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そんなSNSならやめちゃえば?独特の暗黙ルールにうんざりした話

こんにちは。繭です。

あっという間に夏が終わっていよいよ年末が見えてきて、来年はどう過ごそうかな〜と考え始める時期になりましたね。
突然ですがわたしは来年から写真を辞めようかなと思っています 笑

端的に言えばInstagramの「統一感がないとダメ」ルールがめんどくさくなってしまったからです。

写真熱が冷めつつある今、ちょっと冷静に写真のあり方とSNSの使い方について考えてみたので今回はその話を書いていきます。

なんでインスタがめんどくさくなったのか

決定的だったのは先日SNSで人気のカメラマンの方が無料で写真のアドバイスをしてくれるというオンラインイベントに参加した時のこと。
言われたのがこれ。

ブツ撮りはいいとして猫や水族館や風景などの写真が邪魔。統一感がなくてギャラリーの信用度がない。アカウント分けたら?

どう思います?

SNSマーケティング的に言えば正しい指摘です。
事実わたしはフォロワー数が1000人にも満たないですし、求心力があるアカウントではありません。
しかしアート文化の発展という視点で見たらどうでしょう。

人を傷つけているわけでもない、
自分の『好き』を自由に発信していいSNSにこんな窮屈な縛りがあっていいのでしょうか?

負け惜しみだなって思うならここで読むのをやめてくださいね。帰れ 笑

美大での写真教育

わたしは多摩美出身で、写真論の授業もとっていました。
当時の授業がすごい好きで、特に印象的だったのが

ソフィ・カルっておもしろい写真家がいてね〜。
母親に探偵を雇わせて探偵に自分の隠し撮りをさせる。
それをセルフポートレートの作品として発表したんだよ〜。
おもしろいよね〜〜。

という講義 笑

先生は道具であるカメラの使い方には一切触れずに写真表現のおもしろい事例をひたすら教えてくれました。

この時学んだのは、写真は手段であって表現したいコンセプトに合わせて自由に使っていいということ。
そして多様性を認め、アートを理解する心を育ててもらったと思います。

もし大学の講義が「Instagramは統一感が出るように構成すること!」という内容だったらどうでしょう 笑
わざわざ高い学費払って毎朝登山レベルの通学する必要ないですよね。

様々なSNSのめんどくさ暗黙ルール

インスタは先ほど書いたようにギャラリーの統一感ルールが横行しています。
さてじゃあ他のSNSはどうでしょう。
わたしが知っている限りの暗黙ルールを書き出してみます。

Twitterは4枚で迫力が出る写真をアップするのがセオリーという風潮がありますよね。
時間も場所も別々のところで撮られた写真が1つの投稿でアップされることも多々。
「組写真」という見せ方で投稿されることが多いですよね。

わたしはこれもめんどくさくって 笑
見せたい写真なら今日撮りたてのお気に入りを1枚でも3枚でもアップしていいじゃん。と思っちゃう。

あとおもしろいなと思うのは、インスタ、Twitter問わずポエムを添えて投稿すると「いいね」が増えること 笑
どこでどんな状況で撮ったか。どんなエピソードがあったかを書くのではなく、意味深なポエムが一言添えてあるだけの投稿が多いですよね。
まあ別にいいんですけど。
ただ知り合いが意味深ポエム投稿してると「この写真好き〜!」とかコメントしづらいなって 笑

ま、いいんですけど。

変化するSNSの使われ方

SNS人口が爆発的に増加しましたが、最近SNSの使われ方も変化しているなと肌で感じています。

例えば今までは全世界に向けて「いいね」が欲しくて自慢できるような投稿を発信するのが流行っていました。
俗に言う「インスタ映え」ってやつですよね。
「いいね」欲しさにマナーの悪い人が増えたり、写真を撮って食べ物を捨てちゃったり、フォロワーを売買する闇ビジネスができたり…
ここ数年で問題になってついにインスタは「いいね」数が表示されなくなりましたよね。

若いユーザー達はどんどんSNSをクローズドな使い方をするようになり、発信先は全世界ではなく、鍵をかけて友達だけとしている人も増えてきた印象です。

家族写真を中心に撮っている人たちはプライバシーの観点から元々SNSにはアップせず家族内だけでシェアしているケースも多いですよね。

でもそういった世の中に見せない写真が価値がないかと言うとそうではない
むしろその人にとってはかけがえのない価値のある写真達なはずです。

逆に統一感を気にして自分の撮りたいものを撮れず、大量消費のための写真に価値なんてないのかもしれません。

大量消費の写真を撮り続ける苦しさ

インスタアカウントをビジネスアカウントにして副業としてブツ撮りの仕事を始めたのが去年。
インスタから仕事を受けるならフォロワー数が必要だなと思っていたし、ギャラリーの統一感があったほうがいいという暗黙ルールもわかっていました。

白背景で透明感のある写真を多く撮っていたので、カラフルな写真やダークトーンな写真はわたしのインスタギャラリーに合わなくなっていきました。

統一感のために、特にときめくわけでもない白タイルでセットを組んで色数を絞ったブツ撮りを毎週末撮ってインスタにアップする…。
ここ2年ぐらいわたしの写真活動は大量消費のための撮影でしかありませんでした。

もちろん数をこなせばこの表現は板について今年は多くのフォトコンで賞をいただいたり、セミナーを持つことができました。
でもこの写真は本当に自分が表現したかったことなのか…。
そう問われると自信を持ってYESと言えません。

仕事には繋がってもこんな活動を続けていても消費するだけです。
事実わたしは疲れました 笑

どんな世界で写真活動ができたら幸せか

さて、ではどんな環境だったら写真活動がより活発化し、自由に表現を楽しめるようになるのでしょうか。

具体的にメディアのあり方について言えば、ギャラリーのカスタマイズ性が高まればいいのかもしれません。

現状ほとんどのSNSは時系列でしか投稿を制御できません。
だからインスタのギャラリーの色や被写体のバランスを整えようと思うと単に撮れ順に写真をアップするだけではだめで、過去と未来の投稿との兼ね合いを考えて投稿する必要があります(うひ〜めんどくせ〜!!)

例えば、好きな順番で写真を投稿したとしてもテーマごとに一覧させることができればアカウントを分ける必要も、ギャラリーの見え方を考慮して投稿する必要もなくなります。
最近だとインスタは「リール」や「インスタTV」などのコンテンツは別タブで表示されますよね。
そんな感じに任意のテーマ別タブに写真を投稿できたらいいのかもしれません。

一方noteは「マガジン」機能で1アカウントでも複数のテーマの話が棲み分けできるような設計になっていて居心地がいいな〜と感じます。

とまあメディアのUI、UXで解決できることも多々あるでしょうが、抜本的解決のためにはやはり人々の心理や文化からの改善が必要ですよね…。

最近SNSで見かける「女の子だから赤のランドセル、男の子だから黒のランドセルにしろ問題」や「主婦なんだからポテサラぐらい作れ問題」などなど何事にもベキ論者様が横行しているのがそもそも問題なんですよね。

や〜根深い。わたしのこのnoteに書いたぐらいでは解決できない。
古い考えの人々が死滅するのを待つしかないのか…???

とにかく、「これはこうあるべき」という考え方が人の自由ややる気を奪い、生きにくい世の中を作っていることを知ってください。
そして人前で発言するときは自分の発言がどんな影響を及ぼすのか少し考えてみたらいいと思います。

小学校の道徳のような話になってしまいましたが、
時代の流行を大きく反映するSNSは良くも悪くも文化を作る媒体なのでこれからも観察を続けて冷静な距離感を取っていかないと、と思います。

来年から写真を辞めるかどうかはもう少し考えます。


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