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小学5年生の震災

「私の人生は、ここで終わるのかもしれない。」

小学5年生のとき、校庭で体育の授業を受けていた私は、ふとそう思った。今思えば、そんなこと言うもんじゃないよ、と言いたくなるけれど、それぐらいのことを体験していたと思う。

校庭で担任のルール説明を聞いていた時だったと思う。経験したことない揺れを感じた。外で大きな地震にあうのは初めてだった。担任の立場から見れば、生徒がひとところに集まっていたのはラッキーだったろう。

周りで泣きだす子たちが続出。酷く泣く人がほかにいると自分は泣けなくなる、とはよく言ったもので、私は1滴も涙が出なかった。号泣する子の手をつないでなだめながら思ったことが

「私の人生は、ここで終わるのかもしれない」 だった。

恐怖よりも、自分の手に負えない大きなものに対峙して、茫然としたような状態だった気がする。

隣に見える校庭のプールが、揺れにまかせてこぼれていた。

帰り支度をして緊急下校のために校庭に集まった時、迎えをまつ子どもたちを見ながら気づいた。「私には迎えがこないな。1人になる、危ない!!」私の両親は共働きで、自宅から片道1時間半の会社で働いていたのでこの状況で確実に迎えには来れなかったのである。身の危険を悟った私は、すぐに隣のクラスの列にいる友だちに言った。

「家に行かせてくれ!!!!!!」

その友人は毎朝一緒に登校していた同じマンションに住む子で、お母様が主婦であったことは確認済みだった。そこで、この子のお家に保護してもらおう!と思い立ったのだ。(我ながら冷静な判断!GJ!)

着替えとご飯を取りに自宅に帰った後、友人宅にうかがった。両親とも連絡がつき、無事である確認をし合った。友人宅のリビングで流れる茶色い映像を見ても規模が分からず、把握できなかった。

電車が完全にストップし両親の帰宅が明け方になることが確定すると同時に、友人宅への宿泊が決定。緊急事態にも関わらず友人はうれしそうだった。

しばらく経って、友人の話を聞くと各々が各々の方法で(小学5年生なりに)あの日を乗り切ったことを知った。

1人は、仕事場から帰ってこれない母親の代わりに、弟に料理を作っていた。本当に同い年か疑ってしまった。

一方で、いつも通りお弁当を持って塾に行った猛者もいた。行ってすぐに、帰れ、と言われたらしい。本当に同い年か疑ってしまった。

10年経って、小学5年生は大学3年生になった。思い出になっていくあの日を手繰り寄せながら、せめて1日だけは思いを馳せたい。

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