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足助のおばさん 田舎暮らし 228

コロナ断捨離で出てきたものの続きです。
1995年「この指とまれ」というミニコミ誌に書いた原稿があるはずだと思っていたら、主宰の釘宮さんが私の作品をまとめてコピーしてくれたものが見つかりました。フロッピーディスクをCDに焼いてもらった時に「夢の続き」と「ヤンママブギ」をこのブログに掲載してありますが、時代考証をすれば「ヤンママブギ」と同時進行で書いていた短編集ということになります。コピーが薄くなってタイトルしか読み取れない回もありますが、書いた本人には内容はどれも忘れられないものです。12回の連載を終える際「この次お目にかかる時は、是非ともプロになっていたい」とまとめたので、釘宮さんのお仲間から「プロが書いていると思ってた」と、大変なお褒めの言葉をちょうだいしました。
「マイストーリー」というサブタイトルをつけたところまでは記憶していたのですが、自分の文中に「近松は戯作者だったし、夏目漱石は新聞小説だった。流行のメディアからその時代の文化が生まれている」とあり、今現在パソコンを駆使してブログを綴る自分をどこかで予感していたように読めます。
残念ながら職業としての物書きには未だなれずにいますが、ある程度の水準まで到達していた自分に「よく頑張ったね」とほめてあげたいです。(2020年6月24日 記)

2年前にコロナ断捨離を行った際、「ZAPPINGTHEATER」という私がミニコミ誌に連載した短編のコピーが出てきました。
全12話あるので、いつかリライトしようと考えていましたが、現実がドラマティック過ぎて書き直している暇がありません。ですが、初めて「頼まれて書いた」作品ですのでここに目次だけ記して記憶にとどめたいと思います。
1「地図にない道」
2「地震の後で」
3「憧れの田舎暮らし」
4「ホテルでランチ」
5「鯉のぼり」
6「地下鉄を降りて」
7「旅は続く」
8「夏休み」
9「ささやかなこの人生」
10「しゃべる手」
11「セールスレディ」
12「マイストーリー」
「2」「6」はそれぞれ阪神淡路地震と地下鉄サリン事件のことを書いたものです。
これからの書き手には「コロナ」「ウクライナ」を避けて書くことは不可能でしょう。
「10」は手話での会話を書きました。近所に手話通訳を目指している方があったのですが、「プロの手話通訳」1本で生計を立てられるほどの収入にはなっていないのが現状です。
1995年にこれらをものした私は、かなり先を見通していたように思います。(2022年6月4日 記)

(元ブログ 出てきた「Zapping Theater」: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)ZAPPINGTHEATER 目次: Here Come the 足助のおばさん (asukenoobasann.com)

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