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才能の正体は“集中力の質”ルーティン編(前編)

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この文章は、漫画「左ききのエレン」劇中に登場するメモ「プロジェクト・ハイプ」を再現した内容です。性質上、架空の固有名詞が登場します。ご了承下さい。


はじめに

私が「左ききのエレン」と呼ばれるアーティストのマネージャーになったのは武蔵野美術大学を卒業する直前だった。彼女に特別な絵の才能がある事は幼い頃から分かっていた。が、エレンには起伏があった。感情や体調や、とかく才能を正しく発揮するために必要な「集中力」と括られる能力に致命的な起伏があったのだ。昔からの腐れ縁もあって、私はエレンのマネージャーとして生きる事を選択したのだけれど、彼女の才能を正しく運用してやる事は容易では無いと途方に暮れていた。そんな中、エレンの恩師である真城学氏がまとめた「才能の正体」という本と出会った。

これから書き残す文章は(ごく限られた人間ではあるだろうけど)共有する事もあるだろうから、一応そのつもりで書くけれど、前提としてエレンを運用するための私的なメモであるため乱文乱筆に関してはご容赦を。また「才能の正体」を読んでいないと理解できない箇所も多々あるため、体裁としてはこれを「才能の正体」の副読本として位置付けたいと思う。

また、真城学氏の教え子であり世界的ファッションデザイナーである岸アンナによって「集中力の質」を図解したものがある。それは「トライグラム」と称され、この理論を理解する一助になるため、始めにそれを掲載する。

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時間が有限だから集中力が要る

そもそも何故、集中力は必要なのか?それは、あらゆる活動には「締め切り」があるからだ。漫画家などの作家に限らずサラリーマンにも納期があるし、アスリートには本番がある。(その本番にピークを持ってゆく姿勢を「ピーキング」なんて呼んだりする。)

また、その職能によって適切な集中力の「長さ」「深さ」「速さ」がある。同時に「この1週間が正念場だ」とか「午後の試合がここ一番だ」とか、様々な締め切りまでの長さがある。そしてそれは繰り返しあるものだから、長さと言うよりも「締め切りの頻度」として捉えた方が正確かも知れない。

つまり総じて言えるのは「時間という制約があるから、集中力が必要になる」という事だ。もしも私達が不老不死の存在ならば、きっと集中力は必要としないし、もしかすると生産的な活動も必要としないかも知らないが、幸いな事に人の時間は有限である。「今週末の提案までに」「来年の受験までに」「20代の間に」「子どもが成人するまでに」そして「死ぬまでに」…。職能によって、ライフステージによって、様々な形で迫りくる締め切りに対して、私達は時間を最大限有効に使う事で抗い続けなくてはならない。

それぞれ「締め切りの頻度」が違う

「集中力の質」と同時に、職能によって「締め切りの頻度」があると述べたが、私はそれを「職能の器」と呼んでいる。人にはそれぞれ、自分の限られた時間(時間=集中力の質)を注ぎたい職能という器があって、締め切りの度に時間を注ぎ続ける。飲み物とグラスの関係を想像するとイメージが近いかも知れない。

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例えばウェッジウッドのティーカップには、なみなみと紅茶を注いでは品がないけれど、ビアガーデンのジョッキには溢れんばかりにビールが注がれていなくては風情が無い。そんな具合に「職能の器」によって、そこに時間をどう注ぐかが変わってくる。

エレンが向き合うアーティストという器は、例えるなら茶室で頂く一杯の抹茶かも知れない。一度に注ぐ量はそれほど多くは無いし、頻度もゆったりとしている。だけれど、他の飲み物とは一線を画す濃さを持つ。エレンの集中力は抜群に深いのだけれど、そこまで長くは持たないし、そう頻繁に必要としない。そういった意味でも、やはり一杯ごとに大事にじっくりと頂く抹茶がイメージと符合する。

「職能の器」と「集中力の質」はセットである

「職能の器」と「集中力の質」は切っても切れない関係にある。エレンがそうである様に、「職能の器」と「集中力の質」の相性が良ければ良いほど、その人はパフォーマンスを発揮できるのだから。

モデル・岸あかり(原本では蔑称で記されていたが、公開するにあたり修正を加えています。)は「極端に短いが、極端に速く深い集中」が備わっている為、モデルという仕事は確かに適している。また、エレンのマネージャーである私と、世界的ファッションデザイナー・岸アンナの右腕マチルダ・グレイマンの「集中力の質」は非常に似ていて「そこまで深くは無いが、起動がとても早い集中力」と共通している。これは、誰かに合わせて動く事ができるかという「職能の器」に対して、非常に相性が良い。

「職能の器」は環境がつくる

まるでパフォーマンスを発揮できなかった若手が、年齢を重ねて部下を持つようになった途端に成果を上げるケースがある。例えば…広告代理店などの大企業で、スピードが求められ、かつ非常に長い勤務時間に順応できずにいた若手デザイナーが、あるライフステージを迎えてから唐突に力を発揮する事もある。その現象はもちろん「集中力の質」が変化したのでは無く「人に合わせる必要がある環境から、合わせてもらえる環境に変化した」事が要因であると考えられる。

逆に環境の変化によって苦しむ人も多い。在宅勤務が急増した現代においては強制的に家族に合わせなくてはならない状況も増え、それによっていつものパフォーマンスが発揮しにくい方も多いかも知れない。ここまで「職能」と、やや「職業」よりも広義な表現を用いているのは、器の形は単に仕事内容で決まるのでは無く、その立場やライフステージなど環境が及ぼす影響を含むためだ。

「集中力の質」の真価は自己分析

職業や組織や家族などの環境、つまり「外的要因」に起因する「職能の器」と、自分に備わっている性質、つまり「内的要因」に起因する「集中力の質」の相性によって、パフォーマンスは劇的に変化する。つまり、才能を発揮するために必要なアプローチの半分は「外的要因」を整える事にある。誤解を恐れずに言わせてもらえば「集中力の質」という理論は、この課題に対して半分しか答えられていないのだ。むしろ、自分を変える努力より環境を変える努力の方が、目に見える分難易度は低い可能性すらある。ここで言う、目に見える努力とは何か。

代表的な例としては「転職」や「異動」といったジョブチェンジだ。「集中力の質」とは、さしずめ「乗り物の動力の種類」。風に乗れば悠々と長く進む帆船もあれば、一度点火すれば爆発的に加速するロケットもある。そして、集中力の質そのものに優劣は無いと私も考える。つまるところ、仕事で能力が上手に発揮できない人は、出場すべきレースを間違えている可能性について考えてみる必要があるのだ。街乗りでは大活躍できるクロスバイクで、24時間耐久レースに出場している様なミスマッチが、社会ではそこら中で起こっている。にも関わらず、多くの人は自分を責めたり、他人を責めたり、一概に「努力不足」という安直な結論によって苦しめられているのだ。

ところで先ほど「集中力の質」を軽んじる様な事を言ったが、私が考えるこの理論の真価は「自己分析」にある。これは自分に適さない過酷な環境に無理やり順応するための劇薬では無くて、あくまで「内的要因」である自分を知るための補助線に他ならない。そして、それは才能と向き合う上で必要な半分を占めている。

そもそも、こういったミスマッチは就職活動の時点から起こるもの。就活が一大イベントになっていて、転職する回数も多く無い日本人は、たった一度のミスマッチが人生に深刻な影響を与える事もある。そう、就職活動も「自己分析(内的要因)」と「企業研究(外的要因)」が両輪で、その擦り合わせが全てだ。ここで書き記す「集中力の質」と「職能の器」の話が最初に必要になるのが、就職活動辺りなのかも知れない。

他にも外的要因を整えるために出来る努力がある。それはワークスペースなどを整える努力だ。自分の働く物理的環境を整える事が、適切な集中へと繋がる。そんな環境整理の際たるものが「集中力の質」理論の中にも存在する。それが「ルーティン」だ。

「ルーティン」とは何か

「集中力の質」が才能に関する悩みを全て解決する万能薬では無いと前置きをした上で、劇薬とまではいかないまでも漢方薬やサプリメントの様な遅効性の薬が、「ルーティン」である。

アスリートのルーティンワークや、最近ではYouTubeでモーニング・ルーティンが流行っていたり、現代はメジャーなワードとして流通している「ルーティン」。これをまるで必殺技の様に考えているクリエイターを何人か知っているけど、実際は漢方薬やサプリと前述した通りで劇薬では無い。ただ、そういった思考のクリエイターは思い込みが強い傾向にあるため、彼らにとっては十分なプラシーボ効果があるのだろう。ただ、それをあまりに大袈裟に吹聴するのは、いささかHYPEである。(HYPEは誇大広告と翻訳できますが原文のままの和訳せずに掲載しています。)

しかしながら、ルーティンの代名詞とも言える「岸あかり」の超人的な集中力は極めてHYPE的であるので、ああいった超人が現実世界にも存在する事実は認めざるを得ない。いつの時代もアスリートなどが魅せる集中力を帯びた眼差しに私達を惹きつけられるものだ。それは得てして刹那的に短く、圧倒的に深い集中。ここ一番、そういった瞬間を、あろう事か大観衆の中で披露するのだから、これ以上に美しい瞬間は無いかも知れない。

モーニング・ルーティンなどは、日々を整えるちょっとした工夫くらいのニュアンスだが、アスリートが語るルーティンワークには、そういった美しい瞬間を期待させる神秘に満ちた響きを持っている。ルーティンはどんな集中力の質でも持つ事がありえるのだが、アスリートなどの深い集中が必要な職能ほど、ルーティンに多種多様な独創性が生まれると感じている。

後編では、この「ルーティン」という技術と、その先にある「職能の器」と「集中力の質」が最高の形で共鳴する瞬間について書こうと思う。それは「左ききのエレン」と呼ばれるアーティストが、これから到達しなくてはならない理想であり、最後のステージの話だ。

「ルーティン」には大きく5つのステージが存在する。

後編につづく

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今後書く関連の有料記事もここに入れていくので、まとめて買いたい方にオススメです。

「集中力には3つの属性がある。集中に入る速さ、集中の長さ、そして集中の深さ…この3つを掛け合わせたものが、その人だけの「集中力の質」である…

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