見出し画像

制服が好きになれない皆へ

この記事は、大学生になった私から高校生だった私へ向けて、そして今実際に学校生活が好きになれないきもちを抱えている全ての高校生に(あるいは中学生にも)向けて書きます。
(さらに書き足しておくと、学校生活を謳歌してる皆はそのままでいいんだ。思うままに、全力で楽しんで!!やりたいことを大好きな人達と全力でやることに重きを置きつつ、未来の自分のためにも沢山悩んで、いっぱい笑って、元気に卒業してね。私も大学生がんばります。)

高校生の頃、私は学校へ行くことが大嫌いでした。
たった1年前に卒業したばかりなのに、思い出せるほど高校生活に関する鮮明な記憶はありません。記憶は、なんだか全部もやもやとして、霧の中の視界のようです。

暗黙のヒエラルキーのなかでの愛想笑い、同調圧力、ちっぽけな人間関係が生活に及ぼすおっきな影響、そんな小さな事にストレスを感じている自分の幼さとかくだらなさとか。なんか、本当にくだらないけど、私にとっては高校生とかいう概念は、そんなくだらなさの中にしか存在していませんでした。青春とか、よくわからなかった。同じ服を着て毎日学校に行く生活のどのあたりが?青春ってなに?

たかが3年間に、どうして皆はそんなに価値を見出すのだろう。

きっかけや理由は書かないけれど、その頃の私は鬱だったのだと思います。
毎日からだのどこかが変でした。毎朝のように目眩や頭痛、立ちくらみ、耳鳴り、倦怠感、胃痛とか。そして朝が怖くて眠れない日と、朝が怖くて眠り続ける日を繰り返しました。
ある平日は電車の中で立ち上がりたくなくて、終点と終点の間を夕方まで行き来したり、お昼ご飯が選べなくてコンビニに20分以上いたことも少なくなかったように記憶しています。集中力、判断力、決断力は落ちるばかり、車には轢かれちゃいたいし、甘いものしか味はしないし、話しかけてくる人には生返事しか返せない、そういえば少し痩せたりもしました、好きだったものは興味が無くなるか私の中に義務感を呼び起こして重荷となるかのどちらかで、何がしたいとかよく分かんない、帰りたいけど帰りたくはない。総括すると、
「なんだか全部どうでもいいのでとりあえずここから逃げたい。」

そんな私にも、大人は容赦なくこう言うのでした。
「高校生?いちばん楽しい時じゃん!」「青春を謳歌しなよ、3年しかないんだよ!」「学校生活を撮りなよ〜、今しか撮れないんだよ?絶対見返して良かったって思うよ!」
そう言う大人の誰にも、その一言に悪意なんてまるで無く、そして運の悪いことに私の周りにいた大人は、なぜだか口を揃えてそう言うのです。私はそんな台詞から、青春を押し付けてくる世の中の、恩着せがましさ(と言うと棘があり過ぎるかもしれない)と残酷さのようなものしか受け取れませんでした。ネガティブにしか受け取れない自分自身を許容できなかったことが辛かった、のだと思います。悲しかったのかも知れません。バカらしかったのかも。
当時の私は、毎日の生活が手一杯で、「高校生」から逃げることなんて考えもしなかったし、第一逃げちゃいけないんだって思っていました。
けれども今、私は大声で言いたいのです。

高校生なんか、つらかったら辞めちゃえばいい。

高校に通わずとも学ぶ手立てはいくつかあるし、大学に行くことだってもちろん出来ます。高卒認定は在学中に取ってしまうことも出来ます。
高校生であることが辛くなってしまったのなら、自分に合う高校生のやめ方を自力で探し出してしまえばいいのです。逃げてもいい。

青春を謳歌するのは今じゃなくていいんです。

高校生である3年間を特別な3年間にする必要はどこにもありません。人生のうちのどこを切り取った3年間だろうと、時間の重みはなにも変わりません。
私だって、人生どの瞬間も幸せで居たいけれどそうも簡単にいかないし、人それぞれに幸せの緩急があって、休まなきゃいけない瞬間があって、頑張らないといけない瞬間があって、今この瞬間における貴方にとっての最善をえらんであげられるのは、紛うことなく貴方自身です。

と、ここまで偉そうに書いてきましたが、日々がくるしいとき、そんなに大きな決断が出来ない気持ちが私には痛いほど分かります。逃げるなら、今この瞬間に逃げてしまいたいのだし。親や先生、周りの目、決断の障害となるものが沢山あると思います。
ただ、制服なんかクソ喰らえと思っている皆に、高校生活から逃げちゃうのもひとつの手だということを頭の片隅に置いといて欲しい。そして、高校生活だけが青春じゃないんだよってことを、伝えたい。

ところで、鬱々とした高校生活を送っていた私は、際どいラインをすり抜けて大学生になりました。
今私は、とても楽しいです。ちゃんとここに、青春がありました。
周りにいる人のなかには、今までの学生生活をまるっと謳歌している人もいるし、私のように高校が嫌で仕方なかった人もいるし、海外の学校に通っていた人もいるし、高校をやめた人や通信に変えた人、何度か浪人した人もいます。色んな人がいて、それぞれの「今まで」 を抱えながら、一緒に笑っています。今の私の生活にも、もちろん幸せの緩急はあるし、鬱は別に完治しないし、頑張らなくてはならないことは山積みだったりするけれど、楽しいです。この1年、私の得意なことも好きな物事も、沢山ある弱みもまるっと受け入れてくれる同期に出会えて、素直にいっぱい笑ったり、ちょっぴり泣いたりする事が出来ました。1年前はまさかこんな日々を送るなんて想像もしてなかった。そして、今までの鬱々とした日々をなんとかやり過ごして来れたのは、本当につらかったその瞬間に、その気持ちを堰き止めてくれる存在が本当に少ないけれども確かに居たがゆえで、今より一層、その存在の尊さを噛み締めています。ありがとう好きだよ。

当たり前のことだけど、「貴方の未来は必ず楽しいよ」などと言うことは出来ません。高校を卒業して制服を脱いでも、未来が明るい保証はどこにもなくて、さらに辛い生活が待ってるかもしれません。(現にコロナウイルスで世界がおかしくなっちゃっているし。)でも悲観的になる必要も無くて、新生活は青春の日々になるかもしれない。
逃げた先に希望があると、断言することは誰にも出来ません。

けれども、逃げなかった先に必ず希望があると、断言することだって出来ないのです。

どうか、貴方にとって最善の選択が出来ますように。私に出来ることはあまり無いけれど、せめてそっと祈っておきます。

そしてどうか、大人になる前に自らこの世を立ち去ってしまう人が少しでも減りますように。

制服に殺される若い子が今もこの世にいることを、私は忘れないでいたいと思う。

この記事が参加している募集

オープン学級通信

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?