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足助のおばさんと介護 169

昨年7月に「徳川家康公の苦難~三河一向一揆 始まりから終わりまで~」というバスツアーに参加しました。参議院選挙真っ最中でしたのでUPするのを先送りしていました。ちょうど娘の誕生日でもあったことから、帰路はそのまま新幹線に乗る娘と二人で参加したのでした。
岡崎はもう「どうする?家康」で大盛り上がりでしたが、「家康公を呼び捨てにするのはけしからぬ」と言われたことは昨年9月に「さっぱりお仏事」でも少し書きました。ところが、このツアーに参加していた最中に、実家の母が救急車で運ばれたと私のケータイに電話があったのでした。本来なら弟のところへ行くはずの連絡が、全国的にKDDIの通信障害のあった日で、「2番目に連絡する」私のところに連絡が来たのでした。いずれにせよ、豊橋にいる弟より岡崎にいる私の方が母のいる場所に近かったのですから、弟に連絡が行っても私が出向くことは変わりなかったでしょう。私はバスツアーを途中で下ろさせてもらって近くの駅から赤池駅へ向かうことにしました。
そういう時に限ってハプニングは重なるもので、バスが予定変更して中岡崎駅へ近づいていく直前で交通事故渋滞が発生していたのでした。私が下車を申し出なければ巻き込まれなかった渋滞です。駅まで歩いても行けると言われ、私は全速力で駅へ向かって歩きました。(さすがに走ることはできませんでした)。
赤池にたどり着いたのは1時間以上も後です。母は、歯医者で歯を削られている最中に気を失って、歯医者さんが慌てて救急車を呼んだそうですが、手当と言うほどのこともなく施設に戻っていました。
「どうする?家康」の初回を拝見して、次々と難題が降りかかった日のことを思い出しました。(2023年1月8日 記)

(元ブログ どうなされます、家康公: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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