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渡せはしないんだ

どこら辺でおかしくなってきていたのだろうかと遡ってみると、分かりやすく「吐き出し続けて安寧を得ようと思う」なんてつぶやいていた。

書いて残す、筆を取るといった意識が欠落した瞬間だと思う。言葉を、紡ぐものから吐き出すものに違えた瞬間なんだろうな。舵輪がぶっ壊れて難破してしまった。

「Twitterに書けない様なことをこちらに書こう」という意識も悪い方向に働いていたな。内省や自己表現をするつもりが、表に出せない自分の壊れた部分を安易に曝け出す場にしてしまったていた。正しく、裏垢でやれって話だ。

ここは、やり場のない感情をそのまま散らかす様な場所ではないだろうが。正面から見据えて、形を整えて、やり場を与えてやれ。そうできた時のやり場とは、ここだ。そうできた時にだけ書くことが許されるのだ。

80年後に読み返す時、どう感じるか。少なくとも、今に至るまで言葉にしたものも、全て自分の内から出た以上は本心だ。やると言ったならやらなければ恥であり裏切りだ。これは変わらない。その上で、自分の特性に名前をつけてもらえた感謝でもって油を差すか、鬱屈したドス黒い執念でもって鞭打つか。どちらの方が走りきれそうかの違いだ。

醜悪な化け物になってしまったのは仕方がない。せめて感情のベクトルだけは真っ直ぐでいよう。真っ直ぐ思い続けよう。返ってこないのがわかっているだけまだ分かりやすいだろう。僕は勝手に走りまわればいいのだ。

一旦姿勢を正すために、今日も言葉にした。心のカイロプラクティック。あれスティーブンセガールっぽくて怖いよな。殺されんちゃうかなとか思う。

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