こころ、の余裕の話。
鬱病になると、心の余裕がなくなります。
当然ちゃ当然です。
と、いうか、健康体元気万全状態な時でも、心の余裕が常に有り余っているという人は、なかなかいないんじゃあないんでしょうか。
自分の心の余裕がない時に、相手が何か言葉を投げかけてくる。人間である以上、コミニュケーションをとらない環境にいなければならないことがほとんどです。
私の場合、会社で働いている訳でもなく、学校で友達といる訳でもなく、「独り」で「布団に引き篭もり生活」をしていても、最低でも2日に1回くらいは、家族と会話をしなければならなかった。
母の「ご飯食べられる?」に対して、「あ、」とか「お、」しか答えられなかったけど。情けないことに。
この、心の余裕が「ない」状態でコミュニケーションをとらなければいけない。実家ぐらし、祖父母もいる賑やかな家庭で、心の余裕を保つのが苦しく、姉の家に居候することになるのですが、「ぼちぼち」書いていこうと思います。
完全に健康体の自分を、心の余裕が「あまりない」。と表現するとしたら、
鬱病の自分は、心の余裕が「全くない」。
1ミリの隙間もないくらいにギチギチ。ガッチガチに凍っている。真茶色に錆びている。
それか、心だけ、ぽーんって、どこかに飛んでいってしまった。まさに、体から心だけ抜け落ちてしまったような、「心がない」という感覚。
こんな思いをしている方、したことがある方、きっといるでしょう。人間、一人一人の感性は違うものですので、「もっと〇〇だったよ‼︎」「これよりずっと辛いよ‼︎」っていう人も当然いるんだろうなぁ。
辛いですよね。
今は、その抜け落ちちゃった心を大事な箱なんかにしまって、誰にも触られないように、重〜い鎖で、ぐるんぐるん巻きつけて、ガチャっと施錠。これで安心。
それか、心を体全身ごと、あったかいなんかふわふわな毛布とかで包んであげて、守る。労わる。
私は、抜けちゃった心を、そのまま床に転がしておきました。守る気力もない。ていうか、「あれ、私の心どこいった?」って感じ。探していないんですけど、多分、すぐ横の床に落としていた。すぐ近くにあったんですね。そんな性格。
ほんの些細なこと、今までの健康体な自分だったら、気にも留めないようなことが、とてつもなく苦しく思えて、心がギュっとなります。
チューブの歯磨き粉がでてこないだけで、1時間泣いたこともあります。
もしあなたが、「この人疲れてるな、」「なんかピリピリしてるな、」「何か悲しいことがあったのかな」って相手を思うとき。精神的に参っている人に、追い討ちをかけるような言葉は投げかけませんよね。
でも、自分のことは追い討ちをかけてしまっている。「私がこうだから鬱になった、」「なんで私が、」「私のせいで、」…
相手には優しくできるのに、自分には追い討ちをかけちゃう。なんなんでしょう。
これも、心の余裕がないからなのかなぁ、と勝手に考えてしまいました。
「そもそも、自分の心の余裕とか考えてられっかよ!!!!!鬱だぞ?!!!!!」
超わかる自分。そうだよね。
でも、今は心の余裕が「ない」、心が「ない」から、気持ちの整理がつかない。当然のことです。だんだん、心の隙間が空いてきたら、責めないで、いっぱい休憩してください。
絶対に責めないで。
あなたは、人のことを責めてしまった時に、とても後悔する。悲しくなる。「なんであんなこと言っちゃったんだろう、」ってずっと考えてしまう。
だから、自分のことにも責めないで、優しく、そっとしてあげてください。
あなたの周りには、知らずに、人の心に追い討ちをかけてしまう人が、いるかもしれない。相手に心をギュっとされた。ショック。
そういう時は、その場で泣いちゃってもいいと思うんです。大人だからとか、関係ない。人前で泣けないなら、後でひとりで、枯れるほど泣けばいいと思います。
でも、自分も無意識のうちに、相手の心をギュっとさせてしまっているかもしれない。
そういう風に考えながら、自分は自分のペースで、傷つかないように、相手を傷つけないように。何より、自分を傷つけないように生きるように心がけたいです。
まだまだ寒いので、たくさん自分に優しくしましょう。優しくするのが無理なら、そっとしておいてあげましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?