見出し画像

真面目なひとの話

敷かれたレールの上がどうのこうの。
とかなんとか、
小学生の時お兄ちゃんが大好きだった、やってることは何でもかっこよく見えたし同じことをしたいと思ってた。
だから追いかけて中学受験をした。
目標の学校には届かなかったけれど、多分目標にたどり着いた時よりも何倍も素晴らしい学生生活を送れた。
でも、気付いたらいつも真ん中だった。
勉強も、運動も、友人関係もそつなくこなすのが得意だった。
そう気付いたのは大学に入ってからだけど、今までやってきた色んなことを考えたらそうだったなと感じた。
中の中、それか中の上。
できないことは滅多にないけど誰にも負けないこともなかった。

就活をしてて、人生の1/3をかけられるだけのものってどんなものだったらいいだろうって考える。
今まで自分自身のことしっかりしてて、真面目っぽくて、仕事バリバリこなすんだろうなって思ってた。
だから、ベンチャーみて、面接では成長したいですとか言って進んだり進まなかったりしてきた。
でも、話していくうちに自分が実際それだけの責任をもって仕事をできるのか、そのプレッシャーとか期待とかやらなきゃいけないことにきちんと結果を出して応えられるのか、不安になってきた。
つまり、ビジネスマン、ビジネスウーマン?には向いていないんじゃないか。と
向いてる向いてないじゃなくて、まあ働かなくちゃ生きていけないことは分かってるんだけどね、
だからただ学生気分なだけかな、弱音吐いてわがまま言ってるだけかな。そうなのかもしれない。

でも、絶対にそれが出来ないって訳ではなくて、多分そこに放り込まれたらちゃんと中の中くらいでいれるのが自分だと思う。
ずっとそうだったから、
でも、私の生活での幸せは仕事に重きを置いていないことは確実にわかった。
とはいえ人生の1/3、無下にできないことは一目瞭然である。

就活において人生の目的論を唱えている人がいる。なんでもいいから、それが働き始めてから変わってもいいから、

人生の目的を考えなさい。と

そして、それに当てはまる、それを叶えられる企業に就職すべきだと。
理にかなってると思ったし、間違ってることを言ってるとは思わないし、納得した。
でも実際に考えてみたら人生の目的なんて見つけられなかった。
好きなこと、熱中したこと、頑張ったこと、1番になったこと、ずっと続けてきたこと、色んな要素があるけれどその中でひとつだけ、自分の人生のひとつの目標なんて決められるわけがなかった。
成長はしたい、どうせならやりがいを感じられる責任感のある仕事をしたい、でもプライベートもしっかり充実させたい。自分の時間は誰にも邪魔されたくない。
相反とまではいかなくてもそれらが共存するのは難しいよなっていう要素が考えてついて、答えを出せなくなった。
それを選ばないってことはその選択肢を捨てるって言うこと、もう捨てた選択肢は復活してくる事はなくて、私は一生それを失ったままでいるんだろうなって思ってしまう。
なにも失いたくないから、全部を欲しがるから結局大したものは得られないまま「そこそこ」を維持し、色んなものを少しづつ齧っている。
そして選択できない自分は実は中でいることを望んでいるんじゃないかとか、考え出した。
けどこれは答えじゃないし、現状悩んだままなところは変わっていない。
悩んで考えて、でも答えを出すところまでいけないのも自分の悪い癖だな。うん。

今の自分に足りていないものは見えているのにそれを得るために何をしたらいいのか分からない、けど、行動に移す力がないだけで、それを面倒くさがってるだけで実はわかってるのかもしれない。

やりたいこと、叶えたい夢、そういうものに追われていることは昔からストレスで、なにか夢を考えなくちゃいけないと思ってた。
色んな人が今の仕事を始めたきっかけや人生に影響を与えたことについて話しているシーンを見て、いつか自分も人生を変えるようなあっと驚く出会いや運命的なものに出会うことが起きると思ってた。
けど、どんな作品を見ても音楽を聴いても映画や劇を観ても生まれるのは憧れや感動だけでそこまで追いつこうと思うだけの気力は生まれなかった。

人生の目的を考えるのはしんどい。心がゴリゴリに削られる。そして答えを出せない自分自身に落ち込んでまた心が病む。
けど、それを決めなくちゃ、見つけなくちゃ、ヘラヘラ生きてくのかなとか思ってまた落ち込む。
LOOP

素直ではないけど純粋だから人に言われたことは全部真に受けてしまうし、その型を無理やり自分に押し付けてその過程ではみ出した自分はどんどんそがれていく。
伝えたいことはそうじゃないのかもしれないけど、言葉の持つ力は大きい。
そして文面じゃ、電話口じゃ伝えたいようには伝わらない。
どんな間柄でも人間の内面を全部さらけ出すことは出来ない。
さらけ出したつもりになっても目線が違えば違うように受け取られる。
解釈なんて人それぞれだしバックグラウンドが違えば受け取ったあとの吸収の仕方も全然違ってくる。
文字や内容だけじゃなくてそのタイミングも然り。
だからこそ、相手を意識しなくちゃいけない。
話すことは難しい。そして初めて怖いと思った。
言いたいことはなんでも言って自分自身は次の日になったら忘れてた、それが一番いいと思ってたし、黙って我慢することは出来ないからそうなってしまっていたフシもあるけど。
大事な人なら、大事な人こそ、言いたいことを言えないっていうのは理にかなってるのかもなあ。

きっとこれは毎日Netflixで韓流ドラマやワンピースを観てグダグダ過ごしてた自分のことをみてるから、分かってるから言ってくれたんだと思うけど、今の自分にとってそれはタダの説教にしか聞こえないって言うのが事実。
自分かて何も成し遂げてないくせに、人と比較してお前何か成し遂げたかと思ってしまう、
ひねくれてるから俺はこうしたって話に対して自慢かよって思ってしまう。頑張れって言われたのに対してプレッシャーに感じる。

でも、頑張らなくちゃいけない事実は変わらないよね。
自分のためだよ、全部。誰かのためになんか生きてられるか。私は私の幸せのために楽しいことも辛いことも成し遂げなくてはならない。
そういうことだよね、マイペース、大事だよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?