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夏が砕ける音・悲しい匂い

8月になった瞬間に蝉がわんわんミンミンぎゃんぎゃん鳴いている。2歳くらいの小さな子供はこういう泣き方をするような気がする。ひたすらに泣くことに専念しているような。

その日の昼下がり、酷暑のなか、バイト先に出勤するために自転車にまたがり漕ぎ出した瞬間に、前輪のところでパリッと音がした。夏が砕ける音。タイヤには蝉の抜け殻がくっついていたらしくて、少し後退させたタイヤの下からは、小金色の破片がぱらぱらとアスファルトにこぼれていった。それをもう一度轢いて、自転車を走らせる。出勤すると、店長が悲しそうにiPhoneの画面を見つめていた。今年の春に入った社員と連絡が付かなくなってから暫く経っているみたいだ、「この子は多分、もう来ないよ」と穏やかに呟いた店長の、いそいそとシフトを組み直すそのまるまった背中をぼうっと眺める。なんだか悲しい匂いのする日だ。その日は廃棄が多かった。タイムカードの端っこが湿気でヨレていた。打刻して、燃えるゴミを抱えて、もわっとした梅雨明けの湿度のなかへ、退勤。

ある日起きたら陰鬱な梅雨が音もなく消え去っていて、困惑したのも束の間、とりあえずその日からずっと暑い。本当に暑い。
私は、暑いというだけで体調が悪い。体調不良は私の夏のデフォルトである。多分血圧が低いんだと思う、5月の段階でギリ低血圧ではないくらいだったので、多分今は血圧が低い。ちょっと今は数値を知って自覚したくはない。ただでさえ抗いようの無い怠さ。倦怠感や頭痛や胃痛、吐き気とか目眩とか立ちくらみとか、誰の目にもわかるような形で出てくるわけじゃない不調ってどこまで我慢したらいいのか分からなくて、それがつらい。夏ってだけで体調が悪いの、と幼馴染に言ってみたけど、いまいち腑に落ちてなさそうで悲しかった。仕方ないね。

倦怠感を抱えて毎年の夏を迎えるようになったのは、一体いつからだったのだろう。ただジッとやり過ごすことでしか夏を越えられなかった年が、これまでにいくつかあったような気がする。覚えていないのは暑さのせいか、はたまた。

制汗剤の匂いに紛れて、夏は今年も、悲しい匂いをさせている。身体は怠くて仕方ないのに汗は出ること、強い日差しを体いっぱいに浴びて元気に笑顔を弾けさせる人を見ると私とは違うと思ってしまうこと、悲しい。暑くとも私に毎日ぴったりと寄り添ってくる、やるせなくてままならない生活を、私は太陽に負けないくらいに眩しい笑顔で笑いとばしてあげられない。私の足下ではそういった生活が、ぎらぎらする太陽の熱によって、もう形も分からないくらいドロドロに煮詰まってしまっている。いつからだったかそれが、悲しい夏の匂いをさせるようになったのだった。

去年。重くて怠い身体を言い訳にして1人になるより、日差しに目を細めながら大学に行って、誰かと暑さを持て余しながら夜を待つ方が、ずっと心地がいいのだということを覚えた。知るんじゃなかったな、そんなこと。1人でいるほか選択肢の無い今年が、際立って酷く辛い。「仕方ない」の一言だけで納得して我慢しなくてはならない私たちが、私が、やっぱり絶対に可哀想だと思う。なんでよりによって今年なのだろう。通いたい場所に会いたい大好きな人たちがいるという巡り合わせが、実はものすごく幸運であることを私は知っている、知っているんだ。だから去年よりも、ひとりだったその前よりも、今年はずっとずっと悲しくて寂しいし、可哀想だ。タイミングが悪い、人生はこんなもんなのかもしれない。ままならなくてやるせなくて、いつも悲しい。イレギュラーな今年の、この窮屈な生活に順応してしまう世間や友人、勿論私も例に漏れず少しずつ順応しはじめていて、そのことが酷く悲しい。

悲しい気持ちを抱えた時、幼かった頃の私はどうやってそれを癒してあげていたんだろうか。悲しみを表す言葉を今ほど持ち合わせていなくて、買い物で憂さ晴らしをしてしまうようなお金を持っていなくて、お酒に酔っぱらってしまうことを知らなくて、無邪気で天真爛漫だった頃の私だったら、悲しい気持ちは悲しいままに、そのまま涙にしてしまえたのだろうか。ままならなくてやるせなくてどうしようもなく涙が出そうになる生活の全てを好きにはなれないのに、いつだって大泣きしてそこから逃げ出してしまいたいと思うのに、結局涙をこらえて歯を食いしばってしがみついてしまう私を私は滑稽だと思う。どうして小さな子供はみんな、大人をすっかり信じきって安心しきって何もかもを委ねて、あんなに大きな声で泣いてしまえるのだろう。

蝉は或る日突然土の中から出てきて、地上のことなんか何も知らないくせに迷いもなくするりとその蛹を脱ぎ捨てて、そのまま真夏の空のぎらぎらする青を味方に付けて飛んでいってしまう。私は私の中のたったひとつの悲しみですら、その青い空に吹き飛ばしてしまうことが出来ないのに。
頭の中に響く夏のなき声を、抱えきれずにしゃがみ込む。しゃがみ込んだ私を、誰かが自転車で轢いてしまってくれたら、少し楽なのかもしれないなと思う。
その瞬間にきっと本物の、夏が砕ける音がする。

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