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足助のおばさんと教育 31

奨学金

大学が教育大学だったので、育英会の奨学金をもらうことは他の大学に比べて比較的(いろんな意味で)ハードルが低かったです。受給の説明会には同じクラスの学生もたくさん来てました。
私は、大学に入る1年前に名古屋の郵政住宅から今の実家へ引っ越しており、両親は住宅ローンの返済に追われ始めた頃でした。金銭的な意味では充分資格がありましたが、高校時代の学業がはなはだ芳しくなく、家庭科の「5」を含めて、ようやく基準をクリアーできたので、私にとって家庭科はなくてはならない教科だったわけです。
育英会の奨学金には2通りあって、月18000円の特別奨学生と15000円の一般奨学生です。特別奨学生の18000円のうち、一般より高い3000円分は初めから返済を免除されていました。そして、特別・一般ともに、15000円分は、教師を11年続けることで免除になる、はずでした。(昔のことなので、多少記憶が違うかもしれません)。
私は審査の結果、一般奨学金を受給することができたのですが、結果的に教職につくことができなかったので、4年間では70万円ほどに膨らんだ奨学金を夫の給料で返済することになりました。私たちの学年から、急激に教員採用の枠が狭くなり、特別思想的にあーだこーだ言わない学生でも正規に採用されるには短くても2~3年かかると言う状況でしたので、私のように旗幟鮮明にしていた者が採用されるわけがありません。奨学金を返済することは、そのまま教職への道を自ら閉ざすようで、心が痛みましたが、夫が了解してくれて、また、二人の子どもに恵まれて、幸せ一杯に暮らしておりましたので、返済に踏み切りました。
奨学金を返済することになって思ったのは、お上に気を使わなくても良いという解放感です。それまでは新聞の投稿など全てPNを用いてましたが、シナリオへの道を決意してからは、どこのどんな新聞でも実名で投稿するようになりました。
教員に鬱病が流行り病のように広がっている今、つくづく教職を諦めてよかったと思ってますが、この域に達するのは容易なことではなかったです。(2008年6月3日 記)

(元ブログ 奨学金: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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