように戯れあっていたら、何かをきっかけにエキサイトしてしまった・・・くらいじゃないのかな(子ども談)。

学校対抗試合での男子VS女子のケンカ

学校対抗のスポーツ観戦は、日頃なかなか知ることのできない生徒たちの日常を垣間見るチャンスになっています。たとえば、テキサスにおいて、アジアに対する情報は本当に限られているのだなと感じたのが、ベトナム人の両親を持つAちゃんについての、観客席に座っていた子どもたちの会話です。

「Aちゃんってかわいいよね」「そうだね。そういえば、Aちゃんもアジア系なんだって」「え!?本当に?Aちゃん、アジア系だったんだ!」
(*この後の展開は特にアジア系だからなんだという話ではなく、この男の子は”アジア系”がよくわかっていないような感じでした)。

Aちゃんは、私から見ると中華系と区別が難しいと思うような外見で、彼女がアジア系ではなければ、どんなタイプの人をアジア系と考えたのだろう?と不思議に思えたくらいです(インド系がアジア系だったのかも・・・)。

スポーツ観戦をしていると、このようなほのぼのしたシーンもたびたび見かけるのですが、印象に残っているのが対戦校同士の張り合い・・・というか、言い合いというか・・・。チャント(応援の掛け声)でのやり合いから、時折、ほとんどケンカと思えるような言い合いに発展することも多々あります。

私は中学・高校の時に、自分の部活が忙しくて、同級生が出場するような試合を見にいったことがないので、日本の学校対抗試合の観客席の様子がよくわからないのですが、学校のスポーツで、相手のミスを揶揄するようなチャントはアリなのでしょうか? これはただ、私が英語のニュアンスを理解しきれていない可能性もあります。
しかし、完全にダメだろうと思うのは、バレーボールで相手チームがサーブを打とうとするときに、応援席の人が足踏みしたり、大声を出したり・・・いざ打つ瞬間の1秒前くらいに「ニャア!」っと、驚かせるような声を発してみたり・・・(猫の鳴き声のパターンが多いようなーー”私”調べ)。アウェイで戦う試合では、ホームゲームよりもこれらの”声”が大きくなりますから、調子を狂わせてしまったり、実際にサーブミスしてしまう子もいます。「これは試合としてどうなの?」と思うのですが、ベンチ入りしているチームメイトがこれらの行為をすればNGでも、”観客は仕方なし”となっているそうです。

この延長で起こったのが、小見出しのタイトルにした”男子VS女子”のケンカです。観戦していたB校の男子とその仲間、C校女子とその仲間がチャントを越えた口喧嘩を始めたのです。念の為、B校もC校も共学です。試合ではB校の方がかなり有利な状況でした。そのような中、B校のミスでC校が1点を勝ち取った時に、C校女子が”いつもの通り”、相手を揶揄するチャントを行うと、B校男子がすかさず「1点くらいで何言ってんの?点差みてみろよ、あ?」みたいなことをC校女子に向かって言い始めたのです。もちろん、C校女子も黙っていません。
両グループとも、一応の理性は残っていたのかなと思うのは、文句を言い合うのは、選手がサーブを打つまでで、試合が続いている間は、それを観ているようでした。B校とC校の観客席は、一応、ゾーンが分かれていましたので、掴み合ったり・・・ということはなかったのですが、各校の中心で声を上げていた子たちがどんどん中央(各ゾーンの境界)に近づいて大声を上げるようになってきました。これは流石に・・・と思ったら、C校の保護者がリーダー格だった女子に何かを話したあと、B校のリーダー格にも、声をかけたことで、口喧嘩はチャントに戻った感はありました。ただ、B校のリーダー格は、たびたびC校の方を向いて立ち上がったところで、横にいる友人に肩を抑えられて座る・・・と、エネルギーが有り余っている様子でした。

高校生の男女って、こんなに激しく口喧嘩するものなの?

この話を後で、子どもたちに尋ねてみたところ、彼らにとっては男女での激しい口喧嘩というのは珍しくはないことのようで、それどころか、女子が男子にパンチするぐらいのことは、見かけてもびっくりはしないとのことでした。ただし、男子が女子にパンチをし返すという姿は見たことがないそうで、そこは男子が”男女の力の差”をきちんと理解しているのだなと、ホッとしました。

ちなみに、観客席の生徒VS相手チームの保護者、観客席の保護者VS審判、の言い合い(口喧嘩?)も見かけたことがあります。
余談ですが、アメリカの学校スポーツの審判はかなり・・・”フレキシビリティが高い”です。審判は所定のコースを終了し、認定を受けた人が行いますが、スポーツ観戦する保護者の方も、そのスポーツの経験者であることが多く、加えて我が息子、娘の大切な試合ですから、ついつい口が出るのだと思います。中立的な立場からの感覚的な意見ですが、一度マークされた選手は割と厳しくチェックされる一方で、見逃されている選手もいます。ですから、アメリカでプレイしている以上、これを不公平だと思うのであれば、ミスをしない選手であるような”プレゼンテーション”は必要かもねっと。ただ、大学レベルのスポーツになると、ビデオ判定の要求等ができるようになります。

そして、補助的な審判員、たとえば、バレーボールのラインジャッジ等は、生徒が行うことが多いのですが、ラインジャッジも、所定の研修を受けた生徒のみができることになっているようなのですが・・・。結構、心臓の強い子も少なくないようで、死んだ魚の目で、大欠伸しながら明日の方を見ているラインジャッジも・・・。観客席から「しっかりラインジャッジしなさい!」という厳しい声が飛んできても、態度が変わらないままで、ここまで来ると、むしろその心の強さを学びたいと思ったほどでした。

念のため・・・全ての審判やラインジャッジの判定や態度に疑問点が残ると言っているわけではありません。中には、気持ちの良いくらいハキハキした態度で明瞭な審判をしているラインジャッジ(生徒)もたくさんいますし、際どいジャッジが必要な際に、自分の高校が不利になってもフェアな判定をきちんと出せる生徒もたくさんいます。後者は特に、自分サイドの観客席から、遠慮なく「あーあ」というような声が聞こえてくるため、ものすごくプレッシャーを感じるそうなのです。一度、知っている子がそのような場面に遭遇していたので、「さっきのジャッジ、クリアでよかったよ」と言うと、「ありがとう!実は、私は消えてしまいと思ってた」と。ですので、日本よりもある意味ハードな環境の中でも、フェアな態度でスポーツをする子もたくさんいますよ、と、念のため付け加えさせていただきます。

対抗試合前の、SNSへの宣戦布告

「明日の試合中だけでなく、試合後にも、あいつらをボッコボコにしてやる」

スポーツの対抗試合の直前に、自分のSNSアカウントにそのような書き込みをしていた生徒がいたことがありました。SNS上での書き込みですし、学校が違うとはいえ、同じ学区にある学校同士ですので、”共通の友人の友人・・・”を辿って、宣戦布告された学校の生徒にもこの書き込みが伝わってきたようです。

学校側がどのような対応をしたのか?といえば、まず、学校としては、”言ってみただけの発言”としてではなく、”犯罪予告”として捉え、念の為の対策を取ることにしたようです。アメリカの学校には最低1人の常駐の警察官がいます。スポーツの試合中にも入り口に立ってくれていますが、多くの場合、飲み物を飲みながら、一緒に観戦を楽しんでくれているような雰囲気です。しかし、この日は”しっかりと監視している”という雰囲気でした。さらに、試合終了後、脅迫を受けた側(自校)の生徒をロッカールームに移動を完了させるまでは、SNS投稿した生徒のいる学校や保護者は会場から出ることができないような配慮がありました。

いつもとは違う運用になっていることについて、その場で説明がなかったことも、事を大きくさせないという配慮だったのかなと思います。しかし、あえて大袈裟な対応をすることで、超えてはならないラインがあることを体験として学ばせるという方法もあったのではないかとも思います。

学校でのケンカと、銃犯罪

先生の役割

学校は当然ながら生徒たちにケンカをさせないようにしています。エクステ&ネイルチップのケンカでも、誰かが呼びに行った先生が2人を止めて、映像はそこで終わっていました。よくあの場で2人の間に割って入って止めることができた先生のケンカ捌きはお見事の一言です。
私のコラムでは、アメリカの公立学校の先生を批判する内容を書くことも少なくないのですが、この動画を見た時には、画面の向こう側の先生に、これまでの失礼な発言をお詫びしました。ケンカを止めることも先生の役割だと考えると、授業の質が多少モゴモゴモゴ(毎回、別の先生が解説しているビデオを流して終わりの先生もいたもので・・・)。ただ、これが教師の仕事だと言われると、かなりハードなお仕事だと思いますし、この状態では、優秀な先生を引き止めるのはなかなか難しいかもしれません。

そして、ケンカの当事者たちの処分なのですが、彼女たちはスポーツチームに所属していたので、何試合か出られなくなってしまったそうです。

どのような子がケンカをするのか?考

ここでぜひお伝えしたい”背景情報”が、テキサスで”学校のスポーツチームに所属している”ということは、そのスポーツが一定以上の水準にあるだけではなく、学校の成績もチームの要求以上であることの、ある意味、証となっています。中学校に男子バスケットボール部がなかったことに対し、「アメリカなのに、バスケがないなんて??」と、子どもに聞いてみたところ、トライアウト(入部テスト)に合格した人はそれなりにいたものの、成績が良くないために入部できない子が大勢いたため、チームが作れなかったということでした。これはちょっとしたカルチャーショックでした。”運動部でエース的な立ち位置だけど、勉強の方はちょっと”っていう子は、運動を頑張ることで、進学できる・・・みたいなイメージがあったからです。この背景情報から何が言いたいか?というと・・・。

彼女たちは学校の中で、決して”問題児”というわけではない

ということです。
さらに、入部時に、生徒とその保護者は、学校のチームから渡される誓約書にサインをしますが、それには練習や試合の時の決まりごとのほかに、”問題行動を起こさない””成績を落とさない”等々の事項も含まれています。学校のチームに所属して、試合に出たければ、この誓約書に従わなければならないため、「問題児ではいられないはずなのに、それを理解しているはずの子たちが掴み合いのケンカ!?」と、驚きが倍増したわけです。

とはいえ、数で言えば、問題になるようなケンカをしない生徒の方が圧倒的に多いですので、ケンカをすることが”一般的”というわけでもありません。

どうして力に頼るのか?

一般論として、”どうして力に頼るのか?”を考えると、きちんと自分の気持ちや考えを表現できなかたり、感情(怒り)のコントロールができなかったり、力以外での解決法が見つけられなかったり・・・等が考えられます。

そして、銃による犯罪はこの延長にあり、力以外の解決法しかないと思っても、自分の持ち合わせた力(口喧嘩や、フィジカルなケンカの力)では勝てないと思った時に、”銃の力を使う”と言う発想になるのではないかと思います。だとすれば、力に頼った解決策を取ろうとする未成年に対し、警察が介入し、問題行動が事件になる事を防いだ上、未成年が力を使ってまでも解決しようとした問題について、カウンセラーが解決の道を一緒に探っていく・・・という、テキサス州ラウンドロックISD(学区)での試みはとても意味があるものではないかと思います。

https://note.com/noraailin/n/n6b073e13b1c6
https://note.com/noraailin/n/n6b073e13b1c6

”更生は難しい”とも言われますが、それは更生が難しくなるところまで行き着いてしまったケースではないでしょうか。更生が難しくなる前の状況で、積極的に介入していくということはその子にとっても、社会にとっても良いことではないかと思います。

さらに、今回、テキサス州議会に提案された”銃犯罪対策”の中には、「公立高校生の必須カリキュラムにメンタルヘルス・コースを追加」というものもありました。これはいわゆる”問題児”だけではなく、広く生徒一般を対象としたものですが、前章でシェアさせていただいた”学校でのケンカ”の激しさを考えると、感情のコントロールを学ぶ機会を広く提供していくことも重要かと思います。

これは何も「ケンカはダメだから、表面的だけでも仲良くしなさい」と考えているわけではありません。成長過程の子どもたちですから、「うまく表現できないことをつい力で」ということもあるとは思うのですが、それを「仕方がない」と変な受け入れをするのではなく、「力での解決が何の効果もないどころか、ネガティブな結果しかもたらさない」ということは理解させていくべきだと思うのです。

・・・こんな風に綴っていくと、かなりのアメリカ批判に聞こえるかもしれませんが、私は時折、日本人とアメリカ人と、互いの短所に関しては足して2で割ればちょうどいいのに・・・と思うことがあります。
日本人は感情を殺しすぎる傾向にあると思いますし、アメリカ人は感情をむき出しにしすぎる傾向にあるように感じるからです。
日本人は自己評価が低すぎるし、アメリカ人は自己評価が高すぎる、というのは、一般的にも言われていることだと思いますが、これも100%同意します。
そして、これは推測の域を出ない話になりますが、陰湿ないじめは日本の方が多く、暴力的な事件はアメリカの方が多いのではないでしょうか。

ですから、日本とアメリカとで、未成年犯罪を未然に防ぐメンタルヘルスのプログラムが必要と言っても、そのアプローチは少し異なるのではないかと思います。

”銃規制なし”の方針であるテキサス州での銃対策

何はともあれ・・・アメリカで銃を使った犯罪では、「ついカッとして」という犯人の供述も目立ちます。銃犯罪が多発するから、対策のために銃規制をかける・・・それもわかるのですが、事件を起こすのは、銃ではなく、人間です。

”銃で解決”しようとすることのないメンタルヘルスの維持、もしくは感情のコントロールというのも重要だと思います。繰り返しになりますが、現在のアメリカでは、不法移民とともに大量の武器や薬も大量に流入してきていると言われています。銃に対して、法律で規制をかけても、それに従うのは、善良な市民のみであり、悪意を持って銃を使用しようとする人が法律に従うわけがありませんし、そのような人は、銃を取り上げられたとしても、違法なルートから手に入れられてしまうわけです。

そのように考えますと、今回テキサス州は、”銃規制なしで学校での銃犯罪を防ぐ”方向で対策を検討しているのですが、テキサス州が不法移民問題が最も悪影響を落としている州の1つであることを勘案すると、とても適切な方向性であるのではないかと考えています。

解決法は万国、万事共通ではない

ただし、テキサス州の解決策が日本でも有効かといえば、銃が一般に普及していない日本は、このまま銃を規制することが銃犯罪の一番の防止につながると思います。テキサス州と日本の銃に関する現状が全く違うためです。

昨今、国際的な議題に上るような問題について、安易な解決策が万国共通して効果があるような態度で望まれてしまっていることは、とても残念なことだと思います。
例えば、コロナ騒動1つとっても、アメリカ人と日本人とでは、コロナに対する免疫の強さも違えば、生活習慣も違ったわけです。当初の日本は、感染拡大の抑制について、世界で最も優秀な国の1つでした。ところが、アメリカや中国がやっているからと、むやみやたらのロックダウンや強制的なワクチン政策を日本でも導入したところで、日本のコロナ感染の対策になるどころか、日本の状況を世界で最悪なものにしてしまいました。

安易な銃規制論や、公立学校での金属探知機の導入、おかしさしかないコロナ騒動について、違和感について突き詰めていくと、”「バナナを食べるとダイエット効果がある」というニュースが流れると、スーパーの棚からバナナが消える現象”と、同じようなものを感じてしまいます。バナナに脂肪燃焼効果があるのが事実だとしても、それだけで肥満が解決できるわけがないのと同様に、”銃犯罪も銃を規制すれば犯罪が減る”、”公立学校に金属探知機を入れれば学校が安全になる”というのが本質的な問題解決ではないと思うからです。

さらに、問題は単独で存在するのではなく、その問題を抱えるコミュニティ(もしくは組織、個人)には通常、別の問題も複数存在しているはずです。例えば、痩せようと思って、大量にバナナを食べたとしても、バナナはカロリー高めですから、逆効果というケースもありえます。そもそも限度なく食べてしまうこと自体が原因であれば、バナナよりも、不規則な生活習慣や、メンタルの問題等々を見直した方が良いケースもあるでしょう。
共通の解決策というものが存在するのも事実ですが、それに闇雲に飛びつくわけではなく、最終的には問題を抱えたコミュニティ、組織、個人の事情によって、それぞれの解決策をデザインしていくことが不可欠だと思います。

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