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忘れることのない あの花と煮込んで食べよう

馴染みの街を、その街に馴染みがない人と歩くのが好き。

これはずっと前から持っている感覚で、かつなぜそんな感情が湧くのか説明できないものだったんだよね。例えば学生時代に友人の車で、大学から山一つ超えた実家まで送り届けてもらった時。自分にとって当たり前の景色が、隣の友人には当たり前じゃないんだと思うと、なんかウキウキソワソワしたんだよな。

今日は難波の街を、難波に馴染みのない件の大親友と歩いた。単身大阪に乗り込んでくると聞いて、「道案内するわ!」とツアコンに立候補した。その割には何度も何度も道を間違えてしまったんだけどさ。ビルとか交差点とか多すぎるんだもんよ。あと地下街の電波が悪すぎ。GPSが機能しない。僕の庭くらいのテンションで名乗り出たのに、GPSがないと道案内できてない。なんなん?

僕の勤務地であり、毎日焦燥感と疲労感を抱えて往復する街。それでもやっぱりいつもの心踊る感覚があったし、ずっと楽しかった。人多いし、ガラ悪いし、ほとんど仕事でしか来ないんだけど。それでも6年勤めていれば当たり前に自分と接点のある色々が街中転がってるわけでさ。隣を歩いている人はそれらをなにも知らないのよね。この感覚が面白くて好き。

INFPだと教えてもらって、こうした感情を抱く理由がある程度理解できた。おそらく自分は、自分を形成している土地、そこで起こった色々を誰かと共有出来ているような気がして、それがたまらなく嬉しいんだと思う。相手からしたら心から「知らんがな」なんだろうけど。考えると、ここでこんな事があったとか、あそこは昔こうだったとか、聞かれてもないのにずっと話している。過去の積み重ねから人が作られていると考えている僕にとって、それはある種の自己表現に相当する行為なんだと思う。

反対に僕の知らないお店のこととかも聞けたのが楽しかった。「ここオススメ!」とか「ここ人気らしいよ!」みたいなのって、そこを知るに至った経緯とか好きになったきっかけとかがあって成り立ってるはずで。つまりは、その人を構成する一部分を共有してもらう事と同義だと思ってるんよね。そうしてもらう事で、改めて自分を形成する知識とかが増えていってさ。「教えてもらった」っていう過去として僕の立つ地盤が広がり固まっていくわけだ。素敵なことだと思うよ。

だからさ。

こうした特性を何となく持っていた自分をINFPと名付けてくれたのに、今更「時間薬」なんて勝手なこと言わないでくれよって思ってる。思い出して死ぬほど辛いのは、死ぬほど大事だったことと等しいんだから。この気持ちがどうでも良くなったり、癒やされてしまうことの方が嫌だ。相手がそうした僕の姿を見た時にどう感じるかとかは、本当に関係ないと思っている。僕は自分が嫌な事をしたくなくて、したい生き方をしようとしているのよね。過去の出来事はぜんぶ覚えておいて大事にしたい。忘れたくないから書いて残したい。自分勝手であると思うけど、今日改めて「それが生きる活力になってるなら良いんだと思う」って言ってもらえて嬉しかったって話。

僕は自分の過去を大切にしたいし、過去から作られた自分でもって今を生きたいと思ってる。自分を構成するものは皆さんと共有したいし、皆さんの思い出だって、教えてくれるのなら大切にしたい。来年北海道に行くのも、まだ決まってないけど福岡に行くのだって、ワクワクしながらその時を待ってる。何処にどんな思い出が転がってるのか、是非教えてくれよなって思って毎日過ごしてるよ。

あと僕はいくら丼と豚骨ラーメンが好きです。オススメのお店を教えてください。よろしくです。

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