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函館旅行記

今年の初め、行ってみたい街について考えてみた。

その時なんとなく、「夫と函館に行きたい」と思った。特に大きな理由はなかったが、なんとなく。

そしてふとカレンダーを見ると、2月に三連休があるのを知る。そして一泊二日ほどなら飛行機も宿も安いことに気づき、そのままあれよあれよと流れるように予約を済ませ、函館に行くことが決定した。

北海道の旭川で生まれ育った私は、おそらく中学校の修学旅行か何かで函館へ訪れた。その前後で、家族と車で函館に行くなど、ちょっとした遠出の旅行先として印象が強い。

対して九州で生まれ育つ夫、函館も初めて行くらしい。
どんなところなのだろう、どんな街だろう、どんなものがあるのだろう、とイメージも湧かない様子だった。

それも当然だ。

以前、夫が大学の頃長崎で暮らしていたことを知り、一緒に長崎旅行をしたときにも、逆のことが起こった。

初めて降り立つ長崎は、見るものすべてが新鮮で、私は終始キョロキョロとあたりを観察した。「ここが大学で、よくここの店に行ってね」という具合の、夫の大学を基点にした長崎の町並みの話は、とても興味深かった。

私が北海道で暮らしている間に、私の知らないこの街で、夫は暮らしていた。当たり前のそのことに、なんだかとても感動した。

函館でも、私の幼い頃からの函館の記憶を、ぽつぽつと思い出すように話してみるが、夫からするとどれも目新しく「そうなんだ」「知らなかった」の連続だった。

私の北海道での暮らしは、九州で暮らした夫の世界に交わることなく動いていた。縁が無ければ、当たり前のこと。それでも、こうして知らない世界にたくさんの暮らしがあるということは、すごいことだと思った。

そうして交わることのなかった世界線の二人が出会い、暮らしが重なっていくこと。私の函館の思い出に、夫との旅の記憶が重なること。それがなんだかこそばゆく、あたたかい気持ちになった。

湯の川の温泉宿は、部屋の窓を開ければ、目の前に海が広がっていた。温泉の露天風呂も、目の前が海だった。

海が大好きな私はとても気に入って、チェックアウトギリギリまで海を眺めた。ごはんも食べ終わり、すやすやと眠る夫の横で、ただただ海を眺めた。


たいそうのんびりと、贅沢な時間だった。

函館も、北海道も、またいいっそうに大好きになった。

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