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教育への情熱は労働時間に比例する

皆さんこんにちは。野良教師です。

僕は卒業してから10年間同じ職場に務めています。
私立の中高一貫の理科教員として採用された僕は、今まで一度も転職せずに教員として生活してきました。

基本的に、通勤には1時間かかっており、公共の交通機関を使っても自家用車を使っても通勤時間にそんなに違いはありません。

また、サッカー部の監督だった時期も長かったので就労時間とプライベートの境目があまりなく、まぁ簡単にいえば週7で仕事でした。

人間関係が嫌になってサッカー部の監督は辞めましたが、今は他に部活の指導をしているのであまり時間的な余裕はないといった感じです。

そんな私ですが、最近の帰宅時間は毎日22時を回ります。

これって普通なのでしょうか?

一般的な民間企業で務めた事がないので良くわかりませんが、まぁ正直労働時間が平均12時間を超えるのでまぁまぁブラックな職場と言えるでしょう。

それでも10年やってこれたので個人的にはやりがいもあるし、そこまで悪くはないとは思っています。

しかし、最近少しずつ疑問に思っている事があるのでそこについての話をして行きたいと思います。

【定時退勤主義者への嫌悪と共感】


僕は、「教育への情熱は時間と比例する」と思っているので、教育に自分の時間を使えない教員は正直教員失格だと思っています。

あまり理解されない考えだと思いますが、正直毎日絶対に定時退勤できないスケジュール感で生きているのでそこに文句を言うのはどうしようもないし、言っても解決にならないので文句を言うつもりもありません。

しかし、このような毎日を定年を迎えるまでやっていくのかと思うと気が遠くなるほどしんどいなぁと思っています。


【教員という職業は時間の切り売りなのか?】


結論として、教員は低単価で時間の切り売りをしている職業だと思っています。

どれだけ効率的に仕事をしていたとしても終わらない量の仕事があります。

毎日定時退勤できる人は、100%の力を生徒に向けていないと言っても過言ではないでしょう。

教員の仕事は生徒を思えば思うほど時間がかかる仕事なのです。

賛否両論あるとは思いますが、「教育への情熱は時間と比例する」と私は思っています。

なぜなら、生徒のためにやれる事は無限にあるし、その無限にある中から自分の労力と能力、時間を天秤にかけながら最大限のパフォーマンスを上げていく必要があるからです。

単純に掛け算で考えるのであれば、

生徒への教育のパフォーマンス=労力×能力×時間

上記の法則で考えるのであれば時間をかければかけるほどパフォーマンスは上がるし、逆もまた言えると思っています。

だから、どれだけ時間をかけることができたかという事が割と重要で、そこが出来ない教員や自分の時間を削る事を極端に嫌う教員は正直大したもんじゃないし、多分生徒の事を考えているように見せかけて自分の事しか考えていない自己中心的な人間だと思ってしまいます。

以上の理由から、教員の仕事はやろうと思えば際限なく時間がかかってしまうので、最初言った「低単価の時間の切り売りが教員の仕事」という結論はまぁ正しいでしょう。

要するに、僕は人生の大切な時間を教育に捧げているのです!(あー、えらいwww)

しかし、実際はそうしたくないし、僕にも家族がいるので、できる事なら定時である17時以降に仕事はしたくないので残業代を支払ってもらいたいと思っています。

【まとめ】

色々と仕事に関しては思う事はありますが、生徒と接していると楽しいし、子供は好きなのでやりがいは大いにあります。

しかし、労働時間に関しては非常に難しい問題で、生徒を思えば思うほど時間がかかってしまうので非常に難しい問題です。

だから、生徒の為に自分の時間を気持ちよく使えるように、しっかり残業代などの手当を払うなど出来るだけ考えてほしい。

それがあれば、教員の定時退勤主義者は減るだろうし、部活廃止論者も減っていくと思います。

もちろん、これらの人達の問題が残業代が支払われれば解決する問題ではない部分もたくさんある事は分かっています。

しかし、せめてそこさえ整備してくれれば、最低でも今よりはもっとポジティブに働ける環境は整備されるのでそのような環境整備ができる学校であると非常に良い人材も集まってくるのではないかなと思っています。
何を言っても今年1年は職を変えられるえるわけではないので、出来るだけポジティブに働いていきたいですね!みなさんも僕と一緒に頑張って下さい!
現場からは以上でーす!




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