「モテない」とは何か

モテない、という言葉の定義は何か。

それは多分人によって違って、自分は彼女がいる、または既婚である、けどモテとは違う、という人もいるだろうし、彼女がいたことがあるというだけで非モテではない、とする人もいるだろうし、本当に基準は人それぞれだと思う。

それを踏まえた上で自分が書きたいのは、モテない、という状態は、以下の状態に陥ってしまった場合を言うと思った。

「女の身体に性欲はわくが、女性という存在は敵だと思っている状態」

私はまず間違いなくモテではなく、平成時代を、一度も恋愛経験のないまま駆け抜けようとしている。これだけモテないと、自然と周りには「モテない」奴が集まってくる。類は友を呼ぶというわけだ。そしてそんな自分たちを客観的に観察した結果、上記の状態にあると分析できたわけだ。

いわゆる異性愛者であれば、生理的な反応として、女性の身体には、否応無く反応してしまうものだ。しかし、「モテない」人間にとっては、女性の身体を持つ「女性」という生き物は、自分を軽蔑したり、否定する生き物なのである。モテない奴は、それを経験的に刻み付けられている。

するとどうなるかというと、まず性欲というものが、喜ばしいものでなくなる。女とは、女性の身体を利用し、本能的な、極めて賢しいやり方で、巧妙に自分を惑わす悪魔である。興味がないと無視することも許されず、しかし彼女らは自分のメンタリティになんらかの危害を与えてくる(彼女らがそれを望むかは別として)。女は、敵なのである。

そうなってしまうと、負のスパイラルが始まっていく。いざ女性と仲良くなれても、恋心のようなものが芽生えたとしても、それは自分を貶める罠であり、到底喜ばしいものではない。会話は駆け引きとなり、沈黙は暗闇となる。そんな猜疑心や警戒心は相手にすぐ伝わり、チャンスは逃される。

恋愛の定義を、単なる肉体の関係以上のものだとするのであれば、やはりそこには協働の喜びが存在すべきで、そのような状態は、猜疑心を持って相手を眺めているうちは到底到達し得ないものになるだろう。

だからモテない男たちは言う。「若い女がいい」。これはある意味、女性というものに諦めたから出てくるスタンスである。別にもう自分を受け入れてくれなんて言わない。だったらせめて、肉体だけは若く魅力的であってくれ。

当然ながら女性は「女性」である前に1人の人間であり、「女性」としてのカテゴライズも、女性としての肉体も、その人のごく一部分であり、また、そのような非人道的なスタンスで女性と向き合う人間を受け入れられる女性は極めて少ないだろう。
こうしてさらに非モテは強化されていく。精神はひん曲がり、いつしか外見にもその影響が出てくる。

自分は間違いなくモテではない。が、もはや矯正不可能なまでに屈折してしまった非モテたちを、(類は友を呼ぶという性質上)たくさん見てきた。

自分が彼らを、憐れみながらも肯定的に見られない最大の理由は、最早女性というものを1人の人間として、その人権や人格を、必ずしも肯定出来ていないということだ。
いかに自分がモテないとはいえ、そのような、人を当たり前の人として見られなくなる状態にはなりたくない。

男女関係は本能的な部分が大きく、自信に直結する分野である。だからこそ、そこに折られない、強くしなやかな心が欲しいものである。そんなことを思いながら、1人つくろぐ秋の夜である。

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