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2月22日(水) 桶狭間〜岡崎城散歩
12時30分 桶狭間古戦場
今日は有給をいただいて、家の掃除後に散歩に繰り出した🚶♀️
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桶狭間という地は、周りを小高い山に囲まれている窪地で、布陣すると敵から狙われやすい、奇襲をされやすい場所ではないか、という印象を受けた。
今川義元は、「東海一の弓取」と言われるように、戦の名手で、強敵北条・武田と隣国に接していながら、巧みに立ち回り、順調に領土を増やした名将です。
油断、と言ってしまえばそれまでなのですが、名将がなぜこの地に布陣したのか、大将なのだからもっと後方から大局を見ておけばこのようなことはなかったのに、と思った。
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ちなみに、沓掛城への移動中に、「螺貝」という地名の交差点を見つけた。
桶狭間古戦場から数百メートルの場所だったので、「もしかして、ここで法螺貝を鳴らして一斉に織田信長が今川義元の本陣めがけて突撃したのかな?」と思った。
ちょうど、坂道だったし、馬による突撃で勢いをつけるにはちょうど良い場所だった。
その時に残る地名には意味がある。それを考えることも面白い考察になる、と思った。
13時 沓掛城址公園
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桶狭間から約6kmのところに、合戦前日に今川義元が滞在した沓掛城址公園に寄った。
この公園も小高い山になっていて、昔は見晴らしが良かったんだろうなぁ。
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5月19日の桶狭間合戦後、沓掛城は5月22日に織田信長が攻め寄せ、この城を落としたとある。
桶狭間の戦いで大勝利を収めた後も、決して油断せずに次の布石を打つ。
信長公のこういった一面にも偉大さを感じます。
14時 大樹寺
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次は桶狭間合戦後、徳川家康がたどり着いた場所・大樹寺を訪れた。
先述したように、19日に桶狭間合戦があり、その後22日に織田信長公が沓掛城を落としたとある。
ということは、まだ桶狭間の近辺に織田家の軍が留まっていたことを考えると、徳川家康は残党が残っていた中を決死の状態で潜り抜けたことがわかる。
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「厭離穢土 欣求浄土」は、“おんりえど ごんくじょうど”と読む。「汚(穢)れた戦国の世(土)、厭世を離し(無くし)、清らかな世(浄土)を追い求めよ(欣求)」という意味。
この言葉は、桶狭間合戦後に残党から逃れてきた徳川家康が「もはやこれまで」と、大樹寺の先代の墓前の前で自刃を試みた時に、登誉上人にかけられた言葉である。
これ以降、この言葉を旗印として合戦に臨んだという。
また、家康公は「南無阿弥陀仏」の6文字を1日に6万回唱えていた、というエピソードを見た。
人間離れをしている。もはや怪物の領域だ。
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松平7代と徳川家康の墓前を前に、心静かになった。ふと、この三河の地に縁あって生活しているのは、この地に導きがあったからとも言える。
自分の今の人生に静かに感謝をしてお参りしました。
16時 岡崎城・どうする家康館
最後は岡崎城下のどうする家康館に訪れた。
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館内はほとんど撮影NGだった。
人がとても多く、大河ドラマの威力を感じた。というよりも、徳川家康公が人気なんだろうな。
さっと回った感想。山田裕貴さんの言葉が印象的だった。
「だんだん本当に家康に腹が立ってきた。この姿勢で三河の民を守る長を務めるんじゃない!」と強い気持ちで初めの方は演じたそう。
松本潤さんも「山田裕貴くんの気迫に押され、こちらまで熱い気持ちが伝わってきた」と話していた。役者の純粋な熱い気持ちを聞いて、感動した。自分もこれくらいの気持ちを持って仕事に取り組まないといけないな。
展示物は全て読み切った。
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最後に、1kmほど先にある徳川四天王の銅像を写真に収め、帰った。
楽しくて、あっという間の一日だった。
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