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足助のおばさん in 十勝 9

気ままな一人旅も最終日を迎えました。今回は母を連れてくることができなかったので、親戚には秘密にしたわけでもありませんがごくわずかにしか知らせていませんでした。ただ、息子が度々「廃線の旅」でお世話になる伯母さん宅はどうしても寄る必要がありました。本来であれば法事に行くはずだった親戚にお供えをあつらえる目的もありました。伯母さんの家は十勝空港に近かったので、言い換えれば糠平からは遠かったので、帰りのフライト前に寄ることにしてありました。

レンタカーを返却する前にガソリンを満タンにしておかなくてはいけなかったのですが、十勝エリアでは給油ポイントが限られます。レンタカーの営業所の説明でも、帯広市内で満タンにしてあればOKということでしたので、まずカーナビを指定されたガソリンスタンドに合わせました。嫌な予感がしましたが、セルフスタンドでした。セルフスタンドを利用したことがなくもないのですが、到着したのが朝の8時前だったので、スタッフが一人もいません。帯広市内を縦断することになるので早めに出発したのです。確か、最初に「満タン」のボタンを押せば勝手に止まるはずだと思ったのですが、何度か機械が止まってはガソリンを足しているうちに給油口からガソリンがあふれてしまいました。ヒエッと思った時に若い女性が出勤していらしてSOSを求めると「ガソリンは揮発するので大丈夫ですよ」と言われました。給油口のふたをきつく締めて、改めて伯母さんの家を目指しました。

家の前で手を振って待っていた伯父さんは、まぎれもなく伯父さんでした。父と同僚だったこともある郵便局員のOBです。もっとも、父が生涯全逓労働者だのに対し、伯父さんは郵便局長として十勝のあちらこちらに赴任していたという経歴をお持ちです。いとこも私と同世代で、北海道在住中は一番親しかった親戚です。名古屋と北海道に離れてからも、父も母もお互いに気にかけながら生活してきたのを娘の立場から見ていました。その伯母さん(母の姉)と伯父さん(伯母さんの連れ合い)から、若かりし頃の父母や青年団の話を聞くのは、これも母がいなかったから聞けた話だったように思います。

息子は、本当にたびたびこのお家にお世話になっていて、伯父さんが鍋を持って「インディアンカレー」を買ってきてご馳走してくれました。息子もいつも食べているそうです。旅の締めくくりのお昼ごはんでした。

その後、空港で飛行機に遅れがあって、セントレアに着いたのが豊田市行きのバスの出るギリギリの時間になりました。夕飯はファミマのサンドイッチを買ってバスの中で食べ、梅坪駅からマイカーで足助の我が家に戻りました。

私が「運転できる」うちに、今度こそ母を伴って北海道行きを果たしたいものだと思っています。(終わり)(2023年8月17日 記)

(元ブログ Go to 十勝 9: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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