出原樹音

2000年に「連句」という文芸に出会いました。「座」という集団で作成する「連句」は、双…

出原樹音

2000年に「連句」という文芸に出会いました。「座」という集団で作成する「連句」は、双方向でボーダーレスな文芸です。「連句」に限らず、日々雑感を綴るブログです。

最近の記事

足助のおばさんと教育 48

OXFORDの教材 塾で教えているSちゃん(小学生です)が「うち、英語が勉強したい」と言うので、教室長先生に図ったさい、「たしかオックスフォードから、子ども用英語教材が出てるんですよね」と言ってしまった後で、念のためPCで検索してみました。そうしたらもう、ものすごい種類の教材が出ていて、しかも会員登録をすると無料でデモ教材を送ってくれるというので、申し込んでみました。 Sちゃんについては、保護者の方から「塾で教えてもらわなくてもよい」ということで、Sちゃんの望みはかなえさせ

    • 足助のおばさんと教育 47

      連句と子育て 今日は、ちょっとズルします。(^-^)。 「あいち民研 通信」第111号     2009.2.27 発行 より 連句と子育て    出原樹音(あいち民研会員・ころも連句会会員・豊田市在住) 私が連句と出合ったのは2000年の春、今年の春で丸9年になる。 「5・7・5」句と「7・7」句を交替に付けて行く「座の文芸」連句は、今はもう趣味の領域を超えて、私の存在理由のひとつである。 今回原稿執筆の依頼を受け、改めてインターネット連句「KUSARI」を振り返って

      • 足助のおばさんと教育 46

        Cコマの授業 私のバイト先の塾は、1授業90分で、5時から6時半までをBコマ、6時半から8時までをCコマ、さらにその後のDコマという具合にクラスが分かれています。お気付きのように、3時半から始まるAコマというのもあるんですが、生徒の下校時間により、めったに行いません。 私が受け持っているのは、週に2回のBコマで、おもに小学生担当です。なかなかやんちゃな顔ぶれで、90分間机の前に座らせておくだけで一苦労します。まあ、小学生のうちから塾通いはしんどいよなーと同情もしますが、こち

        • 足助のおばさんと教育 46

          きゃべつ 昔、清水義範氏がパスティーシュで名を売っていた頃、八百屋のご主人が「きゃ別」と書いてお客に笑われる話がありました。あの頃は清水義範作品ならすべて読んでいたように思います。 と、前説にして。 キャベツが安いです。少なくとも足助のスーパーパレットでは、1玉105円です。野菜はほとんど自家産ですが、キャベツと人参だけはスーパーで買います。あと、今年は玉ねぎを早々に使い切ってしまい、ネット買いしてます。この「ネット」はインターネットではなく、赤い網のことです。一つのネット

        足助のおばさんと教育 48

          足助のおばさんと教育 45

          母語 長年英語の勉強を続けてきましたが、結局日本の子どもたちが国際的に通用するために身につけなければいけないのは日本語だという結論に至りました。その手頃な例が麻生さんですが、外国語を学ぶ時に自分の育つ環境にある、まあお母さんの言葉ということになるのでしょうが、母国語がきちんと身に付いていないと、外国語の習得にマイナスになります。 これはちょっと語学系の本をひもとけば多くの人が語っていますので、そもそも論はそちらに譲りますが、子ども相手に英語を教えることがどれほどの意味を持つ

          足助のおばさんと教育 45

          足助のおばさんと教育 44

          共通一次 30年前の昨日と今日が初めての共通一次だったそうです。もうセンター試験に移行して何年もたつので、知らない世代もあるかもしれませんね。実はこの史上初の共通試験に挑んだのが私たちの世代でした。 私が在籍していたのは、当時では県内屈指の進学校でしたが、生徒の意向を重んじるという主義でほとんど進学指導のようなものがありませんでした。成績が悪くても「東大を受けたい」と言えばそのようにさせてくれたので、ある意味とても生徒に優しい高校でした。 私たちが高校に進学する頃から共通一

          足助のおばさんと教育 44

          足助のおばさんと教育 43

          冬期講習決起集会 昨日はバイト先の塾の総決起集会で、名古屋へ行ってきました。朝9時20分に伏見に集合という打ち合わせになっていて、相変わらず朝の弱い私は塾長先生に「遅れたらタクシーで駆けつけますから、皆さんお先に」と、託してありました。しかし、当日の朝はなんと7時前に起床することができ、しかもいつもとは違って、グリーンロードから直接東山線に乗る、という道順をとった結果、9時ちょうどに伏見に着くことができました。缶コーヒーで一服しているうちに皆さん到着。納屋橋へ向かって歩くこ

          足助のおばさんと教育 43

          足助のおばさんと教育 42

          中検の結果 試験が終わってから、中国語に関するテキスト類はすべて本棚の奥深くへしまってしまい、もうほとんど忘れていた中国語検定の結果が今日届きました。結局不合格だったのですが、私としてはかなり良くできていたと思っています。リスニングは、去年と同じく合格圏内でしたが、筆記があと4点足りませんでした。総合点では合格圏だったんですが、リスニングと筆記それぞれに合格してないといけませんので。 中国へ行ったこともなく、中国語が特に必要な理由は何もないのに、これだけ頑張れたのですから、

          足助のおばさんと教育 42

          足助のおばさんと教育 41

          スーツでバイト このブログを中断する前にも少し書きましたが、先月からバイトを始めました。 学習塾の講師ですが、大方は現役の大学生なので、10月から大学の講義に合わせてシフトが変更になりますので、そのために新規の講師を募集していたようです。一応小学校の教諭免許と中学校の国語、加えて30歳の時に英検の2級をゲットしていましたので、年齢などは考慮の範囲外で採用されたようです。普通に求人広告などを見ていると、45を過ぎたら、清掃の仕事か深夜あるいは早朝の仕事しかないので、時節的にネ

          足助のおばさんと教育 41

          足助のおばさんと教育 40

          通信教育 「好きな時間に自分のペースで進められる」通信教育が大好きでした。私は生まれ育ちが回りの人と異なっていたせいか、「普通」でいることが苦手です。高校生の時に文芸部の出す冊子に便乗していくつか作品を載せてもらった事があるのですが、その時の文章にも、「萩尾望都のようになりたければ、真似をしてはだめだ」という一文があります。とにかく自分らしく、という私に通信教育はうってつけでした。 もちろん、手を出したけど途中で投げ出してしまったものも少なくありません。続けて成功した代表が

          足助のおばさんと教育 40

          足助のおばさんと教育 39

          息子の一人旅 今朝、息子が旅に出ました。2泊3日ですから、旅というのも大げさですが。 昔、夏休みの宿題で「読書感想文」と言うものを書かされていた頃、息子は本を読むことが苦手で、本当に七転八倒していたものでした。その頃はまだ私自身にも読書力があって、「本を読まない人生なんて考えられないわ」と思ってましたので、息子がこうも読書嫌いなのは誰のせいなのか、と私は私で悩んでました。 しかし「テツ」との出会いが息子を変えました。最初は「鉄子の旅」というコミックでしたが、鉄道を使って旅す

          足助のおばさんと教育 39

          足助のおばさんと教育 38

          教育実習と赤旗 大学が教員養成大学だったので、教育実習には2度行きました。3年生の後期に4週間小学校と、4年生の前期に2週間中学校へ。中学校にはまだ弟が在籍しており、まさか受け持ちのクラスになるとは思ってませんでしたが、国語科実習生2名のうち一人は弟のクラスに配属されました。弟と私は顔立ちがよく似ているので、苗字ももちろん同じでしたから、私たちが姉弟であることは一目瞭然でした。1度、その私じゃない方の実習生が公開授業をするのを見に行きましたが、弟は見るからにふてくされてまし

          足助のおばさんと教育 38

          足助のおばさんと教育 37

          時計 はじめて自分の時計を持ったのは、小学校の入学祝いにもらった目覚まし時計です。シンデレラの絵が背景でした。父の知り合いの郵便屋さんが、「何かほしいものがある?」と訊いてくれたので、迷わず「ディズニーの時計!」と答えた結果です。当時は時計というのはそれほど安価なものではなく、隣で聞いていた母があわてて「だめだよ、そんな高いもの」ととりなしてましたが、郵便屋さんは私の願いをかなえてくれました。 時計の読み方を覚えたのも、その目覚ましのおかげでした。本来義務教育では1年生の後

          足助のおばさんと教育 37

          足助のおばさんと教育 36

          算数教室のころ 昨日、大分の教員採用汚職について少し触れましたが、私も教員養成系の大学を卒業しておりますので、全く他人事ではありません。私たちが実際に採用試験を受ける前に、担当の教官から「議員に知り合いがいるなら、挨拶くらいはしておいた方がいい」とこの耳でしっかと聞きました。まあ、私も学生の頃から共産党の活動をしておりますので、ある意味「議員の知り合い」はありましたが、教官のいう意味とは異なることくらいは当時の私でも理解していました。 しかし、本当の意味で当時の町会議員の村

          足助のおばさんと教育 36

          足助のおばさんと教育 35

          NTTの宿舎 私が中学生だった頃、四国から転校してきた女の子がいて、気さくで可愛かったので、同性にも異性にも好かれるというみなみちゃんのような子がいました。 そのみなみちゃんは、当時はまだ電電公社だった会社の社宅に住んでいて、「うちの電話代はタダなの」と言ってました。まだまだ世事にも疎く、それがいい事なのか特権的な不平等なのか、別に何も気にせずに聞いてました。少しやんちゃな級友たちの間では、みなみちゃんの家に集まって、いたずら電話をかけるといういけないことをしてました。私の

          足助のおばさんと教育 35

          足助のおばさんと教育 34

          アブナイやつら また、嫌な事件が起きましたね。私が念頭に置いているのは東名高速で起きた少年によるバスジャック事件ですが、今日のヤフーのトップには、秋葉原の事件を受けて、銃剣等法規制を40数年ぶりに改訂するという記事がありました。 私が子どもだったころには、怖い人たちは見るからに怖い格好をしていました。中学生になると、直接関係のない怖い大人より、クラスの中の改造制服を着た男子や、化粧に裾を長くしたスカートをはいてる女子が怖かったです。 その一方で「良い子がアブナイ」と言われ始

          足助のおばさんと教育 34