広島出身、この歳になった自分にできること
広島出身の私にとって、8月6日は特別な日。普段朝つけないテレビをつけて式典中継を見て、8:15に黙祷をする。
結婚もして、夏に広島に帰る機会は激減した。テレビに映る広島の空は、毎年とても暑そうで、セミの鳴き声がBGM。今日も画面の中で鮮やかな色を放っていた。
76回目の記念日。うち、私は生まれて35年なので、(記憶の有無は別として)半分くらいは見てきたことになる。
広島に住んでいた頃は、もちろん毎年黙祷を捧げていたし、毎年のように学校で原爆や平和に関するカリキュラムがあった。
小学生の時には、夏休みの体育館に集まって被爆者の方から直接お話を聞き、子ども心に怖かった。日常でふと、「いきなりぴかっと光ったらどうしよう」と想像を何度もしてしまった。
また、課外学習などで何回か見に行っているのに、改装後の原爆資料館で、被爆した方の遺品を見て自分のことのように想像して、気分が悪く動けなくなったことも。
毎年のように原爆や平和に触れて学ぶのが、多分広島だけだったらしいと知ったのは、高校を卒業し広島を離れてから。
平和記念式典の中継、原爆に関する報道の扱いがかなり小さく感じられ、ショックを受けた。
なんで、広島はあんな思いをしたのに、こんなに扱いが小さいのだろう。世の中の全員、祈りを捧げるくらいでもいいのに。
小さく見られているなんて。もう何十年も経ったから?
そう思っていた。
でも、私にとって「広島が特別」なだけであって、やはり沖縄戦の慰霊の日や、長崎の原爆の日となると、祈る習慣がつくりきれない。(日にちは知っているが)
そんな私は人のことは言えない、と気づいたのは、20代後半。
少し扱いが小さく見られていたのでは、という時期を過ぎ、最近は被爆者の高齢化などで体験談を伝えられる人が減ってきているからか、平和報道の量はまた増えてきているように思う。
報道ができること、そしてあり方を見直しているのかもしれない。
(報道の量や扱いなどについては主観でそう思っているが、違うかもしれない。インターネットの普及とかも関係していそうな。実際のところはわからない)
昨年のNHK広島の、「ひろしまタイムライン」の取り組みは画期的と思った。当時と現在との差異からプチ炎上もあったけど、届けようという気概は素晴らしい。
また、これも昨年見かけたもの。仕事柄、報道側の悩みもわかるようになった。
私は家族に被爆者はいない。広島出身で広島が好きというだけで、原爆の怖さ、平和の大切さ、この考え方をより多くの方に実感してもらう発信に何か貢献できるのかと、10年以上、今日までずっともやもやとしていた。
でも、今日少し見えた。
多分、今の仕事でやっていることと一緒だ。
時代が流れ、体験談を話せる人が減り、平和にある意味慣れてしまって、原爆はもとより戦争も、あんまり怖くないという意見も見られるようになった。
あんなに辛い経験で当時の人は苦しんだのに、その苦しみをリアルなものとして、今の人は解釈できなくなってきている。
当事者ではない私がここまでの気持ちを持てているのは、当時の教育のおかげだ。
教育、情報観点から見つめること。リアリティのなさに対し、違和感を発信すること。
当時のことを伝え残すために、動いている人を支援すること。
じゃあ具体では何ができるんだろう、というのは正直まだ見えない。でも、何らかがんばろうと思う。当時のリアルな体験と気持ちを、体験したくないほどの辛い内容を見聞きさせてもらった人間として。
というのを、今日の8:15に、黙祷しながら、空へ誓った。
ひっそり、派手でなくても何かしたいと思う。平和で多様性を認められる世の中をつくるために。来年の8月6日に、小さくても何か報告できるように頑張りたい。
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