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ここぞとばかりに仙台愛を話させてください

こんにちは、のっぽです😄
もうご承知の方がほとんどかと思いますが、東北勢悲願の優勝を、仙台育英のみなさんが成し遂げました。
そんなめでたい出来事で思うことを整理します。

仙台そして東北とのご縁

生まれも育ちも関東の僕ですが、東北とはとても縁があります。

中学校の修学旅行先が東北だった

これ、周りに聞いてもほぼいないです。
京都や奈良が定番の時代になぜか東北でした。
『なんで東北なの』
世間知らずの中学生であった僕は行くまではそう思ってました。

記憶が正しければ、仙台まで新幹線で行き、そこからはバス移動。
花巻温泉や奥入瀬渓谷を回ったと記憶してます。

実は行ってみて感動しました。
季節は五月で新緑の時期。

いつか東北に住みたい

単純な中学生は東北の自然の美しさに一目惚れしました。

まさかの仙台転勤

そんな中学での経験を重ねて、高校大学と進み社会人2年目の夏、言い渡された人事異動。

東北支店勤務を命ずる

え?
目がテンでした。

入社して研修終えて約半年後の異動。
しかも、引越しを伴う異動です。
縁もゆかりも無い仙台へなぜ?
(縁はあったのですが。。。)

でも、結果的にこの異動は僕の人生を大きく変えてくれました。
社会人としての僕を育ててくれたのは、間違いなく仙台という街であり、第2の故郷だと思っています。

そして、仙台で嫁さんと出会い、最高な2人の息子に恵まれました。

3.11での立候補

そんな仙台への感謝の思いがあったからこそ立候補しました。

それは3.11後の復興支援。
当時の勤務先で支援を検討し始めた段階で、『行かせてください』と立候補しました。

なにもせずにはいられなかった。
それくらい仙台そして東北に育ててもらった思いを強く持ってます。

高校野球しかない

仙台へ転勤したのは1994年。
あぁ、もう30年前ですね。
(ちなみに1999年まで仙台で過ごしました)

当時の仙台というか東北にはスポーツ観戦という文化がありませんでした。
(少なくとも僕の周りの人たちには)

なんせ当時は、ベガルタ仙台はもちろん、東北楽天ゴールデンイーグルスもありませんでした。

なのでスポーツで盛り上がれるのは高校野球だけでした。
(少なくとも僕の周りの人たちには)

伝説の試合

そんな中、周りの人が口を揃えて教えてくれた伝説の試合があります。

1989年 夏の甲子園 決勝戦
仙台育英vs帝京戦です

みんな仕事を投げ出してTVで応援した
榎本課長(当時)談

NHKの視聴率は100%だったのかもしれません。(誇張した表現です)

僕が仙台に行く5年前の話です。
でも、みんなが目を輝かせて教えてくれたこと、今でもハッキリと覚えています。

みんなが一体になれる、そんな素敵な時間を体験したい。
そんな話をしながら、たくさんの方と仲良くなれた事を今でも覚えています。

時は過ぎて

あれから約30年です。
こんなに時間がかかると思っていませんでした。
そして、長男はもうすでに社会人です。

2001年は春の大会で準優勝
2015年に夏の大会で準優勝
他にも、金足農など決勝で泣いた、東北勢はたくさんあります。

そしてプロスポーツを含めれば、東北楽天ゴールデンイーグルスの優勝、ベガルタ仙台もリーグ戦で2位まで昇り詰めました。

ダルビッシュ投手、大谷選手のようにトッププレーヤーもいます。

もしかしたら、1989年ほどの盛り上がりではないのかもしれません。

でも最高

東北に5年しか住んだことのない僕ですが、本当に嬉しいです。

当時23歳だった僕は夢を描いたのです。
この仙台という街でみんなと優勝を喜びあいたいと、夢を描いたのです。

残念ながら、仙台で夢の瞬間に立ち会うことはできませんでした。
でも優勝という夢は実現しました。

何年かかってもやり続ければ叶うのです。

これからTVや映像を見て、喜びの余韻に浸りたいと思います。


仙台育英関係者のみなさん、ありがとう‼️

実は今年の3月に、仙台駅で途中下車して、仙台育英高校を拝んできました。

その想いが通じたのかも。。。。

書籍購入にサポートは充てさせていただきます。