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足助のおばさん in 土佐 1

まもなく4000回を迎えるこのブログを、日本の日記文学の系譜に位置付けてもよいのではないかという、たいそうな見出しです。
足助で生まれ育った夫が高知で大学生活を送ったのは、まったく偏差値のみで進学先を決めた高校の進路指導によるものです。夫の父親(おじいさん)の思惑は「国立一期校を卒業して、地元の公務員にでもなって、イエ・百姓を継いでくれ」というくらいのものでしたでしょう。大学生が学生運動に励んでいたのも夫より少し上の世代です。ところが世間知らずな坊ちゃん高校生だった夫は高知に渡って、親切な活動家の先輩にいきなり心酔したようです。まったく180度方向転換する羽目になり、そうして私と結婚して活動家として足助で生きることを余儀なくされていくのでした。
夫の活動家としてのルーツはすべて高知にあり、これまでも何度か同窓会が開かれ、私も岡山開催の折には同行して、ひとり「大原美術館」へ行ってきたこともあります。(今年の正月に記事があります)。岡山ではほんの数人にごあいさつしたのですが、私の「連句ROCKで沖縄を詠む」という記事を夫が盛大に宣伝してくれていたので、今回は宴会から出席させていただきました。
ところが、夫から「二次会には出るの?」と訊かれた際に「お酒も飲めないし食べることもできないから無理」と答えて、私はただ観光だけのつもりだったのです。夫の問いは「一次会には当然出るものとして、二次会は出るの?」という意味に読み直さなければいけないものでした。私は同窓会なのだから「一次会には当然でないし、二次会も↑の理由で出ない」という意味で答えたのです。
夫婦の会話といえ、このようなすれ違いは常に注意が必要です。(続く)(2023年5月18日 記)

(元ブログ 私的土佐日記 1: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)参考 高知行き航空券: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)「連句ROCK」で沖縄を詠む: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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