BUMP OF CHICKENと私、それにまつわる記憶
BUMP OF CHICKENが好きだ。
BUMP OF CHICKENが結成したのが1996年で、私が生まれたのが2000年で、初めてBUMP OF CHICKENを好きだと思ったのが2013年だった。中学一年生だった。
中学一年生の拙すぎる英語で、「BUMP OF CHICKEN」がどういう意味なのかを考えた。バンド結成当時のメンバーの英語も私と同じくあまりに拙いため、伝わった。「弱者の反撃」だ。私はその時からずっと、このへなちょこバンドのことを愛してやまない。
聴くようになったきっかけの曲は伏せる。そのMVのロケ地が私の住んでいた町だということを友人から聞いて、3DSのがびがびの画面・がびがびの音質でその曲を聴いた。(特殊な世代だと思う。YouTubeに一番簡単にアクセス出来る媒体がなんとDSだった。) その曲も大好きになった。
関連動画に出てきた『HAPPY』が決定打だった。
「優しい言葉の雨の下で涙も混ぜて流せたらな」 で、優しい言葉だけでは人の悲しみを拭い去ることは出来ないのだと知り、
「悲しみは消えるというなら、喜びだってそういうものだろう」で、人生の抗えない無常さを思った。
幼いながらに、私にとってこの曲は人生を変える、と思った。
24歳になって、10年の月日が流れて、私はその間に沢山のことを経験して大人になった。まだ未熟だということはさておき、この曲が私の特別であることは言うまでもない。
「優しい言葉の雨」には何度もうたれた。その中で泣いたり笑ったりした。けれども私はやっぱりずっと孤独で、生きるとはこういうことかと思った。私の孤独や痛みは、「優しい言葉の雨」で洗ったとて何も変わらない。孤独や痛みを「感じることを諦める」ことは出来ない。孤独や痛みがあるということ、その痛みに生き続ける意味があるということ、ずっと、ずっと信じている。
高校生。精神病にかかって、文字通り何も楽しくなかった時にもBUMP OF CHICKENは側にいた。人と喋れなくて、何も読めなくて書けなくて、娯楽も観れなくて聴けなくて、それでもBUMP OF CHICKENだけは側にいた。聞き馴染んだメロディーラインを追いかけて、時折、その歌詞に新たに出会い直した。
「体だけが自動で働いて 泣きそうな胸を必死で庇って 止まったら消えてしまいそうだから 痛みとあわせて 心も隠して」 「明日生まれ変わったって 結局は自分の生まれ変わり」
どうしようもない自分を抱えて生きていかねばならない。その辛さを、BUMP OF CHICKENは軽くしようとしない。軽減するのではない。辛さを、肯定するのである。辛くて当たり前で、それをどうにかこうにか自分でやりくりする。その働きを、共に歩んでくれる。何年か後の最新アルバムでも、同じことを言う。「あとどれだけ息をしたらこれで良かったと思える 心が砕けながらカケラの全部で動いている」
藤原基央は、一曲一曲を誰のためでもない私に向けて作り、唄う。彼がそう言うのだ。“君”が見つけてくれた、だから存在し得た唄だと、何万人もを前にして言う。“君たち”ではない。“君”だと。
BUMP OF CHICKENというバンドと、一人の私、一対一の関係がそこにある。彼は、僕たちのためにまた会いに来て、とまで言う。藤原基央は私の、リスナー個々の、生を肯定する。個が抱く孤独や痛みを想って、それぞれの生を肯定する。そしてきっと、個が抱く孤独や痛みを本当の意味で知ることが出来ないことを嘆く。
「君だけの思い出の中の 君の側にはどうやったって行けないのに 涙はそこからやってくる せめていま側にいる」
側にいてくれたことを、私はずっと忘れられないでいる。
私の精神病は治らない。24歳になった今も、薬でコントロール出来ていると思えばあっというまに転んだりして、結局ずっと病気なのだった。
双極性障害と病名がついたのはここ2,3年の話だが、そのうんと前から自分の中の何かと闘ってきた。
躁と鬱を自覚すると、混合状態に陥る。何でも出来る気がするし、何も出来ないとも思うし、何もしない方が良いとも思う。お金を使いすぎてはそれを悔いて泣く。躁転して苛ついたり気が大きくなりすぎて人に迷惑をかけては死にたくなる。何か文化的なものを受け取りたいという気持ちばかりが先走り、あちらこちらに目移りしてはろくすっぽインプット出来ないまま、集中力の欠片もなくて、何も受け取れなかったことが悲しくて辛くてどうしようもなくてまた泣く。
ここ一ヶ月あまり、ずっとそういう期間だった。
そのままBUMP OF CHICKENのSphery Rendezvous ツアーのセミファイナルを迎えた。前日の15時に座席が分かるのだが、Aブロック2列目、つまり最前の次の列だった。前日からずっと、気持ちは高鳴り待ちきれなかったし、始まって欲しくないとも思った。終わってしまうのが寂しいから。そのくらい切実に、その時間を大切に思っていた。
実際にやってきた大切な時間は、実感が伴わないまま水を飲むようにするするとこぼれ落ちていった。頭が働かなかった。集中出来なかった。躁の落ち着かなさ故なのか、興味関心が薄れて感情が動かなくなる鬱のそれなのか、よく分からないまま、藤くんの声を、彼らの鳴らす音楽を受け止めきれないまま2時間が過ぎた。泣き出しそうだったし、全く別のことを、例えば次の月曜日休講にならないかな、なんて考えたりしていて、意味がわからなかった。
断片的に、微かに残る記憶を、そればかりを反芻していたらそれが本当に自分が経験した自分の記憶なのかも分からなくなった。
あまりに病気すぎて、BUMP OF CHICKENに申し訳なくてたまらなくなった。
でもね、でも、ここまで書いてきて思う。BUMP OF CHICKENはこんな私をきっと受け入れてくれる。私だけの痛みを抱えて、ままならない私を引き摺って東京ドームへ来たことに、きっと感謝を伝えてくれる。
なぜって? そういうバンドだからだ。
BUMP OF CHICKENへ。
また行くからね、またきっと、調子の良い時に行くから。会いに行くから。待っていて。またどこかで、あなた方の作った音楽を真ん中にして待ち合わせをしよう。指切り。
BUMP OF CHICKENはこれからも、私が未来に零す涙を、地球よりも先に掬いあげてくれる。