『そのぬくもりに用がある』

いまぼくは秋の夜風を浴びながらこの文章を認めている。

今日?昨日?は ラジオ耕耕 の MTG で下北沢へ(リンクから過去の放送チェックしてね)。
で、約束までの時間ふらふら街をうろついていたのだけど、街の様変わりようにおどろいた。
言ってしまえば、もはや過去の街。
ぼくが大学生時代は中古 CD ショップに古本屋、ライブハウスと演劇。
おそらく週に1度は通っていたと思う。

当時をふりかえるといくつかエピソードがあって、Twitter で仲良くなったフォロワーさんからご招待をうけて、奇妙礼太郎さんのライブをみたことだとか。ひとりでいろんなライブハウスに出入りしては気になるバンドを足しげくチェックしていた。一方で当時は演劇のライター兼カメラマンとしても馬車馬に働いていたので、半分あそびとしごとを兼ねて通っていたのだと思う。

ま、それはそれとして、当時の SNS はどれも血が通っていた。相手の顔がわかる(たとえ顔出ししていなくとも)。よくバンドのチケットだったり、グッズの交換などリアルでの交流も盛んだった。

では、いまはどうだろうか。
血の通った SNS が少ないように感じてしょうがない。
誰もが炎上を避けて匿名で当たり障りのない言葉ばかりを羅列する。
ときどき炎上は起きるけれど、あくまで単発的なもので、すこしすればほとぼりなんて冷めてしまう。

ぼくは正直、最近の SNS に対して憤りを覚えている。
お家にも会社にも居場所がない。
ならず者たちのオアシスこそ、SNS だったんじゃないか。
それらの声を集めた結果エンパワメントとして数々のバンドもメジャーシーンへと羽ばたいていったように感じている。

で、ぼくが改めて何を言いたいかというと SNS でも血の通ったコミュニケーションしようよ。
インスタは新規参入厳しいし、X はインプレッションゾンビの巣窟。
正直、やれたもんじゃない(のだけど、ぼくはいつかこの世界線が変わるものだと空虚にむかってボールばかり投げている。時代はまわる。)

で、個人的に気になっているのはニコ生、ツイキャス、X のスペース。
ここにあらたなつながりへの一歩が存在するのかもしれない。

ぼくは無機質な投稿よりも"あなた"のむき出しの言葉たち。
そう、そのぬくもりに用がある。

っていうわけで、正座して聴いてください。
サンボマスターで『そのぬくもりに用がある』。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?