前向きな言葉を使うと前向きなことが起こるという仮説について
「大丈夫」って思うと(言うと)大丈夫な気がする、といった根拠はないけど前向きな考え方は結構好きです。
私はとても気が小さくて、心配ごとが起こる前から「こんなことが起こったらどうしよう…」とありもしない心配を先走って考えてしまうことが多かったです。
いきなりショッキングなことが起きると心が耐えられないので、「こんなことが起きるかも…だからこうして気持ちを備えておくか…」と保険的な意味が強かった気がします。
しかし不思議なことに、そんなことを考えるとその通りになることも多くて、「ほらやっぱり~」とがっかりするんですよね。
仕事においてリスクヘッジは大切ですし、仕事内容によっては十分すぎるほどの心配も時には必要ですが、それ以外の場合は心が健やかにならない過剰な心配はあまり得策とは言えません。
私自身、仮にその心配ごとが起きなくても先に心配している分なんだか心も疲れていて、どっちに転んでもあんまり健やかじゃありませんでした。
前向きな言葉を使うこと
仕事を共にしている夫なんかは根拠のない自信をたっぷり持っている人で、「まあ大丈夫っしょ!」とけろりとしていることが多いです。
そして不思議と大丈夫なことが多いです。
この差はなんだ…と心配性の私は時に不公平だと思ったりしました。
そんな人と常に一緒に居て、周りの友人も前向きで快活な人も多く自然とポジティブな会話が増えて、自分自身も少しずつ変わってきました。(本当にありがたい。)
まだ誰も分からないような先の未来に対しては、なるべく前向きな結果を考えるようにしたり、「これは絶対大丈夫っしょ!」と出来る限りどっしりと構えるようにしたいと思ってます。
(時に不安が強くて弱気になりますが、クセみたいなものだと思うので何度も何度も繰り返して習慣づけてます)
それでなんでもうまくいくように…はもちろんなりませんし、たいへんな事も落ち込むことも勿論ありますが、いらぬ心配をしていたのが減った分なのか、前よりも随分と気持ちもすこやかでいます。
こういった話は、引き寄せの法則だったりと色んな話が出ていますが、あまり定義立ててしまうと思考も偏りそうなのでもっとぼんやりとしたものとして考えています。(あくまで個人的な意見です)
自分が変えられる範囲のことだけを頑張る
大丈夫!と、どっしり構えていられるのは、自分の影響が及ぶ範囲にだけ集中するからだと思います。
これから起こる未来は、誰にも予測できません。
(ある程度なら可能かもしれませんが)
その予測できないことにやきもきしても結果は変わらないです。その中で出来ることはやはり「自分ができることをする」ことです。
「この心配(課題)に対して、今の自分にできることはあるか?」を考えて、具体的に出来ることだけを行動に移します。
こうして書いてみるとすごく当たり前のことを言ってるように思いますが、意外と難しいものです。
風邪を100%引かないことは難しいですが、外から帰ったら手洗いうがいをするなどの予防を行動に移すことはできます。
心配するばかりで何も行動に移していないより行動に集中できるので、自然とリスクが減るのかもしれません。
刺激の強い情報には注意する
あと、要らぬ心配をしてしまう人(私)あるあるですが、刺激の強い情報にめっぽう弱いので、いっそ避けてしまうこともおすすめです。
「今はこんな危険性がある…」「○○をしないと○○○に影響が…」「将来こんな災害が起こるかも…」と心配の種は尽きません。
特にテレビやネットニュース、SNSは心配の宝庫です。
気になりだすと無限に心配をしてしまい、その心配が頭いっぱいになります。その心配が実現するかしないか分かるまで永遠に心配しなければなりません。
それでも人間のキャパシティには限界があります。無限の心配を処理することはとても難しいですし、いつかパンクしてしまいます。
そんなときは一旦メディアに離れること、どうしても忘れられなければ前述した「今の自分にできることはあるか?」を今一度問い直したいと思います。
災害が起こるかは分かりませんが、防災バッグの中身をチェックすることはできます。避難場所を確認することはできます。
病気の心配があれば、(食生活の見直しなど)今できる対策をしたり健康診断を予約します。仕事の心配事も、自分が取り組めることがあればやり、そうして出来ることを十分やったら「あとはうまくいくだろう!」とどっしり構えるぐらいでちょうどいいかもしれませんん。
過激な情報なんかは、一旦ぽいっと手放してみて暫く過ごしてみても、意外と平気なことが分かります。
どうしても気になってしまったその時は、なるべく一次情報をとことん探してみるのも一つです。
テレビのニュースやSNSは、誰かのフィルターで精査された情報です。(個人やテレビ局など)
○○で発表していた、○○○で噂されていた、ある人が言っていた、といった情報はどこで手に入れた情報でしょうか。ソース(情報源)はどこから来ているのでしょう。
誰かのフィルターで精査された情報は、その誰かが何かの理由で伝えたい思いの入った情報です。(視聴率が取れる、物が売れる、不安を一緒に共有したい、等)
時にはそんな情報がよいこともあるので否定はしません。近所で美味しいごはんが食べられるお店は積極的に情報発信してほしいです。
情報源の発信元や、データとして確証を持てるところまで掘り下げてみて、出所が分からないものは一旦忘れてもいいかもしれません。
まあそこまで極端にしなくてもいいかもしれませんが、えもいえぬ不安がわきやすい人(私)にとっては心の隅に置いておきたい対応策です。
美味しいものを食べて風呂に入りよく寝る
ここまでブツブツいろんなことを書きましたが、気持ちを少しだけ前向きにするには、やはり美味しいものを食べてあったかい風呂(シャワー)に入り、ぐっすりたっぷり眠るということです。
心が疲れてしまうと、どれかが億劫になることもありますが、気合いを入れて乗り越えると元気が出ます。
特に風呂は、入るまでは億劫ですが入るとサッパリして気持ちがいいです。
私なんかは、おなかが空くとこの世の終わりみたいな全てに絶望した気持ちになりますが、美味しいものを食べると絶望はどこに行ったのか、希望に満ち溢れます。単純です。
基本的なところを大切にしながら、自分の心を守って健やかに暮らしていきたいなと思います。
ご自身にとってすこやかでいられる過ごし方が増えますように。
それでは!
読んでいただきありがとうございます。 いただいたサポートは、じぶんの心が休まるものへ使い、またnoteを書く時の励みにしたいと思います。