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午後3時に化粧をする話

ところで私は目が悪い。
ものすごく悪い訳でも無いが、裸眼ではとても日常生活が送れないくらいには悪い。
寝付きも寝起きも最悪な私が朝、それが朝じゃないことも多いけれど、とにかく起き出して、
昨晩は眼鏡をどこに置いたのか、あああその前に点鼻薬はどこだ、鼻呼吸が出来ない(鼻炎持ち)
と机の上を手探りしている時間が一日のなかでいちばん嫌いだ。
目がろくに見えていないと、なんだか全てが億劫になる。コンタクトのある時代に生まれて良かったと心の底から思う。

夏は体調が芳しくないが、冬は精神状態が芳しくない。
日が短い、太陽が傾くのが早い、斜めに空間を裂く影、それだけで妙に落ち込んでしまう。特に年の瀬、師走は怖い。どうしてたったの1年で時間を1度区切ろうとするのかな、時間の区切り、節目が私はとても苦手だ。その度に裏切られるような気持ちになるから。時間を区切ったところで、何が変わる訳でもなくて、そんなことは分かりきっているのに。

今年も鬱々とした冬が訪れて、寝たり起きたりの繰り返しが少し怖くなってきた頃に、今年はちょっとびっくりするくらい過眠になってしまった。
とにかく眠くて、何もしたくなくて、ただでさえ短い冬の昼間にうとうとしていることを自覚したくなくて、辛かった。
それを無理やり起き出して、コンタクトを入れるのは、目が見えるようになると俄然人間らしい生活をする気になることを私は知っているからだ。

コンタクトを入れて、何かものを食べて、それでもどうしようもなく何もする気にならずにボンヤリしたまま、午後3時。
コンタクトがもたらす明瞭な視界すらも、私にやる気をもたらし得ない時。ウウウウウと唸りながら、化粧をする。ウウウウウと唸るのは、億劫だからなんだけど、化粧下地をのばして肌を明るくして、クマを消して、眉を描いたあたりで完璧主義のスイッチが入るので、その後は何だかんだで下瞼も描くしアイラインも引くしチークも入れるし睫毛もあげる。ちなみに一番好きなコスメはアイシャドウ。アイメイクが一番自由で、一番伸びしろがあると思っている。
そのまんまついでにかわいいスカートを着てしまおうか、かわいい革靴も履きたいし、理由は無いが外に出て、ケーキでも食べに行っちゃおうか?

化粧をするようになったのは、ここ2年くらいの話で、18でいる間はほとんどしていないようなものだった。19になってから、少しずつ練習して上手くなってきて、そういう上達を感じられたのが久しぶりだったからか化粧が好きになった。

化粧という字面、あまり好きじゃないな。メイク、としてみようか。

思えば小さい頃から、着飾るようなことが苦手だった。スカートが嫌いだったし、女の子が好きそうなピンクが嫌いだった。きっかけが分からないんだけれど、自分をよく見せようとすること、女の子らしくいること、そのものが恥ずかしくてたまらなかった。ランドセルは赤やピンクじゃなくて、青だった。
羞恥心の積み重ねが自己肯定感を失わせたのかもしれない、と思う。

それを取っ払うきっかけが、大学入学に合わせて流されるように仕方なく始めたメイクで、お洒落を純真に楽しんでいた同期の女の子たちであった。
見た目に関する自信は今もないけれど、メイクをして好きな服を着て歩く自由を手に入れると、それが自分を強くしてくれることを知った。
見た目から入る、みたいな言い回し、よくあるけど一理あると思う。本当に。
私の場合はメイクをして、外に出られる恰好になると、少しやる気が出る。何とか外に出てみて、無駄にドトールへ行ったりする。あてはなくとも街を歩く。

自分の機嫌を取る道具は幾つあってもいいと思う。午後3時、少し遅いがメイクをして、誰に会うわけでも無いがお気に入りのスカートを着よう。そのままお気に入りの革靴を履いて外に出て、私の気分が少しでも晴れるならそれでいい。

買うものがなくとも、元気がない時は何の気なしに化粧品売り場を眺めていることが多い。生活のなかで、メイクをすることは私にとってはけっこう大切なことなのかもしれない。在り来りだけれど、メイクをすることで守ってやれる心がある。元気にしてやれる気持ちがある。それならそれで、良いじゃないかと思うのだ。


これを書いたのは2020年師走のことです。

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